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03『黒き女将の宿』 専用考察スレ
169:名無しさん@何にするか募集中2010/12/29(水) 17:18:28 ID:t6V1ygxO [sage]
「事実であれ虚構であれ〜」について、勝手な解釈を失礼します。
事実と虚構は、単に元ネタとの差異を示しているのではないかと思いました。
なぜなら、もしメルが「それが事実なら、とられたものは取り返すものさ」
とだけ言った時、元ネタとなる絞首台の男は肝臓を取り返せないことになるからです。
省26
170:ミロ2010/12/29(水) 18:25:22 ID:FiGjobGb [sage ]
>>164、165さん
「女将」は「末端の教会」ではなく、「カトリック教会自身」、総本山、教皇やその周辺、という解釈ですべての考察を行っています。
総本山の根が腐り、お金儲けを始めた事は歴史上の事実です。
「教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示し、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告した」
「サン・ピエトロ大聖堂建設献金のためという名目での贖宥状販売の独占権を獲得し、稼げるだけ稼ぐというものであった。」
とウィキペディアには書かれています。教皇やその周囲が、贖宥状販売により稼ぎまくる、
省26
171:名無しさん@何にするか募集中2010/12/29(水) 20:00:05 ID:mrQBeA+Y [sage]
165です。
とりあえず、170さんが史実を基に考えている事だけは分りました。
私は童話をベースに考えているので、
>女将の彼氏達はすべて歴史上実在のルター派の騎士、諸侯です
省19
172:名無しさん@何にするか募集中2010/12/29(水) 20:01:30 ID:rhmfBHL7
ぶらん子の死因については、女将に殺されたものと思います。
首吊りですね。
殺された後、狂った女将が肝臓を取り出す際に出血し
その血が酸化する事で「黒いぶらんこ」の出来上がりかと。
ところでぶらん子と女将の髪型って一緒ですよね。
省7
173:ミロ2010/12/30(木) 03:05:40 ID:6iJbNqCF [sage ]
図解のデータ消されていたのであげなおしました。…ご迷惑をおかけして申し訳ありません…
or2.mobi
>>171さん
>だとしても、女将の経歴を表しているものと推察しています。
女将の彼氏については>>132で史実と女将のセリフとの照らし合わせを行っています。
史実の行動と、女将の「気高く」「華麗」「激しかった」が一致したため、歴史上の人物がモデルとしました。
省28
174:名無しさん@何にするか募集中2010/12/30(木) 04:25:40 ID:jmgTRxXw [sage ]
>>173さん
大変面白い考察だと思いました!
この曲の前曲もユダヤ教・カトリック・プロテスタントの存在を匂わせるものでしたし、
そもそも童話には173さんのいうように事実の暗喩が含まれていることも多々ありますし
こうした解釈も十分出来ると思います。
省28
175:ミロ2010/12/30(木) 19:40:03 ID:6iJbNqCF [sage ]
>>174さん
考察についてありがとうございます。
何より凄いのは陛下です。私が調べた範囲でも(歴史がベースにあるとした場合、歴史と)歌詞の矛盾が
全く見つからないのですから。この一曲だけでも、陛下のサンホラへの愛をものすごく感じる事ができました。
曲通りに取る場合(歴史がベースにあるという私の意見上では「童話」に当たる部分)、同意見です。
省23
176:名無しさん@何にするか募集中2010/12/30(木) 22:14:13 ID:ms9Xf7IJ [sage]
>175さんへ
171です。
私が171で挙げた疑問というよりも意見に近いもの
(治めている領主が〜)ですが、いまいちすっきりしないです。
省26
177:ミロ2010/12/31(金) 03:16:43 ID:xu6qBaqr [sage ]
>>176さん
いえ、考察はさまざまな角度から検討されるべきものだと思います。ご意見頂ける事はとてもありがたいですので、
どんどんぶつけていただいて構いません。確かにこの考察では女将=カトリック教会、へ至った経緯が欠けています。
最初に、私の認識違いから、一部曲中の時代では存在しないであろう史実を引っ張り出してしまっています。
「住んでいる土地の領主の宗教が、住んでいる農民の宗教になる」という記述です。申し訳ありません。修正させてください。
この時代にこれが登場するのは間違いです。プロテスタントが別宗派として認められた時、同時にこの取り決めが決まったのであって、
省24
178:ミロ2010/12/31(金) 03:26:20 ID:xu6qBaqr [sage ]
(続き)
カトリック教会は腐敗している、信仰にのみ救われるべきだという志を持ち散った彼氏を、女将がルター派であれば誇りに思い、
名誉ある死として扱うのではないか?なぜ、「運が悪いのか、時代が悪いのか」と他人事なのか?
まず女将はこう歌っています。「図太く生きてゆくには、綺麗事ばかりじゃないわよっ」
これは女将自体が綺麗事を嫌っている、自分は綺麗ではない、汚れてでも生きたと言う事です。
そして「クソババアが独り」という歌詞。これは独りで生き残ってきた事を意味します。そして、ルター派の彼氏達は儚く散った。
省20
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