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【9】 忘れな月夜 専用スレ
34:投稿 ★2015/05/05(火) 03:02:59 0AAS
「これが私の人生」の後「真実なのかな…?」というメルの問いかけに対し、
7分53秒にエリーザベトの声で「言えないわ」と聞こえました。
問いには、これが真実で且つエリーザベトの望んだ人生なのか?という意味が
含まれているように思いましたが、エリーザベト自身が断言を避けることで、暗に
メルのいない世界を受け入れ生きていける可能性を示したのではないか、と思います。
省11
35:投稿 ★2015/05/05(火) 21:48:45 0 [sage ] AAS
この曲だけは、どうしても悲劇の否定をしているとは思えないのです
原曲『磔刑の聖女』が憤怒に当てられていたように
確かにエリーザベトは怒りの気持ちを抱えていたかもしれないけれど
自分の人生の選択そのものには満足していたと思うのです
確かに結末としては死を迎えますが
省21
36:投稿 ★2015/05/05(火) 23:54:37 0 [sage ] AAS
磔刑の聖女の憤怒はエリーザベトではなくその後のエリーゼだと思ってたけど
37:投稿 ★2015/05/06(水) 18:39:29 0 [sage ] AAS
>>36
35です
憤怒に当てはまるのが誰かを突き詰め出すと『磔刑の聖女』の考察になってしまうので軽く
7th発売後当時の考察板で、どなたかが「ザベトも憤怒」と仰っていた説を私も推しています
確か「怒りを抱えた上で、復讐という選択肢を選ばなかったのがエリーザベト」といった論旨だったと思います
その記事を読むまでは私もエリーゼが憤怒だと思っていました
省7
38:投稿 ★2015/05/07(木) 07:54:42 0AAS
>>35-37
磔刑の聖女のエリーザベトの憤怒は『迎えに来てくるという約束を破ったメル』に対してかなと私は思ってました。
この曲の否定はエリーザベトの『約束に対する執着心』かなと思ってみたり
39:投稿 ★2015/05/07(木) 13:08:51 0 [sage ] AAS
36です
なるほど、もう少しMärchenの方の考察も見てみます
色々ありがとうございます
40:投稿 ★2015/05/14(木) 07:53:55 iAAS
かなり初歩的な質問なのですが、【同じ生の哀しみを抱いた隣人を愛する一人の人間】とは
誰のことなのでしょうか…?
普段あまり考察とかしないので、よく分からなくて…
41:投稿 ★2015/05/14(木) 08:16:31 0AAS
>>40
同じ生の哀しみを抱いた隣人 → 障碍を持った三人の子供
愛する一人の人間 → エリーザベト自身
とかどうでしょう
省7
42:投稿 ★2015/05/14(木) 09:10:23 0AAS
>>40
単純にキリスト教の教会だからクリスチャンとしての隣人愛ではないでしょうか
43:投稿 ★2015/05/14(木) 17:21:23 iAAS
>>41、>>42
お答えいただいてありがとうございます。
んーー、しっくり来ないですね……
生の哀しみを抱いたっていうのがどちらにも当て嵌まらないような気が…
障碍を持った3人の子供たちが生の哀しみを抱いているようには見えないですし。
クリスチャンは分からないのですが、クリスチャンの方々はみな生の哀しみを抱いているのでしょうか…?
省8
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