『聖戦のイベリア』を総合的に考察するスレ
123:サーノ2007/08/15(水) 21:40:13 ID:??? [sage]
4問目までは、いけます・・・
しかし4問目の問題に答えいれても、何も起きません・・・。
そんな状態が続いていて現在、考えている最中です。
124:まさき2007/08/15(水) 22:00:42 ID:fV8i8anm
とりあえず隠しトラックについては
専用スレを建ててくれた方がいるのでそちらで議論した方がいいかと
情報が錯綜するのも怖いですし統一した方が意見も集まりやすいと思いますが堂でしょう
125:月の兎2007/08/15(水) 23:49:56 ID:??? [sage]
Sualtam Mac Roth説をとっていたんですが、この人がどんな人か判ったんで少なくとも
私の中ではこの説は消えました。

光の神ルーがコノア王の妹デヒテラを見初め、デヒテラがクーフーリンを身ごもったとき、
コノア王はそれを察してデヒテラを彼の兵士であるSualtumと結婚させます。
その結果ルーの息子であるクーフーリンは名目上Sualtumの息子として生まれます。
省9
126:まさき2007/08/16(木) 00:26:04 ID:4iJq+9Zi
>>125月の兎さん
おお、Sualtam Mac Rothの正体が解りましたか
ルーが産みの親でSualtam Mac Rothが育ての親って感じですかね
父親に産みとか育てとかの概念が当てはまるかどうかは解りませんが
火の神…とりあえずそれ以外も含めて候補として挙げられるのは
コブニュ(ケルト)
省20
127:トオコ2007/08/16(木) 02:29:50 ID:??? [sage]
月の兎さん、まさきさん、ayakiさん返答ありがとうございました。
シャイタンの台詞と歌詞表記の位置付けですが、私はこれにおいては前後関係は特に問題がないものと考えています。
根拠は「Ishat, huwa lakum malikが業火、是汝ノ王デアルに聞こえるから」としか言えず何とも情けがないのですが・・・
カイン、ケルブ説についてもまだ錯綜している最中で、考える程に深い森の奥へ彷徨っていくようです・・・。
まさきさんとむりゃんさんのアザゼルの記述は大変興味深く参考になりました、ありがとうございます。

省7
128:名無しさん@何にするか募集中2007/08/16(木) 10:41:22 ID:Pmrjq+E5
はじめまして。同じ意見を見つけてしまったので書き込みさせていただきます。

>>96
私もシャイタンがライラの為になしたことは、「ペスト」という名の死病の蔓延だと思いました。
つまりライラは、異教徒でも同朋でも聖戦それ自体でもなくて、
それら全てを生み出した「人類」そのものを滅ぼしたかったのではないかと…
省12
129:まさき2007/08/16(木) 18:33:17 ID:mCUljhn8
>>127トオコさん
うーん、私も特に前後関係に拘るつもりはないですが
イベリアの他の部分はきちんと訳文と英語が合ってるのに
この部分だけずれてるのがどうしても気になってしまいます
アザゼルの件では参考になったようで幸いです
これからも参考になるような資料があれば活用していきたいと思います
省15
130:ヒカル2007/08/17(金) 16:58:46 ID:afWblxYT
どうもこんにちは Roman考察以来考えるのを止めていたヒカルです(何

自分自身、最近イベリアゲットしたので思いつき程度の考えなのですが
ライラが憎んだものって、人同士の「憎悪」という感情そのものではないでしょうか
父と母を両皿に傾かざる少女の天秤という部分から、恐らくライラは父と母が異教徒同士だったのではないかと思いますが、
その関係で、ライラ自身は異教徒は敵だとか、そういう考えは無かったと思います。
省13
131:まさき2007/08/17(金) 17:20:37 ID:jQfbipn2
>>130ヒカルさん
お久しぶりです。旧大黒のまさきです
ライラの両親が異教徒同士だったのは私も間違いないと思ってます
『侵略』に父を奪ったのが啓典の民で母を奪ったのが聖典の兄弟とありますし
どちらがどちらを信仰してたかは『奪った』の解釈で分かれそうですけど
そしてそんな平和な暮らしを奪われたライラが人間の中にある憎悪を憎む…
省7
132:月の兎2007/08/17(金) 20:26:16 ID:??? [sage]
ライラがアラビア語を話しているところから見て住んでいたのはイスラム側か中立地帯と
思われます。中立地帯といっても両者の支配が及ばない、というだけで、実際は両者から
略奪を受けるまさに戦禍の地となります。キリスト教側もイスラム教側も内紛で忙しいためか、
支配確立には力不足なことが多く、結構な広さの中間地帯があったようです。

当時、イスラム領域ではイスラム教から他宗教の改宗は実質不可能です。
省22
1-AA