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【2】『人生は入れ子人形』専用 考察スレ
88:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/14(火) 00:27:30 ID:qugY2iyx0 連打すいません。 >>87 なんかID違いますが、>>84と同じ者です。 蛇足&関係ないレスで申し訳ないです。
89:あてまる 2008/10/14(火) 14:50:14 ID:GaraPgW60 はじめまして!ちょっとだけ首を突っ込もうと思います。 >>84 レスはこちらでいいのかな? 個人的にはまだ母親は死んでいないと思います。 お葬式の後に倒れた音などありますしね。(回想だとしたら無意味ですが^^;) 「母親は生きているがお葬式のときもお仕事が忙しかった」 と、私は勝手に思っております。 たとえ妹が死んでしまったとはいえまだ家計は火の車だったのだと… 結局お葬式の時に声をかけていた女性は誰なのか、とか 疑問満載ですけどこんな風に考えております。 下手な文章ですが皆さんのお役に立てれば良いです。
90:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/14(火) 20:57:42 ID:FSempQZk0 >>84>>85>>87 裏取ってないうろ覚えの知識で申し訳ないが一言。 カチューシャってエカチェリーナだかなんだか、ロシアの女性名の愛称だった気がします。 なので姉が妹に呼びかける名前として自然かと思うのですが。
91:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/14(火) 22:02:44 ID:qugY2iyx0 >>90 調べてみたところ、カチューシャはスペルが“катюша”(Wiki参照)で、 “妹”のロシア語スペルは“Сестра”(Google参照)で、完全に違う別単語のようですね……。 今まで私は勘違いをしていたのか…。 とすると、なんだか偉そうなことをつらつらとスミマセンでした!m(__)m そうなると、声の主は母親でも姉でも通りますね; >>89さんの「母親は生きているが〜」説も個人的には捨てがたく思えますし。 なんだか自分の中で、振り出しに戻ってしまいました;
92:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/15(水) 07:12:33 ID:+j4cwrwX0 「愛した二人」については私も>>89さんと同解釈をしてました 末妹の治療費で既に火の車だった家計がパパが死んだ事により更に圧迫され 収入の穴を埋める為にママはそれまで以上に無理をおして働くも想いは報われず ついに末妹も死んでしまうが葬儀代や子供達の生活費の為には働くしかなく 葬列にも加われずに働き詰めた結果、無理が祟って死んだのではないかと 「お別れしましょうね」までの一連の会話は両親が傍に居なくても兄弟だけで 何とか助け合ってやっていこうとしている場面かと考えてました でも確かに兄弟でカチューシャって呼ぶのは何となく違和感がありますよね… そういえば「死せる少女の葬列に」と歌う間にも小さく「カチューシャ…」と呼ぶ声が聞こえますよね 「お兄ちゃん」とかと同じ感覚で家族が末妹を「カチューシャ」と呼んでいるのか そもそも末妹の名前がそのものズバリ「カチューシャ」なのか どちらもハッキリ無いとは言い切れない所が困りますよね…
93:名無しさん@何にするか募集中 2008/10/26(日) 01:22:28 ID:phiuZNek0 歌詞の時系列がよく分からないよ 前半がズボリンスキーの子供時代の話で 『掘っても掘っても砂ばかり』の所から結婚した大人時代の話なの?
94:K 2008/10/27(月) 22:27:03 ID:zIugQVfL0 >>93 『掘っても掘っても〜』以前は子供時代(回想?) 『〜歴史の舞台に立たせたい』までが結婚後(というより現代?) 『貧しい一家は〜一冊の【叙事詩】』までが子供時代その後(両親死亡後) 残りが結婚後(現代) という風に私は解釈していましたが・・・・ 確かに時系列が難しいんですよね;
95:K 2008/10/27(月) 22:37:48 ID:zIugQVfL0 会話をぶった切って申し訳ないのですが・・・・ 葬式の女の人の声は、第三者でなく母親だってことも十分考えられるんですよね 『愛した二人』=両親だと思っていたのですが、確かに会話を見てみると末妹と父親かなぁとも 「カチューシャ・・・」「パパァ・・・」と連続で言っているっぽいので・・・・ その後の「ママァ・・・」は、母親が「泣かないの」って言った事に対する呼びかけとも考えられます 縋りついたというかなんというか・・・・ そうだとしたら、めんどくさい回想に回想、などという説よりは筋が通りやすそうです そう考えると、 >>92 さんの説は近そうな気が
96:Lotte 2008/11/04(火) 11:40:42 ID:+Z+Es5oI0 初書き込みです、よろしくお願いします。 私は 愛した二人=両親 の解釈派です。 気になった部分が、母も娼婦の の歌詞の 母も が既に葬列前に死んでる説の根拠ではないかと思います。 葬列後なら 母は娼婦の で歌詞が作られると推察します。 母が死んで医療が受けられなくなってカチューシャは死んだ気がします。 それとズボリンスキーさんの家族はおそらく、父、母、ズボリンスキーさん(長男)の他に弟2人以上か、妹(長女) カチューシャ(末妹)がいて、妹も2人かどうか定かではないと歌詞から推理してます。 泣かないのは長女の発言ではないかなと?
97:K 2008/11/08(土) 01:06:33 ID:71i+3Nvl0 >>96 さん 『母も』は、父と同じく死んだ(もしくは死んでいる)の根拠にはなるかもしれませんが、葬列前かどうかは断定できないかと思います 時系列が詳しく描かれているわけではないので、もう不毛の争いになってしまうのですが・・・・ カチューシャの死も、医療が受けられなくなって、というのは私もその通りだと思います ただ、 >>35-37 の考察の通り、この世界観で治療はとても高価なものだったっぽい描写があるので 父親がいてもただでさえ貧しかったのに、母親が体を壊すほど働いても賄えなかった、と推察することも可能です よって、完全な断定は少し難しいのかもしれませんね・・・・・ 家族構成は、同じように考えています 歌詞には弟達、妹達、とは出ているけれど姉や兄は描写されていないので、アレクセイが長男なのは間違いないかと ただ、葬式シーンの泣き声は弟や妹か、と考えたら、アレクセイはどうなった?とちょっと疑問に思ってしまいました 幼少の時の話だと思うので、アレクセイ一人だけそこまで年が離れているわけではないと思うんですよね・・・ただの推察、ですが 愛した二人=父と母、だとするならば、慰める発言は近所の人とか、世話をしていた人なのかなぁとも思うわけです 子供達だけで父と母(+カチューシャ)の葬式を出せるはずがないと思いますから そのあと丁稚奉公に行くことからも、世話をしていたひとはいたと考えていいと思います どちらの説にしろ、葬式を出せる人間が必要なので、母もしくは近隣の人間や世話係などの第三者がいたと考えないといけないかと・・・・
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