下
08『磔刑の聖女』 専用考察スレ
105:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/05(土) 21:46:59 ID:DYS5VVUu ぶったぎり失礼します。 既出か確認したのですが見当たらなかったので……。 何故エリーザベトは「人形を抱いた男」が「メルツ」だとわかったのでしょうか? いえ、正確には、どうやって「人形を抱いた男」=「メルツ」と判断したのでしょうか? この曲中では、エリーゼがメルに話しかけるのは、エリーザベトが歌い終わった後です。 曲中で描かれてることのみで考えると、エリーゼはエリーザベトの前ではメルに話しかけてはいません。 私にはどうしてもエリーザベトが会った「人形を抱いた男」が「メルツ」であるとは考えがたいのです。 理由としては、エリーザベトの記憶の中のメルツと、今目の前にいるメルとでは、あまりにも外見が違いすぎることが挙げられます。 エリーザベト自身は「そんなになってまで〜」と言っていますが、いくら恋い慕っていた相手であろうと、髪の色や目の色、身長や声など、全てにおいて変わってしまった相手を、一目見て本人だと判じることができるでしょうか。 それはとても難しいことなのではないでしょうか。 抱いている人形にしたって、エリーザベトがメルツへ渡したあの人形とエリーゼとでは、少なくとも同じ人形には見えません。 むしろ、メル=メルツに至る共通点を探す方がてっとり早いかもしれないのですが、共通点といったら後ろ髪があること・人形を抱いていることくらいしか思いつかないです。 ここでメル=メルツでないとしてしまうと暁光の唄の方で矛盾が生じてしまいますが、そもそもそれはMarchenの定義づけから個々人で解釈が変わってしまいますので……。 「物語の策者は作為的な嘘で錯落なる幻想を紡ぐ」らしいですし、メル本人が言っていることも何処まで正しいかはわかりません。 皆さんはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。
106:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/06(日) 00:53:41 ID:AnSe4pBM ≫105さん そこはあまり深く考えなくてもいいんじゃないでしょうか。あくまでモデルは童話なんで、 『姿かたちは変わっても愛している人ならわかる』的なロマンチックな演出を陛下は好きそうですし、 聴いてる人も感動できると思いますよ。
107:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/07(月) 19:43:33 ID:WrgwHiTW >>106さん ありがとうございます ですが 私はベースが童話であろうとも あくまで曲中に論拠を探しているのです 少々きつい言い方になってしまいますが 私が感動できるかどうかは さしたる問題ではありませんし、私の判断ですし 私が感動できなくとも 106さんたちが感動できない訳ではありません 感動するものが同じであるとも限りません メル=メルツでないとすると また違った見方も出てきますので…… それに、私がうまく理解できていないだけで もしかすると単純な理由があるのかも知れないと思い質問させて頂いたのです 論拠がないのであれば他の解釈も可能だということに繋がりますから
108:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/09(水) 00:51:49 ID:LD7Rq7T4 [sage] >>105さん メルツ=メルヒェンと私が単純に見ていたことから理由を考えたので、ちょっと強引かもしれませんが…。 火刑の魔女〜磔刑の聖女までの各曲は、冒頭・復讐をそそのかす場面の2箇所で鐘の音が聞こえます。 冒頭部分では水の中を歩くような音もします。 イドへ至る森へ至るイドとMarchenにおいて、教会と井戸は重要なモチーフなので 鐘の音と水音は、それぞれ教会と井戸を表すと考えました。 冒頭部分とそそのかし部分を同じ場所とすると 「人形を抱いた男」は教会と井戸の近く(中?)にいるのではと思います。 「復讐劇を始めようか」の直後、エリーザベトが「いいえ」と答えるとき 場面転換の音はしないため、二人は教会と井戸の側で会話していると考えます。 