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イドイド総合考察スレ【旧イド端会議場】
263:名無しさん@井戸の中 2010/06/21(月) 23:42:32 ID:U2pfY1RgO すみませんー つまりこのお話は、誰のなにに対する復讐劇なんでしょうか?
264:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 00:12:57 ID:CDjSdTpS0 >263 Romanみたいに1つのテーマに沿った各々の話ってことではだめですか? ただマキシなので小さな範囲(ある少年を取り巻く範囲)ってことではないでしょうか 基本、運命に対するってことで、Moiraと次の地平線をつなぐ感じになっているのでは?
265:ham 2010/06/22(火) 00:12:58 ID:goYxTESY0 >>263様 第七の地平線で復讐劇が始まるのだと思いますよ。 このお話は復讐劇が起こるに至る序章だと思います。
266:ham 2010/06/22(火) 00:15:32 ID:goYxTESY0 連投すみません。 つまり、誰のかは第七が出るまでは推測の域を出ないかと(ーー;)
267:名無しさん@死すべき者 2010/06/22(火) 00:44:51 ID:L7S8ES+k0 「キミが今笑っている、眩い其の時代に。 誰も恨まず、死せることを憾まず、必ず其処で逢おう」 キミっていうのが聞き手のことで誰も恨むことのない美化された童話で会おう って意味に取れるのは考えすぎかなぁ・・・ いやあまり根拠はないですが
268:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 00:53:16 ID:CDjSdTpS0 キミっていうのは聞き手でいいと自分も思います 「キミの今笑っている時代のように、誰も恨まず、死ぬことを残念がらずに、 約束の場所(其処)で逢いたかったねエリーザ。こんな昏い井戸の底で逢うのではなくね。 さぁ復讐を始めようか」っていう感じでしょうか
269:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 01:37:12 ID:Qw1Zt+Xs0 全く関係ない実話になりますが、 エリーザベト・フォン・テューリゲン(1207〜1231)とルートヴィング家の テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世(1200〜1227)の娘がゾフィー・フォン・ブラバント(1224〜1275) なのですが、実話はこの話とは親子関係が逆なのですね。
270:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 01:48:21 ID:ljlh8WYB0 >>269 史実のゾフィーの娘の名もエリーザベトですよ
271:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 03:16:25 ID:8RH9DLau0 初カキコです。 自分の考えと似ているコメがあったので遅レスなのですが書き込ませて いただきます。 >>229 私も候妃が娘をテレーゼの元に連れてきたときには テレーゼの息子 アンネリーゼの子供 候妃の娘 の3人がいたのではないかなと思っていました そのうち一人の命は奪われて、他の二人が救われたと考えると 「救われる命〜奪われる命〜」 と合致するのではないかなと。 最初は229さんと同様に子供の入れ替えを考えたのですが森の賢者と 呼ばれるまでの年数を考えると入れ替えに気がつかない母親は 居ないのではないかと思い別案を考えています。 まとまってないので申し訳ないのですが今のところ アンネリーゼの子供を殺して、臓器?をエリーザベトへ移植 網膜?をメルへ移植、死体は井戸に埋めた。 その後、アンネリーゼの子供を弔うために贖罪するために再び井戸の元に戻ってきた のでは考えています。 長々とすみませんでした。
272:名無しさん@井戸の中 2010/06/22(火) 16:32:25 ID:ljlh8WYB0 >>271 もしアンネリーゼの子がいたのならそれを匂わせるフレーズや存在を暗示する台詞等がなければおかしいと思うのですが、 そこはどうお考えか教えて頂けますでしょうか? また、臓器移植にしても適合度というものがありますし兄弟親子間ですら適合しない場合があるのに、 たまたま運び込まれた候女とアンネリーゼの子の臓器が適合する可能性は低すぎるのでは……?(たとえ異母きょうだいだったとしても同様です)
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