【6】『雷神域の英雄』専用 考察スレ
36:2008/09/18(木) 23:59:31 ID:RmZyxwY40
確かに>>34さんのような解釈も出来ますよね。

世界を統べる王になりたいと野望を抱く諸王が、
雷神の眷属レオンを倒す=雷を制す、と解釈して侵攻を行ったり
スコルピウスはその理由もあってレオンを殺そうとしていたのかもしれません。

省12
37:342008/09/20(土) 11:28:40 ID:z9CeEj570 [sage]
私が抱いた疑問は、なぜ諸王が他国の王族の生き死にに悩むのかということです。
太陽 闇 蝕まれし日 生まれ堕つる者 破滅を紡ぐ という神託ですが、
自国の王族にそれぞれそういう子が生まれていたり、その子以外に
その国に跡継ぎがいなかったりするなら話は別だと思いますけれど、
実際にはレオンがいますし。
戦乱が多かったようなので、隣国すべて仲良し子良しで心配しあって
省11
38:2008/09/20(土) 22:59:33 ID:SfYSNf3s0
>>34さん「破滅を紡ぐ」の、齎される「破滅」が自国のみではなく他の国にも及ぶ
可能性もあるからではないでしょうか?「解釈が自由が故、諸王は悩むのだ」って、ありますし・・・。

>>35さんの仰るように、すべての神託に諸王は悩んでいたと思います。
39:2008/09/20(土) 23:24:21 ID:SfYSNf3s0
忌み子についても諸王が悩んでいたとしたら、の場合ですが。
王子・王女のみならず、その日に生まれた子供全てを「忌み子」と考え抹殺せねばならないと
考えた王もいたのではないでしょうか。その日に生まれた子を皆殺しにすれば破滅は防げるけれど、
戦乱の世の中で、戦士や奴隷となる人口が減るのは王にとって問題(悩む原因)だったと思います。

またレオンの母のように、既に子供がいても生まれた子に破滅の神託が下れば悩むのが
省7
40:名無しさん@何にするか募集中2008/09/23(火) 00:00:39 ID:m1YbrEha0
>>34さん
私もどの神託にもそれぞれ悩む部分はあると思っています。

1番上の地図にもありますが、この世界では国ごとに異なった神を崇めているので、
この曲の神託はアルカディアの神である雷神が授けた可能性が高いと思われます。
他の国がこの神託を知ったとしても、他国の神託を信じるということは
省18
41:名無しさん@何にするか募集中2008/09/23(火) 13:31:00 ID:bVPNQoDf0 [sage]
私はこの曲の前半は「運命の双子」か、もしかすると「奴隷達の英雄」辺りと同じ時系列で、
後半のオルゴールの伴奏以降は、「レオンティウスの回想」ではと思っています。
イサドラやポリュデケウスの言葉は、既に一軍の指揮を取る英雄ではなく、
まだ兄弟の概念すらあやふやな"少年"に向けられたもののように感じるからです。

自分には兄弟が生まれた記憶があるのに、「神託」のせいで「なかったこと」になっている。
省19
42:名無しさん@何にするか募集中2008/09/24(水) 12:16:23 ID:mYpHUqRz0
初めまして。若輩者ですが、そっと私的な解釈を。
流る星、ですが、これは13曲目にある「流る星」と同じで、「英雄たち」という意味かと思います。
数多の英雄が散っていく中で、「鉄を鎧う獣(エレフ)」が神(運命、もしくは死?)に抗うべく立ち向かう、
ととりました…。

43:名無しさん@何にするか募集中2008/09/24(水) 21:10:31 ID:jQkKs1uK0
神託についてですが、

「雷を制す者 世界を統べる王となる」=アルカディアの雷神の血を引く一族が『世界を統べる王』となるだろう

「太陽 闇 蝕まれし日 生まれ堕つる者 破滅を紡ぐ」との神託が示した日に、よりによってアルカディアに双子が誕生してしまった
→世界は破滅に向かうだろう、という意味に取られたのではないかと思います。
省11
44:名無しさん@何にするか募集中2008/09/24(水) 22:58:04 ID:gpaa/7c70
はじめて書き込みさせていただきますが、
『太陽 闇 蝕まれし日』というのは、日蝕のことなのかな、と思いました。
日蝕はよく、災いの前兆的な扱いをされていますし。
正しい知識は無いんですが…、何か参考になればと。
45:名無しさん@何にするか募集中2008/09/25(木) 00:58:30 ID:YEv9GvxL0
初めての書き込みです。
高校で世界史を勉強している者ですが、『神託』とは『デルポイの神託』のことではないでしょうか?
ご存知でない方はウィキペディア等で調べていただくのが一番だと思いますが、簡単に言うと
『デルポイの神託』とはギリシア神話にも登場する、巫女を介した非常に抽象的な『神様のお告げ』のことです。

抽象的であるため解釈は完全に受け手しだいとなり、そういった意味での『解釈の自由が故 諸王は悩む』
省7
1-AA