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03『黒き女将の宿』 専用考察スレ
174:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/30(木) 04:25:40 ID:jmgTRxXw [sage ] >>173さん 大変面白い考察だと思いました! この曲の前曲もユダヤ教・カトリック・プロテスタントの存在を匂わせるものでしたし、 そもそも童話には173さんのいうように事実の暗喩が含まれていることも多々ありますし こうした解釈も十分出来ると思います。 以下は曲を歌詞どおりにとった場合の考察です↓ 歌詞の「贖罪の新鮮な食材」についてですが、 これは「贖罪(者)の(持っていた)新鮮な食材」という意味ではないでしょうか。 贖罪者=絞首刑にされた死体 です。 刑に処された、つまり贖罪をした犯罪者から取ってきた新鮮な肝臓ではないかと解釈しました。 また、ブラン子は自身も知らぬ間に女将の共犯者になっていたのではないでしょうか。 女将が取ってきた人間の肝臓を調理したり客に出したりすることは十分共犯と言えます。 それで宿屋が人間の肝臓を客に出していることが発覚した際、 女将がブラン子だけに罪を着せいでブラン子は絞首刑にされたのではないかと考えました。 そのためメルメルも「見に覚えのない罪」に対し、「事実であれ虚構であれ」と述べたのではないかな。 女将の「死体がないなら作ればいいじゃない」も ブラン子絞首刑にされるより以前に女将が既に絞首刑者以外の人間を手ずから殺して 肝臓を奪っていたのであれば矛盾しません。 ただ「オラの肝臓を返せ」が矛盾する・・・ 絞首刑にされたときに、目には目を形式で肝臓も抉り出されたとか。
175:ミロ 2010/12/30(木) 19:40:03 ID:6iJbNqCF [sage ] >>174さん 考察についてありがとうございます。 何より凄いのは陛下です。私が調べた範囲でも(歴史がベースにあるとした場合、歴史と)歌詞の矛盾が 全く見つからないのですから。この一曲だけでも、陛下のサンホラへの愛をものすごく感じる事ができました。 曲通りに取る場合(歴史がベースにあるという私の意見上では「童話」に当たる部分)、同意見です。 絞殺刑の死体は晒しものにするため、吊るされたままにされる事が通例でした。死刑直後の夜だと新鮮なレバーが取り放題。 夜は昔はほとんど人通りがなかったでしょうから「夜な夜な暗躍」すれば食材はすぐ手に入ります。小一時間ほどあれば 吊るされた人間から取る事は出来るでしょう。背中側に周り手を伸ばしてお腹に傷を入れ、肝臓を抜けば血も浴びないでしょうし そもそも吊るされっぱなしだと足に血がたまり、体部分には血はのこってないのかもしれません。 それを知らされず客に提供したぶらん子も、外から見れば共犯です。(「事実であれ虚構であれ」その1) 死体がないなら作ればいい=絞首刑の死体が足りなくなった時、女将が自ら殺人を犯す。それを「暴走」とし、 その「暴走」の時の殺人についての罪をぶらん子に着せた、とすれば筋が通るかと。 肝臓を盗んでいたとばれてしまっては宿が成り立たなくなってしまいます。 ですが、絞首刑の死体は晒しものにされ、罪人だ!と住民に外傷を付けられたり、鳥や獣に内蔵を漁られる事は普通でした。 というより、そのように惨めな姿になるぞ、とわざとその姿を見せつけることで、犯罪を抑制する効果がありました。 絞首刑の死体から肝臓が抜き取られていたとしても、そのような死後の傷に紛れるため(紛れさせるため)気付かれない。 ですが、殺人、しかも沢山の肝臓を必要とすれば殺人数も増えるので、流石にそちらは調査が始まります。 女将が怪しまれた時、殺人の罪をぶらん子に被せ、ぶらん子を絞首台に送り、その肝臓も強欲ゆえに抜きとったとすれば… ぶらん子には覚えがない。でも殺人は確実に起きている。(「事実であれ虚構であれ」その2)これで辻褄が合うかな?と…
176:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/30(木) 22:14:13 ID:ms9Xf7IJ [sage] >175さんへ 171です。 私が171で挙げた疑問というよりも意見に近いもの (治めている領主が〜)ですが、いまいちすっきりしないです。 175さんの『領主が○○なら、その村・街は丸ごと○○』という意見から、 女将がルター派でもおかしくはない、と私は思います。 もしくは、この男性達がカトリック側の人間、このどちらか。 『愛した』といっているので、同じ領地の出身者、 又は同じ宗教を信仰する領主が治める地域に住む男性でも、 変ではないですよね? 余所の宗教を信仰する村・街にお嫁に行くのって、175さんの考察を 読む限りではそれなりの覚悟が必要で、そして肩身の狭い思いをする 様に感じられます。 歌詞中に、女将が嫁に行ったとかは書いていないので詳細は分りませんが。 もしかしたら、肩身が狭いが『惨めなのは嫌』に繋がるかもしれません。 それならそれで、女将は改宗したという風に考えることもできますので、 最初からカトリックではなくなるので、なんだか話が繋がらないのですが…。 まあ、これは私だけのモヤモヤ考えですけど。 175さんの考察は、本当に興味深いのでアレコレ考えてしまいます。 否定ばかりでごめんなさい。 ファイルは見ることが出来ました。ありがとう御座います。
177:ミロ 2010/12/31(金) 03:16:43 ID:xu6qBaqr [sage ] >>176さん いえ、考察はさまざまな角度から検討されるべきものだと思います。ご意見頂ける事はとてもありがたいですので、 どんどんぶつけていただいて構いません。確かにこの考察では女将=カトリック教会、へ至った経緯が欠けています。 最初に、私の認識違いから、一部曲中の時代では存在しないであろう史実を引っ張り出してしまっています。 「住んでいる土地の領主の宗教が、住んでいる農民の宗教になる」という記述です。申し訳ありません。修正させてください。 この時代にこれが登場するのは間違いです。プロテスタントが別宗派として認められた時、同時にこの取り決めが決まったのであって、 プロテスタントが登場していないであろう曲中では、この取り決めは存在しません。カトリックしかヨーロッパにないからです。 ルターはあくまでカトリック教の一教徒であり、それに同調したルター派も、カトリック教会の腐敗を正したいというルターの考えに 同調しただけであって、カトリック教から抜けた訳ではないからです。考えが違うだけで、 カトリック教会(の腐敗である上層部)とルター派は同じカトリックです。腐敗を正したい一派がルター派として動き出していた。 (ルター派は最初、カトリック教会の腐敗を正す事を目指していただけで、新しい宗派を作る目的で動いていませんでした) ですので、女将(カトリック教会)と彼氏達(ルター派のカトリック教徒)が恋人でも不自然ではありません。同じカトリック教徒ですので。 ぶらん子がルター派からカトリックへ移った(村から女将に売られた)事から、 「住んでいる土地の領主の宗教が、住んでいる農民の宗教になる」が適応され、カトリックになったのだと誤解していたのですが、 ルター派もカトリックであり、正確に言うと「ルター派の主張を信じていたカトリックが、ただのカトリックに戻った」が正しいです。 いるのは皆カトリックであり、その中でもルターの考えを指示するかしないかで別れていただけなので、戻るのは簡単です。 ただルターの考えている「キリスト教の腐敗を正す」という考えに同調するのをやめればいいだけです。 申し訳ありません。これは私の引用間違いです。「領主の宗教が、農民の宗教になる」はこの曲では適応されません。 曲中でプロテスタントが別宗派として発生しないであろうとは考えていたのですが、ルター派の定義を勘違いし、 別宗派のように扱ってしまっていた所と、同じカトリックであると扱っていた部分があり、混乱させてしまいました。 お詫びとともに修正させてください。(長文なので一度切ります。)
178:ミロ 2010/12/31(金) 03:26:20 ID:xu6qBaqr [sage ] (続き) カトリック教会は腐敗している、信仰にのみ救われるべきだという志を持ち散った彼氏を、女将がルター派であれば誇りに思い、 名誉ある死として扱うのではないか?なぜ、「運が悪いのか、時代が悪いのか」と他人事なのか? まず女将はこう歌っています。「図太く生きてゆくには、綺麗事ばかりじゃないわよっ」 これは女将自体が綺麗事を嫌っている、自分は綺麗ではない、汚れてでも生きたと言う事です。 そして「クソババアが独り」という歌詞。これは独りで生き残ってきた事を意味します。そして、ルター派の彼氏達は儚く散った。 これを歴史に置き換えると、独り=ヨーロッパで唯一のキリスト教であったカトリック教、と取る事ができます。 ルター派の目的はカトリック教会の腐敗を正したかった、これが綺麗事に当たります。図太く生きる=お金儲けも必要、でしょうか。 他人事のような歌詞は、当初、ルターの主張を教会側はルターを破門するなどして退けていた事から、まさに一信者が騒いでいる、 他人事のように扱っていたからではないか、と推測しました。 以上から女将=ルター派を否定している立場…すなわちカトリック教会ではないかと言う考えに至りました。 おそらく曲中(ぶらん子が死ぬ前まで)では宗派は分裂していないと考えています。描写がないですし、 プロテスタントが別宗派として分裂していたら、女将のあの余裕はなかったでしょう。 分裂したであろうと推測できるのはぶらん子の死んだ付近…描写がすっぽり抜け落ち、ぼかされている部分だと思います。 あの描写の抜け落ちぼかされている部分で、童話と現実が違う動きをします。 おそらく現実ではカトリックとプロテスタントの分裂に伴う戦乱が起き、童話では女将の暴走の果て>>175のような行動を起こし… その点につきましては、今までの考察と変わりはありません。
