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7th Story CD 「Marchen」総合考察スレ
1437:投稿 ★ 2013/01/11(金) 20:58:39 ID:k8Agu8Gj 流れを切ります、あと、イドイド板とこちらと悩みましたが、 2つにかかわる話かなと思ったのでこちらに投稿させていただきます。 すごくぶっ飛んだ考察になるので、一つの考えとしてちょっと見てみてください。 『イドへ至る森へ至るイド』『Marchen』に出てくる「Marchen von Friedhorf」氏ですが、 何故、このCDの間で衣装が変わったのでしょう?わざわざ衣装を変える必要性はあったのでしょうか? はたして2枚のCDに登場する彼は同一人物なのでしょうか? 私の解釈としては、『イドへ至る森へ至るイド』のMarchen von Friedhorf氏は 『Marchen』のMarchen von Friedhorf氏とは別人物だと考えています。 まず本は何度も読み返される…という考えから、「童話」をテーマにしたこの2枚のCDはループしていると考えられます。 つまり、1回目、2回目…というように何度も同じ物語をなぞっていることになります。 そこで、「イドへ至る森へ至るイド」のMarchen von Friedhorf氏(以下“イドメル”と略します)は n回目の童話を終えた(=暁光を迎えた)「Marchen」のMarchen von Friedhorf氏(以下“メルメル”)なのではないかなと思います。 n回目の童話を終え、n+1回目の物語に「物語の外」の立場で「光と闇の童話」を歌っているのではないかと。 イドへ至る森へ至るイド→Marchenと時系列的につながっている、 メルツ→イドメル→メルメルに変化しているなら、 メルツとイドメルが同時に存在することに疑問を感じます(初回限定のジャケット絵で2人とも見えちゃってる)し、 メルメルも宵闇の唄で「私は誰なのか」「何の為かなんて 誰の為かなんて」など記憶喪失的な歌詞を歌っているので、 「光と闇の童話」は単にイドメルの過去の思い出の話でもない気がします。 (直感ですが「宵闇の唄」が割とメルツから直でメルメルに行った感じもします…) なぜメルメル→イドメルになってしまったのかは謎ですが…衝動が飛び去っても消えなかったんでしょうね。たぶん。 つまるところ、【n回目】メルツ→メルメル→(「暁光の唄」で童話終了)(→)イドメル(→)【n+1回目】(→)メルツ…となっているのではないかと考えています。 「光と闇の童話」のイドメルの視点も引っかかりますね。 『イドへ至る森へ至るイド』『Marchen』の両CDでは、「光と闇の童話」以外の曲の視点はその曲の主役になっています。 (「宵闇の唄」→メルメルが主人公でメルメル視点…という感じです) しかし「光と闇の童話」ではどうでしょうか? この曲の主人公はメルツ、しかし視点はメルツではなくイドメル(「少年は〜」と言っているので)です。 このことは、イドメルが“物語の外側の視点”を持っていることになりませんか? また、「光と闇の童話」での歌詞、 「やがて《迎宵》 奔る《第七の物語》 」は「宵闇の唄」、 「いずれ《迎暁》 染まる《薔薇の庭園》」は「暁光の唄」を指しているものと考えられます。 (※「染まる《薔薇の庭園》」…コンサートで「暁光の唄」の後、ロゴに薔薇) すると…まだ復讐劇をしてないのに先に分かるとは…予言者かッ!?となりますね。 『宵闇の唄』ならまだしも『暁光の唄』までは流石に予言は難しいでしょう。 「キミが今笑っている、眩い其の時代に。誰も恨まず、死せることを憾まず、必ず其処で逢おう」も 『暁光の唄』を受けての歌詞かな…とも考えられます。 今から「第七の墓場…さあ、復讐劇の始まりだ」と行くのにちょっと不自然なフレーズですよね。 結果的に、イドメルは物語の外で童話のプロローグ部を歌う存在であり、童話の内容をすべて知っている。 童話の登場人物たるメルメル(『宵闇の唄』のラストで書く音が聞こえることから)とは別の人物なのではないかなと思います。 (…すると、「この狭い鳥籠の中で」で歌うのも結末を知っているイドメル…?) さて、ここで一番難解なことが。それはエリーゼ人形さんです。 「暁光の唄」でおそらく再起不能になってしまったのでイドメルと一緒に「光と闇の童話」を歌うのは『Marchen』のエリーゼではないと思うのですが、 そうなると彼女は誰なのか…「宵闇の唄」でメルメルをグイグイ引っ張ってるのに「光と闇の童話」ではあんなにイドメルに質問ばっかりしてますしね… うーん、分からぬ…
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