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【2】『人生は入れ子人形』専用 考察スレ
94:K 2008/10/27(月) 22:27:03 ID:zIugQVfL0 >>93 『掘っても掘っても〜』以前は子供時代(回想?) 『〜歴史の舞台に立たせたい』までが結婚後(というより現代?) 『貧しい一家は〜一冊の【叙事詩】』までが子供時代その後(両親死亡後) 残りが結婚後(現代) という風に私は解釈していましたが・・・・ 確かに時系列が難しいんですよね;
95:K 2008/10/27(月) 22:37:48 ID:zIugQVfL0 会話をぶった切って申し訳ないのですが・・・・ 葬式の女の人の声は、第三者でなく母親だってことも十分考えられるんですよね 『愛した二人』=両親だと思っていたのですが、確かに会話を見てみると末妹と父親かなぁとも 「カチューシャ・・・」「パパァ・・・」と連続で言っているっぽいので・・・・ その後の「ママァ・・・」は、母親が「泣かないの」って言った事に対する呼びかけとも考えられます 縋りついたというかなんというか・・・・ そうだとしたら、めんどくさい回想に回想、などという説よりは筋が通りやすそうです そう考えると、 >>92 さんの説は近そうな気が
96:Lotte 2008/11/04(火) 11:40:42 ID:+Z+Es5oI0 初書き込みです、よろしくお願いします。 私は 愛した二人=両親 の解釈派です。 気になった部分が、母も娼婦の の歌詞の 母も が既に葬列前に死んでる説の根拠ではないかと思います。 葬列後なら 母は娼婦の で歌詞が作られると推察します。 母が死んで医療が受けられなくなってカチューシャは死んだ気がします。 それとズボリンスキーさんの家族はおそらく、父、母、ズボリンスキーさん(長男)の他に弟2人以上か、妹(長女) カチューシャ(末妹)がいて、妹も2人かどうか定かではないと歌詞から推理してます。 泣かないのは長女の発言ではないかなと?
97:K 2008/11/08(土) 01:06:33 ID:71i+3Nvl0 >>96 さん 『母も』は、父と同じく死んだ(もしくは死んでいる)の根拠にはなるかもしれませんが、葬列前かどうかは断定できないかと思います 時系列が詳しく描かれているわけではないので、もう不毛の争いになってしまうのですが・・・・ カチューシャの死も、医療が受けられなくなって、というのは私もその通りだと思います ただ、 >>35-37 の考察の通り、この世界観で治療はとても高価なものだったっぽい描写があるので 父親がいてもただでさえ貧しかったのに、母親が体を壊すほど働いても賄えなかった、と推察することも可能です よって、完全な断定は少し難しいのかもしれませんね・・・・・ 家族構成は、同じように考えています 歌詞には弟達、妹達、とは出ているけれど姉や兄は描写されていないので、アレクセイが長男なのは間違いないかと ただ、葬式シーンの泣き声は弟や妹か、と考えたら、アレクセイはどうなった?とちょっと疑問に思ってしまいました 幼少の時の話だと思うので、アレクセイ一人だけそこまで年が離れているわけではないと思うんですよね・・・ただの推察、ですが 愛した二人=父と母、だとするならば、慰める発言は近所の人とか、世話をしていた人なのかなぁとも思うわけです 子供達だけで父と母(+カチューシャ)の葬式を出せるはずがないと思いますから そのあと丁稚奉公に行くことからも、世話をしていたひとはいたと考えていいと思います どちらの説にしろ、葬式を出せる人間が必要なので、母もしくは近隣の人間や世話係などの第三者がいたと考えないといけないかと・・・・
98:K 2008/11/08(土) 01:09:01 ID:71i+3Nvl0 ちょっと言葉足らずでした・・・・・ アレクセイ一人年が離れてはいないのでは、と思ったので 両親の死に泣かない、というのはちょっと考えづらいかなーと思った、のです でもこれももちろん断定はできませんが
99:笑い竹人形 ◆dQ/elSbeE6 2008/11/09(日) 22:19:10 ID:s5dBmKRQO こんばんわ。初めましてです。 『愛した二人』説なんですが、 >>89さんと同じ、父末妹説だと、思います。 それで、これは自分の推測なのですが、 「パパぁ。ママぁ…」と泣いた子はおそらく、ハラショーおじさん(子供時代)かと思うんですよ。 男の子の頃の声(10歳とか)は、女子とさほど変わらない声質だと思うんです。 それで兄、ハラショーかと。 そんで>>95さんの、「ママぁ…」の応答に「泣かないの云々」に繋がるかな(?)と…。 葬式には父末妹はいず、母兄が出席していると思います。
100:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/10(月) 00:49:28 ID:fGuAh7yM0 私的には「死せる少女(=末妹)の葬列」に「末妹が居ない」のは当たり前だと思うので 「愛した二人=父と末妹」だとすると意味合い的に重複してるような気がするんですよね 「死せる末妹の葬列に、愛した父と末妹の姿はない」と言われるとどうにもくどいような… まぁ、私が「愛した二人は両親説」を支持しているからそう思うだけかもしれませんが これは、母親の声が誰のものか分かればもう少しはっきりするんでしょうね 「泣かないの」と言っている声が霜月さんなので、喘ぐ母の声も霜月さんの担当であれば 「葬列には母も参加していた」と言いいきってもいいように思いますが…一体誰の声なのやら 個人的には霜月さんではないような気もしますけど、断定出来るほどの確証がありません…
101:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/13(木) 22:15:14 ID:Epdr1sct0 考査をぶった切ってしまうようで恐縮ですが…… 聞き込むうちに「ほら、泣かないの」が段々と「坊や、泣かないの」と 言っているように聞こえてきたんですが…他にもそう聞こえた方って居ます?
102:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/14(金) 06:47:15 ID:QBIYD+A4O >>101 あ、…確かに聞こえてきますね。 もし「坊や」ならば、泣いていたのは、……
103:藍 2008/11/17(月) 22:31:53 ID:y8BIn/NO0 愛した二人=両親だと解釈しています。 愛した両親という意味と、亡き夫婦が愛し合っていたという意味かなと。 97さん同様、末妹の葬式を出したのは近所の人とかでしょう。 母親が葬式にいたなら母親自身が泣いてそうですし(夫に先立たれ、娼婦になってでも助けようとした末娘も死亡では…) 泣かないの、と言ったのも母親ではなく面倒を見てくれていた人が慰めたと考えた方が自然に思います。
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