179:名無しさん@何にするか募集中 2011/01/04(火) 19:05:50 ID:Y2PUE6p1 あの、本当に話ぶった切りで申し訳ないのですが、 大砲が吼えりゃ〜帰らなかったの所は、いったい誰が唄っているんですか? 誰と言うのは歌手さんのことでなく、話の中での役割と言うか、ぶらん子とか女将とか言う位置付けです。
180:名無しさん@何にするか募集中 2011/01/04(火) 19:07:25 ID:Y2PUE6p1 ↑すみません。 「大砲が吼えりゃ〜帰って来なかった」 の所です。
181:名無しさん@何にするか募集中 2011/01/05(水) 12:35:02 ID:3kpF7pya 横槍で失礼します。 話の流れにはまったくそぐわないぶっ飛んだ意見なのですが 「売られる前のぶらん子と女将は同一人物である」って説はどうでしょうか? 売られた「ぶらん子」は手を汚して(奇麗事ばかりじゃ〜のあたりから)のし上がり、 宿屋をかまえ「女将」となった。 そして女将は過去の自分に良く似た子を拾い、それが後半の「ブラン子」となった。 このときの宿屋があった場所、ブラン子を拾った場所は女将の故郷と推測します。 (こんな田舎で〜の台詞から) 死体料理が好評だったことに味をしめる女将。 昔貧しかった分、異様なほど金銭や食べ物に執着していたのか、さらに儲けたくなってついに人殺しを。 しかしその罪を問われそうになり、ブラン子になすりつける。 メルが話を聞いたのはこの「ブラン子」であったため、「身に覚えのない罪」が成立する。 復讐のはじまり→ブラン子が女将のもとへ。 以上、私の考察です。 また余談ですが、この仮説なら「必死に生きた〜」のあたりはブラン子・ぶらん子どちらもいえる台詞ではないかと。 女将もまた女将なりに「必死に生きた」という意味で。 変な意見ですみません…… 長文失礼しました。
182:NV 2011/01/05(水) 22:14:22 ID:oWLWmq4j >>178さんへ 以前、質問をした者です。 考察中に疑問に思った箇所があったので、質問したいと思います。 1,女将=教会、客=信者だとするならば、立場が逆転すると思います。 つまり、接客業(宿・飲食)である以上、普通は客側が有利になるのでは?という事です。 僕の解釈のせいかも知れませんが、何だか教会側が「発行してやってる」、 そして客は「贖宥状によって罪を軽くして頂いている」様に感じます。 何故、このような状態になっているのでしょうか? お教え頂けますよう、お願い致します。
183:ミロ 2011/01/06(木) 02:19:32 ID:3VZFz91N [sage ] >>179 歴史の揶揄が含まれている、と言う論で何に当たるか?と言う観点で見た場合でしょうか? とりあえず歴史の揶揄が含まれてる説での私の考えをお話します。 あの戦争の経緯が歌われている節は、現代に伝わっている農民戦争の状況と酷似しています。 その正しい戦争の経緯を歌える者は、戦況を見た者や戦況を教えてもらった者となります。 農民はほとんど帰ってこなかった事から、これができるのは農民に勝った側、歴史だと諸侯軍とその関係者です。 これは童話、歴史共通です。農民戦争で諸侯軍は蜂起した農民を抹殺し、その数は10万とも言われています。 服装もきちんとしているため、勝った諸侯軍側が童話でストーリーを伝える役を担ったのでしょう。 なお、カトリック教会や皇帝は農民鎮圧をほとんど行っていないため、女将は戦争の子細は知らないでしょう。 そのため、いきなり脈絡もなく新しいキャラ(諸侯)が登場する事になったのだと思います。 登場する諸侯は特定の諸侯ではなく、農民戦争の鎮圧を行った諸侯たちの代表でしょう。 男性と女性が歌っているのは、勝った側(諸侯軍)は家に帰る事ができ、夫婦で過ごす事ができた、 負けた農民側は帰れず、ぶらん子は売られた、と言う勝者と敗者、貧民層と裕福層の対比の意味もあるのかもしれません
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