下
08『磔刑の聖女』 専用考察スレ
96:本の虫 2011/02/15(火) 21:47:18 ID:wUTsA8qj 流れを切りすみません バイオリンが流れて過去回想?の部分が、 鳥籠の「せめて私の〜」のメロディと同じだな...と。 即出ですかね;
97:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/17(木) 00:46:30 ID:pfyxkVyb [sage] いきなりですが自分の考察を・・・ 最期のほうのエリーゼが喚き散らす場面の効果音にザシャッザシャッという音があります。 あれは歩いている音と穴を掘っている音との二説が今あると思います。 そして私は穴を掘っている音だと思ってこれからを書きます。 エリーザベトと再会して記憶(記述)を取り戻してしばし放心するメル。 その後いきなりイドの底に穴を掘り出したので「様子がおかしいわ。」と喚き散らすエリーゼ。 まったく話を聞いてもらえなかった上に自分サイズの墓穴(死体は土へ)が用意されて取り乱すエリーゼ。 「イヤイヤ」と叫びながらも土をかけられ、最期の「イヤアアアアアアアア!」の時に完全に埋められ・・・「もういいんだよ・・・エリーゼ・・・」 という展開だと思っています。 根拠はイドの底にいるメルに何歩も歩くようなスペースがあるとは思えない事。 次曲の「暁光の唱」でイドの中からメルが出てくるような表現があること。(それはひかりの部分) からこう考えました。 ちなみにエリーゼはエリーザベトの人形+テレーゼの意思=エリーゼだと思ってます。
98:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/17(木) 09:20:20 ID:lBPFtTpm >>97 自分は普通に歩いてる音だと思います。 宵闇の唄の最後にも同じ足音が聞こえますし、各ヒロイン達の唄が始まる前の足音も向こうから近付いて来ています。 つまり、井戸の底で目覚めて宵闇の唄を歌い、終わってから彼等は女優達の元へ向かったのだと思います。 そして最後にまた、森と井戸へ戻ってきた。 別にずっと井戸の底にいた訳ではないと思います。 エコーは、最近のライヴ等の演出をみるに「人でない存在の声」の表現と思います。 タナトスや、〜トス系の似非にはエコーが常備されており、〜トス系の似非の時はエコーの消去も出来てました。 其の際、「爽やかな声も出るんです!」とか言ってたので、エコーは「声質」に分類されてると思います。 記憶を取り戻し、衝動が消え去った事で彼が復讐を手伝う人非ざる存在メルヒェンから、元のメルツという存在に戻っていったという表現が、声の変化と捉えています。 歌詞絵本の絵も、座った状態で動かなくなってるだけの絵ですし、埋めてはいないかなと思います。 しかしながら自分が1番良いと思う考えが良いって陛下も仰ってたので、エリーゼを埋めてたという解釈が好きなのでしたら、其れも良いとは思います。
99:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/18(金) 00:22:12 ID:Sr2N/UTK 初書き込み&ぶった切り失礼します。 今イドイドとmarchenのブックレットを読み比べしてて気づいたのですが、 光と闇の童話の最後にある七つの十字架の記号と磔刑の聖女の最後の「唯の【Elisabeth】」の部分のtって同じ記号ですよね…? これは一体何を指しているのでしょうか? もしスレ違いだったらすみません。
100:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/20(日) 21:19:09 ID:k+mp3YF6 初書き込みさせていただきます。 「鳥は空に〜」とあるのは、実際に鳥=鳩になって 飛び立つという奇跡が起きたからなのではないかと思いました。 ジャンヌダルクの火刑の絵などで見た事があるような。。。 そういう場に居合わせた人たちは、彼女が聖女だったと 思ったためにエリーザベトは「聖女」と言われているのではないかと。
101:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/27(日) 00:54:09 ID:MnZgpJYR 豚切り失礼します。 エリーザベトの噴怒の相手って皆さんは誰だと思いますか? わたしはメルツだと思うんですよね…。 というか、この曲のエリーザベト、なんか怖い…。 まるで自分がメルツに愛されていて当然のように話してませんか? メルツはエリーザベトに自分が向けていた思いが恋だということも知らなかったはずです。 まるで 『私があなたを愛していたのだから、当然あなたも私を愛していたでしょう?』 って聞いてるみたいで不気味です。 私が捻くれてるだけですかね…。
102:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/27(日) 01:17:02 ID:4tevmNVp [sage ] >>101さん 私は他の曲の罪を犯していたのは「復讐される側」ではないかと思っているので 磔刑の聖女の場合、メルヒェンがエリーザベトに復讐を勧めるであろう相手で、 曲中分かりやすく怒っていたお兄様だと考えています。 (エリーゼはエリーザベトに復讐される理由がないので除外) また、メルツに愛されて当然という件に関しては メルツとエリーザベトにとって「絶対迎えに来てね」と交わした約束が 「将来結婚しようね」 といった意味を持った約束だった場合は、エリーザベトが「メルは私を愛してくれていたはず」と思っていても不思議はないかと思います。 本当の意味での初恋をしているとはちょっと言いがたいような幼稚園の子でも「○○ちゃんと結婚する!」なんて言えますし メルに自覚はないですが、エリーザベトと一緒にいたいからエリーザベトと結婚したいな、 程度の感覚でも子供同士の結婚の約束は可能かと思います。 ただし、エリーザベトはメルツよりおませさんなのか、自分の恋心を自覚した上でメルのお嫁さんになりたいと思っていたでしょうから、 実はこの辺で微妙に温度差があったのかもしれません。
