7th Story CD 「Marchen」総合考察スレ
1260:名無しさん@何にするか募集中2011/02/01(火) 03:55:23 ID:vbfO1qk8 [sage ] AAS
>>1248
復讐者が屍人姫で復讐相手も女性や母が多い中、
父性に罪があるというのは裏を読ませる感じですね。
親の描写が無い伯爵妻の復讐相手が「男性」であるというのは
逆に「父親=男性が間接的に犯している罪」の存在を示唆しているのかもしれません。
父性←→母性は衝動←→自我のような対になるものでもあるし。

Romanはまさに母性に依拠した物語で、
Moiraは微妙なところですがmoira自身が冥王の母で、
「父親」というのが意図的に無視されても成立はしているように見える。
しかし最後はズヴォが父親になるところで終わり、
続くメルヒェンでテレーゼの母性がこれでもかというくらいに強調していても、
メルやエリーザベトの父の存在には謎を投げかけるものにしている。
野薔薇姫といい、楽園への繋がりってことなんですかね。

>>1259
私も野薔薇姫→楽園つながりの考察を支持していますが、
虚構であるのは過程と結果をひっくるめてすべてとは限らないと思うんです。
野薔薇姫の復讐だけが未完成なことから、
「復讐しているつもりでも、実は復讐になっていない」っていうのもあり得る気がします。

野薔薇姫が呪われたのも、姫自身が魔女に屈辱を与えたわけじゃなくていわばトバッチリ?で。
結果魔女を国外追放するけれども、置き土産の呪いでわが子を捨てることになって。
極端な言い方をすれば、彼女自身の力ではどうすることも出来なかった「運命」であり、
森に捨てなければならない子が生まれたのも呪いではなくそういう運命だった、とか……
ちょっとわかりづらいことになりますね;;;すみません。

なんていうんでしょう、「すべてが虚構」っていうのは白か黒かではなくて、
見方を変えてみると「復讐になっていない」ことも存在するのかもしれないと思いまして。
青髭伯爵の妻は復讐といいつつも、愛ゆえに夫を救っているようにも読むことが出来ますから。
1-AA