磔刑以外の曲でも鐘が鳴っているため、「参詣の途絶えた教会」ではなく 「メルツの住んでいた教会」と「教会の井戸」と考えました。 (途中で胡弓弾きの場面が重なったり、エリーザベトの足音に水音がしなかったり 舞台が変わってそうですが、この部分ではまだ同じと考えました) 以上のとおり考えていくと、メルヒェンの姿だけでメルだと判りづらくても 教会と井戸という舞台が揃うとメルツを連想しやすくなるのでは?と思います。 また、私はエリーザベトが野ばらを植えた墓標は、メルツが落ちた井戸ではないかと思っています。 魔女として火炙りにされた女性の、殺された息子を公に弔うのは難しいように思うので 亡くなった(と思われる)場所に近い何かを墓標に見立てたと考えました。 エリーザベトがメルツのいた教会を知っているなら、側の井戸に野ばらを植えたかもしれないと思います。 もし教会横の、野ばらが絡んでいるのに咲いていない井戸の側に この世のものと思えないような男性が立って「復讐しよう」と誘うなら メルツと結びつけてしまうのも無理ないかなと思いました。 あとは、メルツとメルヒェンは似た感じのリボンで髪を結っていたのでは?と思います。 メルヒェンのリボンが見えるポストカードを持っていないので「似てる気がする」程度ですが…。 後ろ姿がエリーザベトに見えたか?も、ちょっと弱いですが、同じようなリボンならメルツを連想しやすい気がしました。
109:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/09(水) 13:40:09 ID:PipIrprx あの、話を途切れさせてすみませんが、エリーザベトの死因とはなんなのでしょうか? 私が聞く限り、キィン…みたいな何かが床に落ちるような(例えば銀食器のようなもの) あるいは、磔にするための手に穿つ杭を打つような音にも聞こえます。 他の女優達は斧で貫かれたり首吊りだったり入水自殺だったり大体予想はつくのですが、 エリーザベトの死因だけがどうしても分かりません。 よければ皆さんの考えを教えてください。よろしくお願いします。 即出でしたらすみません。
110:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/09(水) 15:03:22 ID:48lW+wel [sage ] >>109さん 恐らくは磔刑による餓死でしょうね。 磔にされた状態では誰かが食事を運ばない限り、飲食は出来ませんから。 お父様=お兄様が食事を運ばせなかったでしょうし、 そのまま餓死、というのが妥当かと思います。 聖女と呼ばれるのは餓死して骸骨に近い姿 (青髭の奥様のイラストのような…。)になるであろう彼女が 今にも生きているような姿で残っているから、というのも考えられますね。
111:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/09(水) 18:14:16 ID:qvvS1IV4 >>109,110 死因は磔刑と思いますが、磔刑の死因は餓死ではなく呼吸困難、或いは衰弱死と思われます 両手を縛る場合は横隔膜が引っ張り上げられての呼吸困難、釘を刺したりで傷付けての場合は衰弱死だった様な・・・ 何にせよ、磔刑は長時間苦しむ系の刑罰です 「キィン」の音ですが、其の音の直後に「おぉ、聖女様!」「此れでそなたの罪も…」といった台詞が聞こえますので、あの音は元となった童話「憂悶聖女」に準えて金の靴の落ちる音と思います あの音だけ、死因では無いっぽいのは気になりますが・・・
112:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/09(水) 18:44:39 ID:RsDx+3+1 [sage ] >>105さん 私なりに、エリーザベトがメルヒェン=メルツと気付いた理由を考えてみました。 ちょっと別の歌の考察も入りますが、ご了承ください。 もともとメルヒェンの顔の造りにはメルツの面影が少しは残っていたのでしょう。 でも、105さんの仰るとおりに髪も目も、背の高さも声も変わってしまっているために 他の集められた女優達と宵闇の唄に参加している段階では エリーザベトは「似てるけど、でも違うかもしれない……」と確証がなかったのだと思います。 