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【8】『聖なる詩人の島』専用 考察スレ
34:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/09(木) 10:28:43 ID:KeqnZ6lx0 >>32、33 「記憶の水底」と言っているので、もしかしたらソフィ先生が「愛した人がいた」事を忘れてしまっている可能性もあるかな〜? と、考えてます。 「かつて〜逝ってしまったわ」までが水底に眠る記憶。 「愛とは〜」が、愛…と言うか女性であるという事を売り物にしていたヘタイラ達のところで「愛って何だろう?」 みたいに思ってたミーシャに対し、体験は忘れてしまったけれども、覚えていた感情から出た言葉ではないかな?と。 「愛とは〜」の発言が「歓びと哀しみの葡萄酒」の「女は政治の道具じゃない」の発言に似ていたので、 ソフィ先生にも何か忘れてしまいたいような壮絶な物語があったのかなぁ?と思っただけですが。 「そうね」や「彼女にも」の部分は歌ってる方が違うので、事情を知ってる誰か・・・ それこそフィリス辺りが体験故に視力を失ったミーシャにソフィ先生と似たものを感じて、彼女に語ってるのかもしれませんね。 ただ、「哀しみさえ糧に出来る女になりなさい」と言っているので、 「記憶の水底」の意味は表面上は忘れた、過去の出来事の様に振舞っているけど、本当は今でも「失った」という傷が彼女にはある… という事かもしれませんが・・・
35:藍 2008/10/26(日) 01:30:04 ID:0zbrUj5p0 ソフィアは自分の「愛した人」は、ちゃんと覚えているかと思います。 ただ、それはもう遠い昔の出来事……という意味かなと。 「嗚呼、悲しみは〜」「嗚呼、苦しみは〜」と歌詞にあるので、 悲しみや苦しみに囚われる心は、レスボス島の水底に沈めて 人々に生(愛)を歌う詩人として生きていこうとソフィアは思ったのでしょう。 ソフィアは自分の悲しみさえ糧に出来る女性だから、ミーシャの悲しみを癒して これからの生き方を示すことが出来たのだと思います。 「彼女には」ではなく「彼女にも」と言ったのは、自分にも「愛した人」がいたということ。 相手が同性か異性かは判りませんが、ソフィアとフィリスも愛した人を失った過去があって、 悲しみと共に「愛した人」との思い出を糧にして、生きているのだと解釈しています。
36:名無しさん@何にするか募集中 2008/12/10(水) 22:05:26 ID:LC2ObTI90 >>35様へ 私は、ソフィアは「愛した人」を解らないと 思っておりました。 (Tha bottom of the water of memories)は 【記憶の水底】 ですので…記憶がわすれてしまったのだと思っております。 私は、「嗚呼、悲しみは〜」「嗚呼、苦しみは〜」は ミーシャに対して言っているのかと思っておりました。 ミーシャが入ってきてからソフィア先生の声が入ったので ミーシャは多分私が思ってたのは、目が見えなかったのだと おそらく思います。 ソフィア先生がミーシャが不思議な力を持っているのを見抜き ミーシャが生きる道は星女神?にしたんでは無いでしょうか? 「彼女には」「彼女にも」は、私は最初フィリスだと思っておりました。 ですが、フィリスには愛する人が居ます。だから、違うんではないでしょうか? フィリスは、オリオンが愛する人だと思ってます。 オリオンがレオンのお父さんを殺すのは、フィリスが持っている弓は、愛する人では なければ、たくすことができませんなのでそう思っております。 「彼女には」は、ソフィア先生だとわかっておりましたが…私は、「彼女にも」 はフィリスではないと思っております。 失礼します。
37:藍 2008/12/11(木) 11:12:31 ID:lniN1DnJ0 フィリスの愛する人=オリオンとするには、時間軸がズレてしまうと思います。 ミーシャがフィリスに助けられてソフィアに会ったのは、嵐でエレフ&オリオンとはぐれた後。 この時点で、彼岸へ逝ってしまったわ…なのでオリオンではないと思います。 オリオンが死んだのは、ミーシャが生贄にされた後で、蠍殿下に利用される→抹殺なので。 ソフィアが愛する人を覚えていると思うのは、高級遊女の二人が「敬愛する詩人」を「ソフィア」と 言っているからです。ソフィアに愛する人がいなかったり、忘れてしまうようでは、色恋に手馴れた 彼女達がソフィアを敬愛したりしないでしょう。ソフィアは恋愛の酸いも甘いも経験した大人の女性で、 現代でいえば女流作家のような感じではないでしょうか。
38:名無しさん@何にするか募集中 2008/12/11(木) 14:02:21 ID:/Q2VyeVj0 33の方が仰られてる「レスボス島出身の方」というのはギリシャの女流詩人サッフォーのことですよね。 「ソフィア」とも何となく音が似ているし、私はそのサッフォーがソフィア先生のモデルなのではないかなと思っておりました。 従って、ソフィア先生の愛した人=女性、という解釈だったのですが…… また、ソフィア≒サッフォーだけでなく、ミロス≒ホメロスですよね。 彼らの著書もエレフセイア≒オデュッセイアで類似していますし…… やはりサッフォーとホメロスがモデルになっていると考えても良いように思います。 その点から見ても、ソフィア≒サッフォー→ソフィア先生の愛した人=女性、という考え方は不自然ではないように思いますが…… 乱文失礼しました……!!
