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【1】光と闇の童話 考察スレ
112:ろろろ。 2010/06/24(木) 18:23:46 ID:IFIwE3sTO 既出でしたらすみません 「儘、罪には罰が居る」のフレーズですが 次にくる歌詞が「第七の物語」=「復讐劇」になりますよね。 ここは罪(テレーゼやらメルやらエリーザベトが受けた仕打ち)には罰(復讐) と言う解釈で良いのでしょうか? なんだか考え過ぎて思考が段々単純に… 彼女が魔女になった理由の 「断罪者であり贖罪者」も 贖罪→生前のテレーゼの生き方 断罪→魔女となり復讐者としてのテレーゼ って感じじゃないかと思い初めてきました さすが単純過ぎますかね?
113:名無しさん@井戸の中 2010/06/24(木) 20:57:16 ID:JD2B05P90 >>106さん こちらこそ、貴重な考察を有り難うございます。 歌詞から考えると滅んだ村に住んでたっぽいんですよね。PVもそんな感じでしたし。 それでもう一度考えてみたのですが、水があったら浮かんできてしまうとおっしゃってましたが、(そういった知識はないのでかなり間違いだとは思いますが)死体が土と同化、土に還る?ほど時間が経っていたら、雨等で水がたまっても大丈夫かなと思いました。 または、>>108の方もおっしゃっているように別の村とも考えられますね。 森にはもう一つ廃れた村があったとか。 忌まわしい病気があったらその近くにふつうはいかないと思うのです。 なのにそんな村の近くの廃れた村(廃れた原因は、ペストを避けて村人たちが村を捨てて行ったとか)に何故母子は住んでるの?という意味なのかなぁと。 起こった出来事をどの順序だと考えるかで大きく変わってしまいますね。 もう少し考えてみようと思います。
114:名無しさん@井戸の中 2010/06/26(土) 13:07:23 ID:a1NXqKwQ0 既出でしたらすみません。 「摂理に背を向けて」「摂理を背に受けて」の 「摂理」は、情景的には、 一回目の方が“迎宵”→「夕日」 二回目の方が“迎暁”→「朝日」で、 内容的には、 「摂理(夕日)に背を向けて」→死に背く 「摂理(朝日)を背に受けて」→生に背く (Elysionでも「夕陽」で同じような表現があったような・・・) つまり、“死も生も適わぬ存在”(メルヒェンが?) という解釈でよいのでしょうか? ・・・ってよろしくないですね、飛躍しすぎな気がします。 流れにそぐわない発言、失礼しました。
115:亡骸 2010/06/26(土) 16:47:20 ID:Q+1rsckIO [既出だったらすみません] CDのタイトルであるイドへ至る森へ至るイドの意味が気になっています。 >>107さんの少なくとも二回イドに落ちているということですが、 一回目は(イドへ至る森へ至る)イドに落ちて 二回目はイド(へ至る森へ至るイド)に落ちた んではないかと思いました。 つまり、二回目に落ちたイドが本物のイドなんじゃないかと この間に 森 が存在しているのでは そしてもしかしてイドは異空間に2つ存在しているのでは という初感を持ちました。 自分でも書いていて意味がわからなくなりました ぶっとんだ考察すみません!
116:名無しさん@井戸の中 2010/06/26(土) 18:07:24 ID:/GdWTHVf0 >>115 複数のイド、あるかもしれないと思い改めて考えてみました。 ・イド(異空間)へ至る森へ至る井戸 ・イド(人物)へ至る森へ至るイド(異空間) ・井戸へ至る森へ至るイド(衝動) というのはどうでしょうか? 鳥籠の歌詞で衝動をイドと読む部分があったと思います。 男性とエリーゼの会話で、 「母子が森に住んでいたのはイドに呼ばれたから」 「イドが呼ぶのはそれが本能だから」とあります。 全部入れてみたらこんなことに…。
117:亡骸 2010/06/27(日) 18:56:16 ID:K9ElIWadO >>116 なるほどスッキリです。 複数のイドあり得ますね。 (というか、目から鱗でした!) そして、その井戸自体も複数存在している気がします。 この視点を踏まえ読みすすめてみます。
118:名無しさん@井戸の中 2010/06/29(火) 04:39:32 ID:RhrxikSY0 >>111さん 舞台は中世から近世に至る仄昏きドイツの森 という前提より作中で語られているのは15c末〜16c前半に起こった出来事であると考えられます ペストの大流行は14c、民衆間での魔女狩りは15c〜18cに行われていたようなので矛盾はないと思います。 私は今のところ、作中の出来事はペストにより村が滅んだ後のことではないかと考えています。 ただし村が滅んだ原因が大流行したときのペストによるものか、それとは別の流行によるものかは分かりません
119:名無しさん@井戸の中 2010/06/30(水) 18:22:41 ID:qY58+uyZ0 突然失礼します。 何点か気になったことがあるので…。 1 PVで井戸の底にいるメルが人形を持っていない。 2 「彼女が魔女になった理由」の歌詞カードの最初の絵で、 テレーゼ本人が十字架を建てているように見える。 3 「光と闇の童話」の掛け合いでPVでは井戸の中に居るにも関わらず、 『或の』イドというのは何故か。 イドが井戸のことではないのか、彼らが立っている井戸とは別の井戸があるのか。 どちらとも考えにくいのですが、どうでしょう? 考えても良く解らかったので、質問だけの投下になってしまいましたがお許しください。
120:とまと 2010/06/30(水) 19:26:56 ID:38g1zXnF0 テレーゼはメルの姉でもあったということは テレーゼは実の父との間に子ども(メル)を産んだということなのでしょうか?
121:月の兎 2010/06/30(水) 22:47:49 ID:RMIGVpF+0 >>119 > 1 PVで井戸の底にいるメルが人形を持っていない。 よく見ると井戸の横の地上に落ちてます。 1'49''ぐらいでこの人形が人間(大人のエリーザベト?)に変わるシーンがあります。 これも解釈しだいでいろいろ取れそうですね。 > 2 「彼女が魔女になった理由」の歌詞カードの最初の絵で、テレーゼ本人が十字架を建てているように見える。 キリストの昔から十字架に掛けられる罪人は刑罰の一部として十字架を自分で刑場まで運び、、自分で十字架を立てます。 同じようにテレーゼも十字架を運び、立てさせられたと思われます。 > 3 「光と闇の童話」の掛け合いでPVでは井戸の中に居るにも関わらず、『或の』イドというのは何故か。 陛下演じるところのメルヒェンと黒い人形(エリーゼ)とは別にイドとよばれる魔物がいる。というのが私の解釈です。 イド(魔物)は井戸にすみ、人のイド(情欲)に働きかけて不思議をなし、ある意味ではメルヒェンとエリーゼの産みの親と 言えるかもしれません。このCDではイドの声らしきものは聞こえますが、姿かたちは出ていないと思われます。 CD名のイドへ至る森へ至るイドのイドには「井戸」「イド(怪物)」「イド(人の情欲)」の3つの意味が掛けられてると考えられます。
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