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【2】『人生は入れ子人形』専用 考察スレ
76:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/03(金) 19:45:31 ID:3DTMpiTJ0 [sage] ハラショーおじさんを支えた家族の存在。 >>74さんのおっしゃるとおり、家族の(記憶)にものすごく納得しました。 それとは、別に疑問があるのですが…ハラショーさんが母の形見の叙情詩に どのような形で支えられたのかが今だに謎なのですが…。 叙情詩の内容が、レオンやエレフのことを語ってるのだとしたら どう考えてもハラショーおじさんの励みになる内容が見つからない気がして。 運命は残酷だ されど彼女を恐れるな 女神が戦わないものに 微笑むことなど 決してないのだから 確かにこの節は、めげそうになるハラショーさんを支えるに足る言葉だとは 思うのですが、それを掲げたレオンの行く末を思うと 戦った末に、何を得たのかという気もしますし。。。 エレフにしても、確かに奴隷達の英雄となりて自分の運命に逆らおうと していたが、結果冥王となってしまったような部分もあり 消して戦ったがゆえに何かを勝ち取ったわけでもないので。 (むしろ失ったものの方が多い気が…) あの叙情詩から何を得たのかが今だに不明です。 もしも、この叙情詩を語る母の言葉を現実のものとしようと 物語から、歴史へと証明させるべく遺跡を発掘しているにせよ 苦しい日々の生活を乗り越える糧になるとは到底思えず…。 皆様は、どのようにお考えなのでしょうか? よろしければ、色々教えて頂きたいです…!
77:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/04(土) 13:49:00 ID:gPdXh5d/0 [sage] >>76 「最終的には破滅の運命なのだから、頑張るだけ無駄ではないか」という考えはそれこそ「運命は残酷だ されど〜」の一説と真逆の考え方ですよね。 何を得たのか、という点はこの場合重要ではないと思います。 戦ったからと言って女神が微笑むわけではない、されど戦わなければ決して微笑むことは無いという考えでよいのではないでしょうか。
78:名無し 2008/10/06(月) 14:33:11 ID:lp3oy5nM0 はじめまして。一回きりの投稿で止めとこうと思ってます。 えっと、今更お母さんの生死談義に口を挟むのですが…汗 個人的には、この場合「旅立つ」とは彼岸へではないかと思ってます。 お外にでてくのではなく…。(ムリが祟ったら外出なんてできないと思うんです。娼婦の格好ですし。) 亡くなることを、「新しい旅路」っていうこともありますよね。(日本語の問題ですが…) だから、お母さんは、生きてはいないのではないかと思ってます。 余計でしたらすいませんでした。
79:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/07(火) 01:42:10 ID:6XW0ADrC0 >>72 私は愛した二人=父と母ではなく 父と末妹の二人だと解釈していました。 だって、はらしょーおじさん視点の歌ですから…
80:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/08(水) 17:31:38 ID:mSwb4Bz9O 歴史の舞台にたたせたいー の辺りにセリフありますよね? 全然きこえなくて… 〇〇〇〇〇〇〇についてこい かな?
81:K 2008/10/12(日) 15:00:01 ID:ZBMb9ol00 >>76 通りすがりの投下失礼します 今までのログなどから推察するに、内容そのものが『支え』なのではなくて 内容が実在したのだと証明したい→将来発掘して証明したい というような未来への希望や夢が『支え』となっていたのかな、と思ったのですが・・・ やはり素人考えですかしら・・・
82:K 2008/10/12(日) 15:19:29 ID:ZBMb9ol00 >>79 私は >>72 さんと同じく、愛した二人=父と母だと思います 末妹の葬列に末妹がいないのは当たり前なので・・・・・ 参列すべき『愛した二人』は、もちろん父と母なのでは、と 後から母の死亡を語っていても、この時点ですでに亡くなっていたのかな、と でもそうすると、台詞の女の人が誰だかわからないんですよね・・・・
83:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/12(日) 19:55:37 ID:bKGky8uS0 >>79さんの意見に賛成です。 「愛した二人」というのは「愛し合った二人」とは限りませんし、 父母と決めつけるのにはちょっと無理かなと。 それに、葬儀の時に母らしき声も聞こえてますしね。 たぶんその葬儀のあとの「無理が祟って旅でてり」で死んでいるので。 やっぱり、兄弟のうちの誰かとかもあるかもしれませんね。 あと「支えたのは家族の存在と 母の形見となった一冊の【叙事詩】」を考えてみたんですが・・・ 家族の存在というのは、死んでしまった家族の分も幸せになる、的な感じで(ここはまだよくわからないのですが)、 「母の形見となった一冊の【叙事詩】」はもちろん内容もそうですけど、 母の形見になったっていうくらいだから、お母さんも大事にしていたわけですよね。 それで、その意思を継いだとか、母のためにその神話を証明したいとか、 そういう意味じゃないですかね・・・? なんか意見まとまってなくてすみません;
84:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/13(月) 14:05:43 ID:4IiUMNRg0 >>83 私は、「愛した二人」は父と母派です。 “兄弟皆が愛した(大好きだった)二人”という解釈をしていましたので。 なので、この時点で母親も既に亡くなっていたのではないかと。 「妹の葬列に父と母の姿はなく。何故母親もいないのかと言うと、娼婦をしていて無理が祟って、(冥府へ)旅立ってしまったからだ。」 とズボリンスキーさんは歌っているのかなと。 母親らしき声については、ズボリンスキーさんの直ぐ下の妹ではないかと。 この時のズボリンスキーさんの年齢が分からないので、なんとも言えないのですが。 泣いているのも、まだ他にいる妹とも、幼い弟ともとれそうかなと…。 (私はズボリンスキーさんは大家族だと思っているので。) それに、母親のセリフなのに、「妹(カチューシャ)にお別れしましょう」 と言うのは、不自然な気がします。普通は名前で呼ぶのでは…? 長文失礼しました。
85:83 2008/10/13(月) 20:06:03 ID:8pwkIaA30 >>84 カチューシャって妹という意味だったんですね、知りませんでした。 でもそうすれば姉だって名前で呼ぶのではないのかなー、と思います。 …なんて言ったら、家族のうちの誰にも当たらなくなってしまう気もするんですけどね…
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