39:名無しさん@何にするか募集中 2008/12/11(木) 14:46:13 ID:myXWt7TX0 サッフォー(サッポー)さんが、同性愛者というのは あくまでも仮説であり、実際にそうだったのかという確証もないので サッフォーさんが同性愛者なので愛した人=女性とは思えないのです……。 確かに詩の中で、女性の友人などにも大体な詩を作っていますが、 弟にもかなり熱烈な表現の歌をささげていることから そういう作風であったと解釈しています。 ギリシャでは男性権威の社会でしたが、レスボス島では 男女平等の考えがあり、レスボスの女性たちの教養は高かったと言われています。 なので、女性が敬愛する詩人という地位になったのだと思っています。 私も解釈としては32様の解釈が一番近いです。 そしてソフィア先生のモデルがサッフォーならば愛した人は サッフォーの旦那様かなと思っています。
40:名無しさん@何にするか募集中 2008/12/11(木) 15:44:05 ID:ZKHRUk5D0 >>37様へ こんばんは 確かに…オリオンだと時間軸ずれますね…。 ふむふむ…。 はい…そうですね あぁ!!そうでした!!!きちんと読んでいなくて すみません;; 多分藍様が考えがあっているきがします! 変なところに返事してしまって すみません>< それでは
41:名無しさん@何にするか募集中 2009/01/05(月) 02:16:23 ID:BvzJxCyk0 初めまして^^ 割り込んできてすみません;; 『歓びと哀しみの葡萄酒』がありますよね。 それって少しソフィア先生に似てませんか? あ、だといっても全部とか曲とかじゃなくてですね。 歌詞がです。ところどころがちょっと似ているなーと思いまして 「嗚呼…女は政治の道具じゃないわ…」てところが 『まして子をはらむ為の道具ではない』に似てませんか?? あと、「愛する人と結ばれてこそが人生」が 『かつて 烈しく 愛した人がいたのよ…』てとことか…。 「されど…それさえ侭成らぬのが貴族」は 『されど 遠くへ 行ってしまったわ』に似てますね? だから、何か関係がありそうだなと思いまして^^ でも関係なかったらすみません;;
42:みかぜ 2009/01/05(月) 11:06:32 ID:5yoQhTGy0 >>41 それは領主様の表現したい、「愛」とは何か、というのを共通のテーマとした二曲だからではないでしょうか。 「それを愛とは呼ばない」などのフレーズが何曲かで使われており、「愛」と銘打って利用することへの批判?のような ものを、領主様は感じていると思うんです。 そういったものが作品にあるだけで、曲の解釈やストーリーのつながりという点では、その二曲はあまり関係がない気がします……。
43:名無しさん@何にするか募集中 2009/01/14(水) 10:28:54 ID:Tcqnwp9U0 今まで読む専だったのですが(考察苦手)気になったので一言。 >かつて(そうね)…〜あたりの話題について そうね、誰より、今は、彼岸へ=シモツキン?パート=三女 彼女にも=MIKI?パート=四女 …と、女神が被せているのではないか(神話で、語り手・謡い手は我等って言ってますし) もしくは、シモツキン?パート=メリッサ MIKI?パート=カッサンドラ …の二人が言っている(どこでどのようにかは解りませんが;) のどちらかだと思います…が、どうでしょう?
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