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【8】『聖なる詩人の島』専用 考察スレ
25:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/13(土) 00:11:41 ID:qQs79wla0 盲目で思い出したんですが、「辿りつく詩」で 「運命よ…例えお前がこの瞳から光を奪い去ろうとも、この唇からは詩を奪えない」というのがありましたね! 直接関係はしない曲だと思いますが、陛下の遊び心が入ってるなぁと思いました。
26:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/15(月) 13:43:35 ID:WUIHHrlK0 ソフィの「愛した人」は遥か地平線の彼方へのミロスなんじゃないかな、と思いますがどうでしょう。 ミロスからだと唯知り合い扱いですが…
27:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/15(月) 21:29:24 ID:wKCFIlJl0 >21 "彼女にも"のコーラスは気になりますよね 個人的にはフィリスのことを言っているのではないかと思っています レスボス島自体が聖域という、どこか厭世的な場所と言うこともあり 其処にいるフィリスにもレスボスに至る過去があったと考えるのが妥当だと思います。 それでもソフィー自身にもそういう過去がありそれをどこか俯瞰してみているという節もあります。 フィリス(愛)とソフィー(知)という名前の結び(あわせて哲学)も多少因縁めいているので 自己投影も多少あり気で、フィリスの過去を語っているシーンだと考えると一番しっくり来るような気がします。 本筋の解明に繋がらないんですが…;
28:藍 2008/09/18(木) 17:28:17 ID:RmZyxwY40 「愛した人」については、ソフィ自身の過去だと解釈しています。 愛する人を喪う哀しみを知っているからこそ、ミーシャを励まして「愛」について語れる 「聖女」にはなれたのではないでしょうか。 フィリスも同様に、「愛した人」はいたと思います。 フィリスの場合は恋人とは引き離されて別れた(相手の生死不明)とかかもしれません。 それなら、兄と離れ離れになってしまったミーシャの気持ちも理解できるのではないかと。
29:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/19(金) 17:58:27 ID:U8A11T9v0 メインボーカル誰でした?
30:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/19(金) 18:09:07 ID:6gsOE4gw0 >>28 生死不明ではなく、恐らく既に亡くなっているかと されど(今は)遠くへ(彼岸へ)行ってしまったわ と歌っているので…
31:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/21(日) 13:59:54 ID:zbYUl87q0 流れをぶった切るようですいません。 ソフィアの愛した人って女性だと思うんですが・・・。 レスボス島って女性同士の同性愛の語源になってるようですし。 愛した人(=女性)は遠くへ行ってしまった(=死んでしまった) では?
32:名無しさん@何にするか募集中 2008/09/30(火) 00:01:59 ID:lZqiK/USO もしかしたらですけど 「愛した人がいたのよ」 の部分は、フィリスさんの語りなのではと ボーカルについては詳しくはわかりませんが 内容自体がソフィ先生の過去だとして 自分の事を他人事みたいに 「彼女にも」 とは言わないでしょう フィリスが心を閉ざしたままのミーシャに こっそり先生の過去を教える 先生の愛した人はもう彼岸へ逝ってしまったけど 貴女の愛した人は、まだ生きているかもしれない そうやって、フィリスなりに支えたのではないでしょうか
33:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/08(水) 23:26:54 ID:jF3hSRrH0 >>29 ソフィア先生ですよね。おそらく岩崎良美さんではないかと・・・ >>31 確かにレスボス島はレズビアンの語源なのですが、 レスボス島出身の方の作品から取られた物で、 レスボス島の住民が全て同性愛者だと言うわけではないと思います。 それに今となっては地元の方は嫌がってるみたいで、 そんなデリケートな問題を陛下が仕掛けにするかなーという疑問はあります。 参考>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%82%B9%E5%B3%B6 ただ、女性であった可能性もありますね。 >>32 その解釈は思い付きませんでした。それとても良いですね! レスボス島の人々の暖かさやフィリスの思いやりが伝わってきます。 歌詞は辻褄が合いますし自然です。 ボーカルはソフィア先生(岩崎良美さん)にかぶせて他の方が歌ってらっしゃる気がしますし。
34:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/09(木) 10:28:43 ID:KeqnZ6lx0 >>32、33 「記憶の水底」と言っているので、もしかしたらソフィ先生が「愛した人がいた」事を忘れてしまっている可能性もあるかな〜? と、考えてます。 「かつて〜逝ってしまったわ」までが水底に眠る記憶。 「愛とは〜」が、愛…と言うか女性であるという事を売り物にしていたヘタイラ達のところで「愛って何だろう?」 みたいに思ってたミーシャに対し、体験は忘れてしまったけれども、覚えていた感情から出た言葉ではないかな?と。 「愛とは〜」の発言が「歓びと哀しみの葡萄酒」の「女は政治の道具じゃない」の発言に似ていたので、 ソフィ先生にも何か忘れてしまいたいような壮絶な物語があったのかなぁ?と思っただけですが。 「そうね」や「彼女にも」の部分は歌ってる方が違うので、事情を知ってる誰か・・・ それこそフィリス辺りが体験故に視力を失ったミーシャにソフィ先生と似たものを感じて、彼女に語ってるのかもしれませんね。 ただ、「哀しみさえ糧に出来る女になりなさい」と言っているので、 「記憶の水底」の意味は表面上は忘れた、過去の出来事の様に振舞っているけど、本当は今でも「失った」という傷が彼女にはある… という事かもしれませんが・・・
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