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【9】 忘れな月夜 専用スレ
38:投稿 ★ 2015/05/07(木) 07:54:42 0 >>35-37 磔刑の聖女のエリーザベトの憤怒は『迎えに来てくるという約束を破ったメル』に対してかなと私は思ってました。 この曲の否定はエリーザベトの『約束に対する執着心』かなと思ってみたり
39:投稿 ★ 2015/05/07(木) 13:08:51 0 [sage ] 36です なるほど、もう少しMärchenの方の考察も見てみます 色々ありがとうございます
40:投稿 ★ 2015/05/14(木) 07:53:55 i かなり初歩的な質問なのですが、【同じ生の哀しみを抱いた隣人を愛する一人の人間】とは 誰のことなのでしょうか…? 普段あまり考察とかしないので、よく分からなくて…
41:投稿 ★ 2015/05/14(木) 08:16:31 0 >>40 同じ生の哀しみを抱いた隣人 → 障碍を持った三人の子供 愛する一人の人間 → エリーザベト自身 とかどうでしょう 特別に慕われるような聖女とかぶるかなぁ
42:投稿 ★ 2015/05/14(木) 09:10:23 0 >>40 単純にキリスト教の教会だからクリスチャンとしての隣人愛ではないでしょうか
43:投稿 ★ 2015/05/14(木) 17:21:23 i >>41、>>42 お答えいただいてありがとうございます。 んーー、しっくり来ないですね…… 生の哀しみを抱いたっていうのがどちらにも当て嵌まらないような気が… 障碍を持った3人の子供たちが生の哀しみを抱いているようには見えないですし。 クリスチャンは分からないのですが、クリスチャンの方々はみな生の哀しみを抱いているのでしょうか…? それ以外他に何があるのかと言われても答えられないのですが、イマイチピンとこないなと思いました。 考察苦手なので私の理解力がないだけかもしれませんが…
44:投稿 ★ 2015/05/14(木) 17:35:08 0 >>43 「人はみな生の哀しみを抱いている」っていうエリーザベトの達観みたいなものじゃないでしょうか? ですので隣人=不特定多数じゃないかなと
45:投稿 ☆@投稿 ★ 2015/05/15(金) 18:29:12 0 親に疎まれ託された可哀想な天使たちは無邪気に笑うけれど重い障碍があり、信仰の薄い娘に捨て子と揶揄されても平気と笑う。 ということ自体が生の哀しみを抱いていると考えてる可能性もある 母性とは血縁とは誰の為にあるのでしょうか、と嘆くシーンもあるし 感情的な哀しみというよりはその境遇自体を指しているんじゃないかと
46:投稿 ★ 2015/05/15(金) 21:05:24 0 この唄で否定されたのは 1.メルとエリーザベトがそもそも出会わなかった 2.メルとザベトは出会ったけれど約束を忘れてしまった 3.約束を覚えているけれど無理矢理結婚してしまった どれなのでしょう。エリーゼの笑い声からして3なのでしょうか…… それから、曲の解釈には直接関係ないことですが。 ザベトが「子を生せぬ女」として断罪されていますが、 もしかしたら生殖能力が無かったのは旦那の方で それを隠蔽するための裁判だったのかもしれない、とも考えられます。 いずれにせよ、夫と妻どちらが不妊の原因なのかを確かめる術はその時代に無かっただろうし あったとしても女性が弱かった時代、結局女のせいにされてしまうのでしょうが。 あるいは、ザベトの心理的な拒絶により夫婦生活が円滑に営めず子を生せなかったのかも。 全て想像でしかありませんが、思いついたので書かせて頂きました
47:投稿 ★ 2015/05/15(金) 21:42:37 i >>43 同じ生の哀しみ は、肉親に恵まれなかった不運ということかと解釈してます。 エリーゼ・「ムッティ」は、修道女をそう呼ぶ環境ということもあるでしょうが、 本来母親が恋しいような年齢の子供たちなのかなと。 その親らに捨てられて修道院にいるという部分と、夫は勿論、お兄様にも拒絶されて 清々するわ!と口では言いながら修道女となったエリーゼ自身の家族運の薄さかなと。 だからこそ、同情ではなく、隣人として子供らを慈しむ一人の人間=ザベトと考えてました。
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