宵闇の唄の「ああ、それは気のせいよ」のところで「気のせいじゃないわ」とエリーザベトらしき声が入りますが かなり小さい声で、効果音の関係でそう聞こえるようになっただけとも取れる声です。 これは、多分「屍揮者がメルツだ」という自信が持てず迷っていたから、大声で否定できなかったのではないでしょうか。 そして、屍人姫達は少なくとも自分より前に話している屍人姫達の話を、メルヒェンと共に聞いていたのではないかと私は思っています。 この理由は、「黒き女将」の曲中でぶらん子が「お菓子の家があったら、あったら本当によかんべな」と歌っています。 ぶらん子は「火刑の魔女」の話を聞いていたから「さっきの話のあったお菓子の家」を思い浮かべてこんな風に歌ったのではないでしょうか。 エリーザベトは最後の7番目の屍人姫なので、他の全員の話を聞いていた可能性があります。 そして自分の番になって、屍揮者の様子がこれまでと違う事に気がついたのではないでしょうか。 磔刑の聖女と、他の屍人姫達の曲とで違う所は 「メルヒェンが台詞ではなく、歌っている」 「死に至った理由を話し終えた後、何故かエリーザベトの行為に対して説教めいた、否定的な言葉をかけられた」 この二点が挙げられます。 前者は言うまでもないですが、後者については メルヒェンは基本的に、屍人姫達に話している時は彼女達を肯定しています。 唯一「薔薇の塔」では、残念ながら、と言っていますがこれは野薔薇姫の行動の否定ではありません。 メルツの面影が僅かにあり、自分の歌に声を重ね、(よりによってメルツへの想いを歌っている、約束という単語から) メルツへの愛の為に命を投げ出した事だけを否定してきた(聞き様によっては間接的に「自分は望まない」とも聞こえる言い方で) これで、エリーザベトは目の前にいる屍揮者は、自分が好きだったメルツだとやっと確信したのではないでしょうか。 >>109 磔刑の場合は、どうも窒息死するらしいです。 腕より上に胸を持ち上げないと息が出来ないとか、吸った息を排出できないとか……
113:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/20(日) 16:45:37 ID:ILI5dTir (ID違いますが、ID:PipIrprxの者です) >>110さん 成程・・・参考になります。 餓死して骸骨に近い姿になったとしても、 青髭の奥さんは絵では骸骨にはなっていませんでしたよね。 もしかしたらエリーザベトもその手かもしれないかと思います。 >>111さん 呼吸困難か衰弱死か、どちらにせよかなり苦しそうですね・・・ 音に関してですが、憂悶聖女については私も調べました。 私も靴が落ちる音かなとは考えたのですが、エリーザベトも女優に含まれているのなら、 他の女優達と同じように、死因の音であるはずです。 なのに、エリーザベトの死因が餓死、或は呼吸困難なら、あの音は辻褄が合わない・・・。 矛盾の罠って奴ですかね。
114:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/20(日) 17:45:23 ID:ERt856gn [sage ] >>113 もしかしたら、私だけなのかもしれませんが、 宵闇の唄のカウント時に、糸車の回るような音がするときって井戸子の番のような気がするんです。 靴の落ちる音は、Einsに重なるように、 鞭で叩く音は、Zweiに重なるように聞こえます。 ですが、糸車の回る音は、Dreiの前、どちらかというとVierに重なるようなタイミングで聞こえます。 井戸子は糸巻きを取りに井戸に飛び降りているので、糸車の音よりは水没音の方が死因の音っぽいですし、 初回版のイラストで糸車と一緒にいるのは野薔薇姫です。 ですが、野薔薇姫の番であろうDreiでは糸車の音は聞こえません。 この音なんですが、死因じゃなくて、女優達の物語に関わる音、なんじゃないでしょうか。 そうすると、井戸子で糸車の音がすることと、エリーザベトで靴の落ちる音がする事が矛盾なくつながる気がします。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
08『磔刑の聖女』 専用考察スレ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/Marchen/1292396891/l50