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09『暁光の唄』 専用考察スレ
9:sage ◆jMi6TPqJHg 2010/12/17(金) 20:32:02 ID:Zc9MRoVF 書き込み失礼します。 摂理(かみ)を裏切り続けたっていうのは キリスト教のカトリックは イエス=キリストが夫として 一生処女を守り抜くじゃないですか イエス=キリストを愛し、尊敬し続けなければならないのに イドを愛してしまったってことなのかな・・・と思いまして、 だから《彼以外もう愛せない》・・・?
10:mmm 2010/12/17(金) 21:23:40 ID:QrKaHHM0 もしかして光と闇の童話で子供たちが見つけたのって、メルの骨?
11:宙 2010/12/17(金) 23:01:08 ID:2f3Pt8YR >>10 多分光と闇の童話の本ですね。ブックレットの最後のページで井戸の近くに落ちてる物です。 見つける⇒本が開く音⇒童話の世界へ といった感じで、イド森とメルヒェンの通しでループ構造になってるんじゃないでしょうか。ロマンのように。
12:底 2010/12/17(金) 23:25:52 ID:rA/364AK 急な書き込み失礼します 既出かも知れませんが「必ず其処で会おう」の「其処」について。 一種の言葉あそびのようになってしまうのですが単純に「底」と考えたらどうでしょうか。 「必ず底で会おう」 つまり、井戸の底で会おう、と。 イドイドやMerchenでは井戸=死の世界というとらえ方があるという前提なんですが、 皆さんがおっしゃっているように君=エリーゼ、エリーザベトだとしたら 「死んだら必ず会おう」という意味にとることはできませんか? 復讐をしている間、もしくはその前からメルメルは何となく 自分が「死ななければならない」=「迎えに行かなければならない」ということを感じ取っていたのではないでしょうか? 記憶の奥底にエリーザベトとの約束は常にあった、という感じで…
13:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/18(土) 01:33:55 ID:oZ/qWrfM [sage ] >>12さん 非常に面白いと思います。 ただ、磔でエリーザベトは次の別れこそ永遠と言っているのが気になります・・・ 光と闇と、暁光では其処という物の意味も違うのでしょうか? それとも、メルは次の別れがあったとして、それでも逢えると信じているのでしょうか・・・?
14:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/18(土) 16:52:59 ID:XxwmL7DW なんていうか個人的な感想なのですが、 ヌッティが、死んだ息子の為に自分を復讐の対象者にしている気がしてます メルがエリーザベトっていう光に辿れるように・・・ ない?
15:もゆる 2010/12/19(日) 09:14:11 ID:vEdVdE7B 『其処で逢おう』=『底で逢おう』=『井戸の底で逢おう』 ってことかな、と私は思いました^^
16:だれか 2010/12/19(日) 12:47:30 ID:kMizFvSB たしか、原作の「憂悶聖女」は磔にされたあと死んでしまって 聖女になったそうです。ですから、メルとエリ−ザベトの永遠の 別れの理由はエリーザベトが聖女になったからではないかと、 私は思いましたね; なにこれ適当・・・・・Orz
17:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/20(月) 01:52:32 ID:5CZUKRJr [sage ] >>5 「摂理を裏切り続けた」はその後に続く「夜」にかかっていると思うのですが…。 つまり、メルやエリーゼが暗躍してた復讐劇の夜のことかと。
18:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/20(月) 21:22:14 ID:fo+nEdS5 >>14 あーなんかそれいいですね。 反抗期の息子の憎まれ役を買う母親みたいな感じでしょうか…
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