103:名無しさん@何にするか募集中 2011/02/27(日) 19:44:15 ID:ogkJPJML [sage] サンホラの音楽って普通のJ−POPより長めなのが多いので、 どの曲が一番長いか探してたときに気づいたんですけど、 磔刑と冥王が同じ8分9秒なんですよね(どちらもWMPで取り込み) 私の環境だけかもしれませんが、やっぱりなにかしらタナトスと 関係があるんでしょうか。
104:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/04(金) 13:07:41 ID:1H1BcdbP 解釈面で煮詰まってるみたいなんで閑話休題的にメロディーについて私が気付いたことをちょっと書いて見ますね 秒数かいてますけど環境によって違いがあるかもしれません、その辺ご了承くださいm(_ _)m 歌詞がある部分では使われてないのですが印象的な部分には鳥かごのメロディーが使われています 0:12からピアノソロが流れてますが 0:25でこのメロディーがなんなのかはっきりして「別れの日がある」の部分が使われてるとわかります 0:12〜0:25はそれの最後の部分が欠落したもので「別れの日が」までをつなげたもの 4:01でエリザーベトのセリフにピアノがかぶさってきますがこれも0:12からの流れと同じです もっとも冒頭よりも1音低くなってます そして、エリーザベトからメルへの語りかけが終わったところで回想シーンがはいります バイオリンのソロで「せめて私の代わりにこの子を一緒に連れていってね」を弾きます ここは>>96さんの指摘通りですが 4:51 絶対迎えに来てね、の別れのシーンにくると「別れの日」のメロディーにとって代わられています 6:29からは言うまでもなく鳥かごの後奏ですね で、それが終わる直前、ストリングスにかぶさるように6:51からピアノでまた「別れの日が」が流れます 永遠の別れを暗示してるのか、エリーザベトへの思いがメルの中で大きくなったのを暗示してるのかわかりませんが印象的な部分ですよね で、その後弦で急降下してエリーゼの愚痴タイム なによ、メル…のバックで光と闇の童話の4:23、宵闇の唄1:14に共通するピアノのメロディーをゆっくりにしたものが流れてます このメロディーは次の暁光の唄でも冒頭でオーボエの後ろで弾かれてるんですが全く意図がわかりませんorz んで、ああ!!もう!!と復讐を促して宵闇の唄のイントロへと繋がるも復讐は続かないと曲が終わる といった感じの構成のように思いました なんていうか…物語と音楽のシンクロが半端ないっていうのが正直な感想です この曲と暁光の唄はイドイドからのストーリーに直で繋がってることを実感しました いやぁ、よくできてる
105:名無しさん@何にするか募集中 2011/03/05(土) 21:46:59 ID:DYS5VVUu ぶったぎり失礼します。 既出か確認したのですが見当たらなかったので……。 何故エリーザベトは「人形を抱いた男」が「メルツ」だとわかったのでしょうか? いえ、正確には、どうやって「人形を抱いた男」=「メルツ」と判断したのでしょうか? この曲中では、エリーゼがメルに話しかけるのは、エリーザベトが歌い終わった後です。 曲中で描かれてることのみで考えると、エリーゼはエリーザベトの前ではメルに話しかけてはいません。 私にはどうしてもエリーザベトが会った「人形を抱いた男」が「メルツ」であるとは考えがたいのです。 理由としては、エリーザベトの記憶の中のメルツと、今目の前にいるメルとでは、あまりにも外見が違いすぎることが挙げられます。 エリーザベト自身は「そんなになってまで〜」と言っていますが、いくら恋い慕っていた相手であろうと、髪の色や目の色、身長や声など、全てにおいて変わってしまった相手を、一目見て本人だと判じることができるでしょうか。 それはとても難しいことなのではないでしょうか。 抱いている人形にしたって、エリーザベトがメルツへ渡したあの人形とエリーゼとでは、少なくとも同じ人形には見えません。 むしろ、メル=メルツに至る共通点を探す方がてっとり早いかもしれないのですが、共通点といったら後ろ髪があること・人形を抱いていることくらいしか思いつかないです。 ここでメル=メルツでないとしてしまうと暁光の唄の方で矛盾が生じてしまいますが、そもそもそれはMarchenの定義づけから個々人で解釈が変わってしまいますので……。 「物語の策者は作為的な嘘で錯落なる幻想を紡ぐ」らしいですし、メル本人が言っていることも何処まで正しいかはわかりません。 皆さんはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。
上
前
次
1-
新
書
写
板
AA
設
索
08『磔刑の聖女』 専用考察スレ http://gukko.net/i0ch/test/read.cgi/Marchen/1292396891/l50