下
イドイド総合考察スレ【旧イド端会議場】
242:女王蟲 2010/06/20(日) 00:00:54 ID:prpkDhD30 >>240 あぁ、なるほどな! と思いました。 >>241さんの通り、3兄弟のところは【テューリンゲンの魔女】がいた場所に興味があって3兄弟は遊びに行ったのではないでしょうか? 子供だし、好奇心旺盛だと思うので。 「テューリンゲン)の魔女だって怖いね…」って言ってるのも3兄弟っぽく感じました。 あるいはイドが呼んだ…?(drei…zwei…eins…)は黒死病に3兄弟が蝕まれていく様子…?
243:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 00:12:41 ID:pQFJQoOM0 ぶったぎりすいません 妾のアンネリーゼがメルツの母親で 盲目だったのでメルツ捨てる ↓ そのメルツを方伯の子供であるテレーゼが育てる というのは考えられないでしょうか? それならテレーゼがアンネリーゼを許さない理由にもなりますし 「姉であり母である」ということにもなります・・・よね?
244:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 00:59:03 ID:5Gu17hAn0 ライブネタバレって拙いですかね……?
245:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 01:08:52 ID:nOWi3Ol60 [sage ] とりあえず後夜祭が終わってからが良いかと。 私も初日参加したので気持ちはわかります^^;
246:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 01:31:07 ID:nOWi3Ol60 [sage ] >>238さん 私も最後だけ視点が違う?とか思ったのですが 曲のタイトル【光と闇の童話】から、彼自身の名でもある【Märchen】に繋がる、と考えるのは少々乱暴でしょうか。 「キミが今〜」の最後でも【光と闇のMärchen】と歌われていることから 彼【Märchen】自身に二面性や、二つの人格があるのでは?とふと思いました。 Marz=Märchenであるとするならば、光のMärchen=メルの人格や性格が強い状態 メルは疑う事を知らず、悪意や敵意を知らない純粋で少年らしい優しさを持った子だったのだと思いますし。 また、闇のMärchen=イドに立つ彼の本質が強く出た状態。彼其の物。 何に対してかは判らないものの、復讐を強く望んでいる… とか。 もともとメルヒェンが復讐を望んでいるのかが確かではないので 根拠は酷く弱い気がしますが…(汗 【童話】の名前をもっていて、曲のタイトルにも童話があるのは何か意味あってなんじゃ!?と。
247:240 2010/06/20(日) 02:06:21 ID:+hs5RYFA0 >>241、>>242 あっ、火刑を見ている子供達=冒頭の三兄妹でしたか。全く結びついてませんでした。 訂正しておきました。ご指摘ありがとうございます。 あと、ブログの方のコメントで黒死病と魔女狩りの時代関係などについて突っ込まれたので、 その辺は練り直して近々修正しようと思います。歴史は苦手なんでよく解ってませんでした。 引き続きご意見募集中です。
248:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 13:50:38 ID:I5G8dh7h0 私もこうかなーと思ったことを書かせていただきますね。 イドというのが心理学用語だかで「自我」という意味があるそうで。 なので「自我に至る森へ至る井戸」、もしくはその逆かなあと薄ぼんやり考えています。
249:しゅりんぷ 2010/06/20(日) 15:35:42 ID:Zmuw92/l0 結果にまで至っていない考えなのですが、 何かの手がかりになったらと思い書き込みます。 タイトルが「イドへ至る森へ至るイド」で、 歌詞カードを見ると、枠が 「イドへ至る森へ至るイドへ至る森へ・・・」と永遠と続きます。 最初と最後の言葉が繋がり、永遠と繰り返すことが出来る。 コレは、何かを暗示しているのではないかと思ったのですが・・・ もしくは、タイトル自体、切れる場所が違って、 「至るイドへ至る森へ」など、 切る場所によって意味が変わってくるのではないかと。 歌詞カードにヒントがあるのであれば、 私が気付いたのはこの点です。 私では解決出来なかったので、ココに書き込みます。
250:名無しさん@井戸の中 2010/06/20(日) 15:42:05 ID:mS6qsWLm0 光と闇のメルヒェンの「光」は青い目の女の子とメル(?)の恋の童話で、 「闇」はメルの復讐劇(イドに落とされたメルが『殺せ』と『侵せ』と歌って黒死病を流行らせたとか)というのはどうでしょう?
251:しゃっく 2010/06/20(日) 18:12:37 ID:gwoySst00 >>248さん 私も同じ路線で「井戸へ至る森へ至るイド(無意識、本能)」と考えました。 この時代は、まだ精神をイド(無意識、本能)とエゴ(意識、理性)の二つで考えていた時代なので、 井戸に(無意識の中で)呼ばれ、井戸へ至る森へ無意識に至る。 または、人間は生存本能で水を求めるので、井戸へ至る森へ本能的に至る。 この2つを考えました。個人的には前者の方が気に入ってます。井戸に呼ばれるってあたりが。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
イドイド総合考察スレ【旧イド端会議場】 http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/Idid/1276271477/l50