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【9】 忘れな月夜 専用スレ
37:投稿 ★2015/05/06(水) 18:39:29 0 [sage ]
>>36
35です
憤怒に当てはまるのが誰かを突き詰め出すと『磔刑の聖女』の考察になってしまうので軽く
7th発売後当時の考察板で、どなたかが「ザベトも憤怒」と仰っていた説を私も推しています
確か「怒りを抱えた上で、復讐という選択肢を選ばなかったのがエリーザベト」といった論旨だったと思います
その記事を読むまでは私もエリーゼが憤怒だと思っていました
省7
38:投稿 ★2015/05/07(木) 07:54:42 0
>>35-37
磔刑の聖女のエリーザベトの憤怒は『迎えに来てくるという約束を破ったメル』に対してかなと私は思ってました。
この曲の否定はエリーザベトの『約束に対する執着心』かなと思ってみたり
39:投稿 ★2015/05/07(木) 13:08:51 0 [sage ]
36です
なるほど、もう少しMärchenの方の考察も見てみます
色々ありがとうございます
40:投稿 ★2015/05/14(木) 07:53:55 i
かなり初歩的な質問なのですが、【同じ生の哀しみを抱いた隣人を愛する一人の人間】とは
誰のことなのでしょうか…?
普段あまり考察とかしないので、よく分からなくて…
41:投稿 ★2015/05/14(木) 08:16:31 0
>>40
同じ生の哀しみを抱いた隣人 → 障碍を持った三人の子供
愛する一人の人間 → エリーザベト自身
とかどうでしょう
省7
42:投稿 ★2015/05/14(木) 09:10:23 0
>>40
単純にキリスト教の教会だからクリスチャンとしての隣人愛ではないでしょうか
43:投稿 ★2015/05/14(木) 17:21:23 i
>>41、>>42
お答えいただいてありがとうございます。
んーー、しっくり来ないですね……
生の哀しみを抱いたっていうのがどちらにも当て嵌まらないような気が…
障碍を持った3人の子供たちが生の哀しみを抱いているようには見えないですし。
クリスチャンは分からないのですが、クリスチャンの方々はみな生の哀しみを抱いているのでしょうか…?
省8
44:投稿 ★2015/05/14(木) 17:35:08 0
>>43
「人はみな生の哀しみを抱いている」っていうエリーザベトの達観みたいなものじゃないでしょうか?
ですので隣人=不特定多数じゃないかなと
45:投稿 ☆@投稿 ★2015/05/15(金) 18:29:12 0
親に疎まれ託された可哀想な天使たちは無邪気に笑うけれど重い障碍があり、信仰の薄い娘に捨て子と揶揄されても平気と笑う。
ということ自体が生の哀しみを抱いていると考えてる可能性もある
母性とは血縁とは誰の為にあるのでしょうか、と嘆くシーンもあるし
感情的な哀しみというよりはその境遇自体を指しているんじゃないかと
46:投稿 ★2015/05/15(金) 21:05:24 0
この唄で否定されたのは
1.メルとエリーザベトがそもそも出会わなかった
2.メルとザベトは出会ったけれど約束を忘れてしまった
3.約束を覚えているけれど無理矢理結婚してしまった
どれなのでしょう。エリーゼの笑い声からして3なのでしょうか……
省15
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