『聖戦のイベリア』を総合的に考察するスレ
93:いら2007/08/10(金) 01:09:52 ID:wzimpdD5AAS
はじめまして。家にある資料を用いていろいろ調べてみました。
他のスレで既出だったら申し訳ないです。

三女についてです。
これは悪魔(シャイターン)がイスラム教のジン(焔の悪魔)だったと仮定した話になりますが、
当時ジンはかなり万能と言われ、詩人・歌手・踊り手・巫女・占い師などとりわけ優れた才能を持った人間は、
省24
94:まさき2007/08/10(金) 01:52:46 ID:DWMvipu1AAS
>>91月の兎さん
ああ、なるほど。そういう事でしたか
私はどちらかというと人の説を見てそこから自分の説を発展させていく方式ですが
兎さんの気持ちも解らないではないです
ラミレスのところは私もよく解りません
『〜battle』までは聞き取れるんですが次の単語が『サディ』に聞こえます
省28
95:ayaki2007/08/10(金) 14:02:44 ID:yv9enTsMAAS
>>90 まさきさん
あれ・・・ルーとスルタンて同一じゃないんでしたっけ
同じだと思ってました;

>>91 月の兎さん
なるほど・・・民族によるいろいろな呼び方ですか
省13
96:月の兎2007/08/10(金) 20:43:47 ID:??? [sage] AAS
>>94
> そしてその後バンダルの軍が蛮勇を奮い荒らして回った
> 世界古代史の苦手な私は推測するしかありませんがこの時少女によってシャイタンの封印が解けたのではないでしょうか

バンダル族進入はイスラム教成立以前ですので違いますね。

省37
97:むりゃん2007/08/10(金) 21:34:40 ID:9h7rHYFMAAS
悪魔等について調べていたのですが、ちょっと気になる点が。
『少女は男を《悪魔》と呼ぶことにした』と、ありますよね。
そして、『畏レヨ、汝、悪ノ名ヲ』はシャイタンの台詞ですよね。
つまりは、シャイタンは『悪魔=シャイターン=悪の名』という意味を理解しているという事になります。
シャイターンはサタンのイスラムでの呼び方です。そして、サタンは『人を悪へと誘う、神の敵』です。
しかし、これは新約聖書での解釈で、旧約聖書では『神への信仰を試す者』です。
省14
98:名無しさん@何にするか募集中2007/08/10(金) 22:12:06 ID:??? [sage] AAS
三姉妹がそれぞれ水、羊、蛇を象徴しているということは、
彼女らは運命の女神ノルンと関係してるんでしょうか・・・
となるとユグドラシル=オーディン?
オーディンは隻眼の、戦争と死の神で、「オーディンの馬」とも言われているそうです。
99:2007/08/10(金) 22:33:34 ID:40ujI6kLAAS
えー頭が働かないので自らの書き込みに関して注釈を軽く。

三姉妹も預言者も、それぞれとイコールするというよりは、象徴だと思っています。
ので、預言者=キリストも象徴、或いはキャラモデルと捉えて頂ければ……
そもそも史実がモデルのフィクションなので、「現実がこうだから違うだろ」な所は
適当にかっ飛ばして読んで頂ければ幸い。(明らかにおかしい所は別ですが)
省12
100:まさき2007/08/11(土) 01:37:51 ID:WRELHnPQAAS
>>95ayakiさん
クー・フー・リンをWIKIで調べると
『太陽神ルーまたはSualtam Mac Roth』と表記されてるので別人なのかなと思いました
それ以外の根拠はないので弱弱しいですが

>>96月の兎さん
省30
101:むりゃん2007/08/11(土) 20:42:57 ID:m9Z8n0ZRAAS
>>100まさきさん
イスラム教自体は、7世紀です。紀元7世紀。このCDは15世紀ぐらいを設定していると思われるので、
800年ぐらいですかね……。千年近く進歩なし……。
『畏レヨ』の部分は、どっちでしょうかね。表記がシャイタンのしゃべり方ですから、どっちかな、という想いが生まれます。
『侵略者に奪われし〜〜』の群集の叫びは、普通ですから混乱します……。
102:むりゃん2007/08/11(土) 20:48:22 ID:m9Z8n0ZRAAS
連投すみません。
創世記とデーモンの成り立ちを読んでいて、やはり彼は『ジャック オー ランタン』ではないか、と思いました。
旧約聖書は、一つの種族を中心に物語が進んでいます。ヤハウェはイスラエルの民を導く、守護神みたいな存在です。
ダイモーンは、人間をいい方向に導く守護霊的存在です。カコダイモーンは悪い方に導く存在です。
イスラエルの民にとって、ヤハウェは『自分たちをいい方向へ導く守護神』→『イスラエルの民のダイモーン』という解釈があると思います。
旧約聖書の世界には、他の神を信仰するものもおり、あるシーンでは自分たちの神を捨て、
省18
1-AA