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09『暁光の唄』 専用考察スレ
4:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/17(金) 01:32:07 ID:bkSL9QNv 私も陛下→聞き手をかけているものだと思っていました! また 「其処」は眩いその時代=私たち聞き手が生きている時代(ぶっとびすぎ)かな?と もしかしたら 其処と底もかけているのかなとイドイドの時点では考えていましたが、今回の暁ではそんなくらい表現はするのかなとも思いますが。 イドイドと今回のこのメッセージは別な意味を持つとか?
5:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/17(金) 01:45:10 ID:LbwD2xm0 私もそこは引っかかっていました。 確かに、エリーザベトに罪はないように思っていたのですが、磔刑の聖女の方で「摂理を裏切り続けた」と言っているので、何かしらの罪を背負っているのかも知れません。 また、罪を重ねながら恩寵や未来やその他諸々を求めたと言う所も、メルヒェンとエリーゼと言うよりは、メルツ(メルヒェン)とエリーザベトの方がしっくり来るような来ないような……。 うーむ、難しい。
6:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/17(金) 02:24:07 ID:tzYskEu5 >>5 幾つもの罪はメルヒェンとエリーゼの復讐劇の事かと思ってましたが、確かにそうも考えられますね。 そういえばメルメルの一人称ですが、 宵闇の唄だと「私」ですが、暁光の唄だと「僕」になってますね。 メルヒェン→私 メルツ→僕 と考えると、メルヒェンが浄化?されてメルツに戻り、エリーザベトに語りかけている、という感じでしょうか。 歌の雰囲気で一人称を使い分けてるとかだったら、この説は終わるんですが(汗)
7:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/17(金) 05:44:01 ID:H3Ci77Sd 書き込み失礼します。 私も「僕達」に関しては、メルとエリーザベトかと思いました。 エリーザベトの罪は何だったのかと考えると。 たしかイドイドの鳥籠で、エリーザベトは一度死んだ状態に陥り、 その後に生き返ったような解釈があったと思います。 (「土の下に埋められたはずの〜」のところです) なので、磔刑にも出てくる「摂理」を自然(神)の摂理だとすると、 死人が生き返り人生を歩んでいくことは十分摂理に反していると思います。 あと本人に選ぶ権利はなかったとはいえ、近親間の子供なのも含まれているのかな、と。 暁光の唄の「摂理」も同様かと思います。 もっと生きていたいけれど、死んだ者が生き返ることは神は赦さない。 なのでこの歌の 「キミが今笑っている〜」はエリーザベトへの生まれ変わったらまた会おうという想いと、 「君」ではなく「キミ」となっていることから、私たち=聞き手ともとれるかなーと思いました。
8:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/17(金) 18:11:33 ID:LbwD2xm0 >>7 確かに、イドイドでエリーザベトが生き返ったっぽい所ありましたね! 本当は死んでいる筈なのに、生者として在り続けるエリーザベトと、死して尚、この世に留まり続けるメルツ(メルヒェン) 確かに罪としては十分ですね。 おぉ、スッキリ!!
9:sage ◆jMi6TPqJHg 2010/12/17(金) 20:32:02 ID:Zc9MRoVF 書き込み失礼します。 摂理(かみ)を裏切り続けたっていうのは キリスト教のカトリックは イエス=キリストが夫として 一生処女を守り抜くじゃないですか イエス=キリストを愛し、尊敬し続けなければならないのに イドを愛してしまったってことなのかな・・・と思いまして、 だから《彼以外もう愛せない》・・・?
10:mmm 2010/12/17(金) 21:23:40 ID:QrKaHHM0 もしかして光と闇の童話で子供たちが見つけたのって、メルの骨?
11:宙 2010/12/17(金) 23:01:08 ID:2f3Pt8YR >>10 多分光と闇の童話の本ですね。ブックレットの最後のページで井戸の近くに落ちてる物です。 見つける⇒本が開く音⇒童話の世界へ といった感じで、イド森とメルヒェンの通しでループ構造になってるんじゃないでしょうか。ロマンのように。
12:底 2010/12/17(金) 23:25:52 ID:rA/364AK 急な書き込み失礼します 既出かも知れませんが「必ず其処で会おう」の「其処」について。 一種の言葉あそびのようになってしまうのですが単純に「底」と考えたらどうでしょうか。 「必ず底で会おう」 つまり、井戸の底で会おう、と。 イドイドやMerchenでは井戸=死の世界というとらえ方があるという前提なんですが、 皆さんがおっしゃっているように君=エリーゼ、エリーザベトだとしたら 「死んだら必ず会おう」という意味にとることはできませんか? 復讐をしている間、もしくはその前からメルメルは何となく 自分が「死ななければならない」=「迎えに行かなければならない」ということを感じ取っていたのではないでしょうか? 記憶の奥底にエリーザベトとの約束は常にあった、という感じで…
13:名無しさん@何にするか募集中 2010/12/18(土) 01:33:55 ID:oZ/qWrfM [sage ] >>12さん 非常に面白いと思います。 ただ、磔でエリーザベトは次の別れこそ永遠と言っているのが気になります・・・ 光と闇と、暁光では其処という物の意味も違うのでしょうか? それとも、メルは次の別れがあったとして、それでも逢えると信じているのでしょうか・・・?
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