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【1】光と闇の童話 考察スレ
113:名無しさん@井戸の中2010/06/24(木) 20:57:16 ID:JD2B05P90AAS
>>106さん
こちらこそ、貴重な考察を有り難うございます。
歌詞から考えると滅んだ村に住んでたっぽいんですよね。PVもそんな感じでしたし。
それでもう一度考えてみたのですが、水があったら浮かんできてしまうとおっしゃってましたが、(そういった知識はないのでかなり間違いだとは思いますが)死体が土と同化、土に還る?ほど時間が経っていたら、雨等で水がたまっても大丈夫かなと思いました。
または、>>108の方もおっしゃっているように別の村とも考えられますね。
省12
114:名無しさん@井戸の中2010/06/26(土) 13:07:23 ID:a1NXqKwQ0AAS
既出でしたらすみません。
「摂理に背を向けて」「摂理を背に受けて」の
「摂理」は、情景的には、
一回目の方が“迎宵”→「夕日」
二回目の方が“迎暁”→「朝日」で、
省16
115:亡骸2010/06/26(土) 16:47:20 ID:Q+1rsckIO [既出だったらすみません] AAS
CDのタイトルであるイドへ至る森へ至るイドの意味が気になっています。
>>107さんの少なくとも二回イドに落ちているということですが、
一回目は(イドへ至る森へ至る)イドに落ちて
二回目はイド(へ至る森へ至るイド)に落ちた
んではないかと思いました。
省15
116:名無しさん@井戸の中2010/06/26(土) 18:07:24 ID:/GdWTHVf0AAS
>>115
複数のイド、あるかもしれないと思い改めて考えてみました。
・イド(異空間)へ至る森へ至る井戸
・イド(人物)へ至る森へ至るイド(異空間)
・井戸へ至る森へ至るイド(衝動)
省13
117:亡骸2010/06/27(日) 18:56:16 ID:K9ElIWadOAAS
>>116
なるほどスッキリです。
複数のイドあり得ますね。
(というか、目から鱗でした!)
そして、その井戸自体も複数存在している気がします。
省7
118:名無しさん@井戸の中2010/06/29(火) 04:39:32 ID:RhrxikSY0AAS
>>111さん
舞台は中世から近世に至る仄昏きドイツの森
という前提より作中で語られているのは15c末〜16c前半に起こった出来事であると考えられます
ペストの大流行は14c、民衆間での魔女狩りは15c〜18cに行われていたようなので矛盾はないと思います。
私は今のところ、作中の出来事はペストにより村が滅んだ後のことではないかと考えています。
ただし村が滅んだ原因が大流行したときのペストによるものか、それとは別の流行によるものかは分かりません
119:名無しさん@井戸の中2010/06/30(水) 18:22:41 ID:qY58+uyZ0AAS
突然失礼します。
何点か気になったことがあるので…。
1 PVで井戸の底にいるメルが人形を持っていない。
2 「彼女が魔女になった理由」の歌詞カードの最初の絵で、
省14
120:とまと2010/06/30(水) 19:26:56 ID:38g1zXnF0AAS
テレーゼはメルの姉でもあったということは
テレーゼは実の父との間に子ども(メル)を産んだということなのでしょうか?
121:月の兎2010/06/30(水) 22:47:49 ID:RMIGVpF+0AAS
>>119
> 1 PVで井戸の底にいるメルが人形を持っていない。
よく見ると井戸の横の地上に落ちてます。
1'49''ぐらいでこの人形が人間(大人のエリーザベト?)に変わるシーンがあります。
これも解釈しだいでいろいろ取れそうですね。
省15
122:月の兎2010/06/30(水) 23:23:21 ID:RMIGVpF+0AAS
連投失礼
>>118
私は13cにあった事件を後の時代(16cぐらい?)に物語化し、それを19cに3兄弟が見つける、という時の流れを考えています。
根拠としてはLudowing家がテューリンゲン方伯であったのは1247年までで、それ以降Wettin家がテューリンゲン方伯の位を
得ているからです。von Ludowingを名乗るテレーゼが方伯(Landgraf)に連なるものといえるのはこの時期までです。
省18
上前次1-新書写板AA設索