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【2】『人生は入れ子人形』専用 考察スレ
96:Lotte 2008/11/04(火) 11:40:42 ID:+Z+Es5oI0 初書き込みです、よろしくお願いします。 私は 愛した二人=両親 の解釈派です。 気になった部分が、母も娼婦の の歌詞の 母も が既に葬列前に死んでる説の根拠ではないかと思います。 葬列後なら 母は娼婦の で歌詞が作られると推察します。 母が死んで医療が受けられなくなってカチューシャは死んだ気がします。 それとズボリンスキーさんの家族はおそらく、父、母、ズボリンスキーさん(長男)の他に弟2人以上か、妹(長女) カチューシャ(末妹)がいて、妹も2人かどうか定かではないと歌詞から推理してます。 泣かないのは長女の発言ではないかなと?
97:K 2008/11/08(土) 01:06:33 ID:71i+3Nvl0 >>96 さん 『母も』は、父と同じく死んだ(もしくは死んでいる)の根拠にはなるかもしれませんが、葬列前かどうかは断定できないかと思います 時系列が詳しく描かれているわけではないので、もう不毛の争いになってしまうのですが・・・・ カチューシャの死も、医療が受けられなくなって、というのは私もその通りだと思います ただ、 >>35-37 の考察の通り、この世界観で治療はとても高価なものだったっぽい描写があるので 父親がいてもただでさえ貧しかったのに、母親が体を壊すほど働いても賄えなかった、と推察することも可能です よって、完全な断定は少し難しいのかもしれませんね・・・・・ 家族構成は、同じように考えています 歌詞には弟達、妹達、とは出ているけれど姉や兄は描写されていないので、アレクセイが長男なのは間違いないかと ただ、葬式シーンの泣き声は弟や妹か、と考えたら、アレクセイはどうなった?とちょっと疑問に思ってしまいました 幼少の時の話だと思うので、アレクセイ一人だけそこまで年が離れているわけではないと思うんですよね・・・ただの推察、ですが 愛した二人=父と母、だとするならば、慰める発言は近所の人とか、世話をしていた人なのかなぁとも思うわけです 子供達だけで父と母(+カチューシャ)の葬式を出せるはずがないと思いますから そのあと丁稚奉公に行くことからも、世話をしていたひとはいたと考えていいと思います どちらの説にしろ、葬式を出せる人間が必要なので、母もしくは近隣の人間や世話係などの第三者がいたと考えないといけないかと・・・・
98:K 2008/11/08(土) 01:09:01 ID:71i+3Nvl0 ちょっと言葉足らずでした・・・・・ アレクセイ一人年が離れてはいないのでは、と思ったので 両親の死に泣かない、というのはちょっと考えづらいかなーと思った、のです でもこれももちろん断定はできませんが
99:笑い竹人形 ◆dQ/elSbeE6 2008/11/09(日) 22:19:10 ID:s5dBmKRQO こんばんわ。初めましてです。 『愛した二人』説なんですが、 >>89さんと同じ、父末妹説だと、思います。 それで、これは自分の推測なのですが、 「パパぁ。ママぁ…」と泣いた子はおそらく、ハラショーおじさん(子供時代)かと思うんですよ。 男の子の頃の声(10歳とか)は、女子とさほど変わらない声質だと思うんです。 それで兄、ハラショーかと。 そんで>>95さんの、「ママぁ…」の応答に「泣かないの云々」に繋がるかな(?)と…。 葬式には父末妹はいず、母兄が出席していると思います。
100:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/10(月) 00:49:28 ID:fGuAh7yM0 私的には「死せる少女(=末妹)の葬列」に「末妹が居ない」のは当たり前だと思うので 「愛した二人=父と末妹」だとすると意味合い的に重複してるような気がするんですよね 「死せる末妹の葬列に、愛した父と末妹の姿はない」と言われるとどうにもくどいような… まぁ、私が「愛した二人は両親説」を支持しているからそう思うだけかもしれませんが これは、母親の声が誰のものか分かればもう少しはっきりするんでしょうね 「泣かないの」と言っている声が霜月さんなので、喘ぐ母の声も霜月さんの担当であれば 「葬列には母も参加していた」と言いいきってもいいように思いますが…一体誰の声なのやら 個人的には霜月さんではないような気もしますけど、断定出来るほどの確証がありません…
101:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/13(木) 22:15:14 ID:Epdr1sct0 考査をぶった切ってしまうようで恐縮ですが…… 聞き込むうちに「ほら、泣かないの」が段々と「坊や、泣かないの」と 言っているように聞こえてきたんですが…他にもそう聞こえた方って居ます?
102:名無しさん@何にするか募集中 2008/11/14(金) 06:47:15 ID:QBIYD+A4O >>101 あ、…確かに聞こえてきますね。 もし「坊や」ならば、泣いていたのは、……
103:藍 2008/11/17(月) 22:31:53 ID:y8BIn/NO0 愛した二人=両親だと解釈しています。 愛した両親という意味と、亡き夫婦が愛し合っていたという意味かなと。 97さん同様、末妹の葬式を出したのは近所の人とかでしょう。 母親が葬式にいたなら母親自身が泣いてそうですし(夫に先立たれ、娼婦になってでも助けようとした末娘も死亡では…) 泣かないの、と言ったのも母親ではなく面倒を見てくれていた人が慰めたと考えた方が自然に思います。
104:役立たずの暖炉 2009/01/11(日) 14:59:10 ID:S2+vKt9K0 私も葬列にいない二人は父母だと思います。 「愛した二人」の表現は末妹から見た相手を指しているのではないでしょうか。 父は滅多に会えないまま死んでしまい、母は子供が死んだときにさえ働きに出なくてはならない、 彼女は彼岸へと旅立つときすら愛する者に会えないのだ、あぁなんて可哀想なカチューシャ!! とかの方が運命の残酷性が浮き彫りになる気がするので。 あと実は叙情詩をより信じていたのは弟や妹たちの方じゃないかと。 叙情詩がハラショーさんお家で絵本として使われていて、物語の中で彼らが一番気に入っていたのが レオンとエルフの話だったりしたら思い入れの深さが頷けるんですよね。私としては。
105:名無しさん@何にするか募集中 2009/01/11(日) 19:48:37 ID:Ukdj3Foa0 可能性の話ですが・・・ 「死せる少女の葬列に愛した2人の影は無く」何故ならば「母も娼婦の格好で無理が祟って」旅立ったから。 という風に繋がる事も考えられるとは思います。 それでしたら時系列順になりますし。
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