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【9】 忘れな月夜 専用スレ
44:投稿 ★ 2015/05/14(木) 17:35:08 0 >>43 「人はみな生の哀しみを抱いている」っていうエリーザベトの達観みたいなものじゃないでしょうか? ですので隣人=不特定多数じゃないかなと
45:投稿 ☆@投稿 ★ 2015/05/15(金) 18:29:12 0 親に疎まれ託された可哀想な天使たちは無邪気に笑うけれど重い障碍があり、信仰の薄い娘に捨て子と揶揄されても平気と笑う。 ということ自体が生の哀しみを抱いていると考えてる可能性もある 母性とは血縁とは誰の為にあるのでしょうか、と嘆くシーンもあるし 感情的な哀しみというよりはその境遇自体を指しているんじゃないかと
46:投稿 ★ 2015/05/15(金) 21:05:24 0 この唄で否定されたのは 1.メルとエリーザベトがそもそも出会わなかった 2.メルとザベトは出会ったけれど約束を忘れてしまった 3.約束を覚えているけれど無理矢理結婚してしまった どれなのでしょう。エリーゼの笑い声からして3なのでしょうか…… それから、曲の解釈には直接関係ないことですが。 ザベトが「子を生せぬ女」として断罪されていますが、 もしかしたら生殖能力が無かったのは旦那の方で それを隠蔽するための裁判だったのかもしれない、とも考えられます。 いずれにせよ、夫と妻どちらが不妊の原因なのかを確かめる術はその時代に無かっただろうし あったとしても女性が弱かった時代、結局女のせいにされてしまうのでしょうが。 あるいは、ザベトの心理的な拒絶により夫婦生活が円滑に営めず子を生せなかったのかも。 全て想像でしかありませんが、思いついたので書かせて頂きました
47:投稿 ★ 2015/05/15(金) 21:42:37 i >>43 同じ生の哀しみ は、肉親に恵まれなかった不運ということかと解釈してます。 エリーゼ・「ムッティ」は、修道女をそう呼ぶ環境ということもあるでしょうが、 本来母親が恋しいような年齢の子供たちなのかなと。 その親らに捨てられて修道院にいるという部分と、夫は勿論、お兄様にも拒絶されて 清々するわ!と口では言いながら修道女となったエリーゼ自身の家族運の薄さかなと。 だからこそ、同情ではなく、隣人として子供らを慈しむ一人の人間=ザベトと考えてました。
48:投稿 ★ 2015/05/15(金) 22:33:56 0 >>46 3に近い想像をしてた メルのことは結局忘れることはできず 自分は幸せだと思い込もうと無理してる感じ 死んでも生きても家族に恵まれないんだなあ・・・ 人脈もあってわざわざイキオクレのザベトをもらうプファルツ候は 結構歳を食ってるイメージ 生殖能力云々の問題は彼のほうが抱えていそう 夫婦生活はザベトのメルが忘れられないだけでなく 信仰心の深さと自立した思想も災いしてそう
49:投稿 ★ 2015/05/16(土) 07:55:41 0 エリーザベトをエリーゼって確実に呼んだのって何気にこの曲だけな気がする
50:投稿 ★ 2015/05/16(土) 12:43:44 0 >>49 確かに。それにこの曲では「唯の一人の女」と「ムッティ」の二面性をザベトが同時に抱えている。 無理矢理矛盾を否定する生活を送っているために、人形エリーゼに宿るべき憤怒が増幅していってるのかもしれない。 曲の最後の人形エリーゼの笑い声は、ザベトの心の中で憤怒が強まっていることの象徴なのかも。
51:投稿 ★ 2015/05/17(日) 03:06:41 0 [sage ] 最後の笑い声は、ザベトがメルを心変わりさせなかったから エリーゼはずっとメルと復讐を続けていられるって事だと思った
52:投稿 ★ 2015/05/17(日) 13:52:20 0 [sage ] >>46 まず、1は確実に違うと思います。 4:10〜のザベトお兄様の台詞に「いつまでもままごとを引き摺る嫁き遅れが」とあること、 月光=メルの象徴が曲の随所で匂わされていることから、 ラインプファルツの求婚までは原曲と同じ歴史を辿っているとして良いと思います。 2と3については、敢えて言うなら2の方かと。 「無理矢理」結婚したのではないでしょう。 >>38の方が「約束に対する執着心」と仰っていますが、これが最も近いかなと思っています。 「約束への執着」は、7thで言う「彼以外もう愛せない」という心象だと思うので、 個人的には「メルへの恋心」と表現したいところですが。 別スレで、R.E.V.Oが関与できるのは登場人物の内面のみではないかと考察されています。 これが正解に近いと思っているので、出来事ではなくザベトの心境が否定されている立場でもあります。 (事象変化があっても、それは登場人物の心象を変化させての結果の出来事) 原曲でザベトは「背負うべき立場と運命がある」との考えを持っていながらも 己のエゴを優先しメルへの「想いに殉じ、磔にされ」ています。 想いを否定すれば、ザベトは理解している自分の義務に従って、結婚したと思います。 また『忘れな月夜』のラストで原曲にもある「後悔などしていないわ〜」からの部分、 「唯 君だけを愛した」の一節が他の歌詞を当てるのではなく丸々抜かれていることを鑑みると、 恋心を否定された可能性が強いのではないかと考える次第です。 ただ、この曲のついては恋心の否定がどこまでのものなのか、悩ましいです。 メルの存在そのものを忘れてしまったのか、 恋心だけを忘れてしまったのか、執着心(現在進行形の恋)がなくなったのか。 月を見上げても「何処か懐かしい」だけならばメルの記憶そのものなのか、とは思うのですが。
53:投稿 ★ 2015/05/19(火) 22:14:43 0 私は、エリーザベトが否定されたのは愛を貫く意思だと考えてます。 亡くなってしまったメルを最後まで愛し通したのが磔刑なら それを過去のものと割り切る道を選んだのがこの曲かなと。そして忘れられていないことを自覚できていないのではないかと… メルへの感情も思い出も、忘れたというより子どもの頃の話だと自分に言い聞かせている気がします。 だからこそ月を見上げて涙を流しても、それはエリーザベトの中でメルとの思い出と繋がらないし、 月光=メルと感じたことも、幼い頃の戯れだと自分の中で重要なことに位置されてないのではないでしょうか その辺が「見上げた月がどこか懐かしい」「不意になぜか一筋の雨」にかかってくるんじゃないかと…
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