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【Roman】総 合 考 察 ト ピ
508:大黒 2006/12/30(土) 04:09 >>506-507K.Hさん はじめまして クリストフ同一人物説に立ってなお、”Laurent”は女性名詞ですか MicheleやMalebrancheについてはフランス語に詳しい人に考察してもらうとして 『それは...『私』じゃない…』のくだりはその前に『貴方が愛してるのはしなやかな若い肢体』という言葉があるので この場合ミシェルはこの時点でいい歳をした中年女性になってるのではないかと思います ここでいう「貴方」がミシェルの夫なのか恋人なのかは想像の域を出ませんが悲しい男の性として若い女に目が行ってしまってるのをミシェルは女の鋭い勘で見破ったのではないでしょうか だからこそ「貴方が愛してるのは若い女性の肉体であって私という心まで含めた存在ではないのね」と歌ってるように思えます また、男と女の愛憎劇が描かれてるのはココだけなのでミシェルが男性になりたかったかどうかははっきりとはしませんね M.Christophe Jean-Jacques Saint-Laurentがミシェルの生まれ変わった姿ですか。確かに突拍子もないというか全く考えた事のない説なので少々整理に時間がかかりました^^; 確かに名前の頭文字にMがついてますし、これがミシェルの略である可能性はないとは言い切れませんが、それならなぜ彼(彼女)は自分の事をあたかも他人のように言って回っているのでしょう? もっと一人称的な表現が使われてもいいと思いますがクリストフの台詞は完全に三人称になっているように思えます また、ミシェルが抜け出したかった檻が「ロマン」の世界での「生と死」の循環であるとしてミシェルが不死をも手に入れたすれば檻からは抜け出せてるはずです なのにクリストフは『我々もまた彼女と同じ檻の中にいるからだと…』と明言しています これはミシェルが不死を手に入れたという意見とミシェル=クリストフという意見の両方から見て矛盾しているように感じました 私は自称天才犯罪心理学者=黄昏の賢者でのクリストフ=ミシェル研究の第一人者という考えを採ってるので 「おりあわせ〜」の暗号というか言葉の意味を知っててもおかしくないと考えてます 最も、「おりあわせ〜」の暗号の意味はまだまだ解明の余地がありそうですが 後、yaneuraromanと「屋根裏の少女」の曲調と似通ってますかね? 私の聞いた印象ではそれほど似てないなぁと思ったのですが K.Hさんの考える2つの筋は解りました。個人的に分類すると 光のロマン:『朝と夜の物語』・『焔』・『呪われし宝石』・『緋色の風車』・『天使の彫像』・『美しきもの』・『歓びと悲しみの葡萄酒』・『11文字の伝言』 闇のロマン:『見えざる腕』・『星屑の革紐』・『黄昏の賢者』 といったところでしょうか。他人の主観的な分類なので違いはあると思いますが 一度は破棄した女性名詞説を支持して下さって有り難うございます つらつらと手厳しい意見ばかりが並んでしまいましたが考察の一助になれば幸いです
509:むりゃん 2006/12/30(土) 18:13 >>508大黒さん 「中年女性」と言う言葉ですが、それは少しおかしいのです。年号を見れば分るのですが、父を殺したときが、年端も行かぬ少女時代が1887年(屋根裏の少女)、アルマンとのお話が1895年(檻の中の遊戯)。それから八年後なのです。どう考えても、中年女性になるには時間が足りないのです。その後、ミシェルが『干からびたような老婆』になるまでにまた、八年(1903年)なのです。どう考えても老婆になるような歳ではありえませんよね。もし、『屋根裏の少女』で12歳の少女が父を殺したとしても、最後は28歳です。『年齢に対する殺害遂行能力に疑問の声が上がる』ぐらいなのですから、12歳以下と考えてもいいと思います(それ以上かもしれませんが、16歳は疑われる歳ではないですよね)。 クリストフがミシェルで、さも他人のように語っているのは、問題ないと思います。何故にわざわざ自分のことだとばらす必要があるでしょうか。ノエルが、クリストフがミシェルと同一人物だとわかって、証拠を突きつけた後、取材をしているわけでもないでしょうし、そういう人間離れした自分の正体は隠したいものだと思います。 ただ、……「M」ついているのですか……?『エリ前』では『Christophe〜〜』で“M”がないのです……。あと、『……しかし、その願望は〜〜』から後のクリストフの言動は、ミシェルの失敗を語っているので、何となく、別人ではないかと思います。 ひどくスレ違いな話ですが、気になったので、すみません……。
510:K.H 2006/12/30(土) 18:55 >>508 大黒さん ご意見有難う御座います。 まず、多分にすれ違いがあるようなので、補足をしたいと思います。 言葉足らずですみません; (そしてどんどん檻シリーズよりで書き込む事となり申し訳ないです…;;) ・「貴方が愛して〜」「それは私じゃない…」ここのくだりで、というよりも楽曲中、ミシェルが女性である と言う事は彼女が中年女性であったかは解りませんが勿論承知しておりますよ。 彼女がもし、男性へ云々という気持ちがあったのなら、関係を持っていた(かどうかは解りませんが…) 男性がいたとしても大黒さんのいうとおりの「貴方が愛してるのは若い女性の肉体であって私という 心まで含めた存在ではないのね」という事は矛盾しないものではないでしょうか。 つまり「顔や体だけであって、「私=中身」ではない」という事なので。 性の事が少々考え難いですね、性同一性障害のようなものだと考えると解り易いでしょうか? (よけいに誤解を招きそうです;) ここのあたりは、それこそ檻の中の遊戯もあわせて読んだりしないと、となってくるのですが… そして男女の愛憎劇、という意味合いで述べた考えではありません。単なる記号として受け取ったという 事です。 そしてミシェルその人自身も自らが「女」である自覚も、そう生きようとしただろう事も考えています。 次にクリストフ=ミシェルだとするなれば、何故彼は彼女の事を完全に他人事で語っているのか?という 問いですが、もし男性として「ミシェル」を捨てたのならば、「彼」にとり「彼女」はもはや他人ですよね? 一世紀も前の自身、それも自らが捨てたものを語るのに他人事のような言い方は不自然でしょうか? また、檻花ではミシェルは”女優”と冠されていますよね。この女優、という言葉が本当に彼女が女優という仕事 についていたと考えるか、もしくは”演じるように”という意味合いであったのか。 受け取り方で随分考え方が変わってしまうと思うのですがどうでしょうか? そしてクリストフが「自称」天才犯罪心理学者となっていますが、これが単に「天才」にかかるものではなく 全体にかかっているものとも考えられます。 (ここで少々…この檻花の戯曲を書いたのがノエル。クリストフの名前の後ろに「曰く」と入っている事や、楽曲中に ミシェルの手記が出てくる事から考えて、ノエルはクリストフに話を聞きに行ったのではないか?と考えています。※「ロマン」のノエルの存在はここでは置いています) そしてこの考えの上での「ロマン」の「生と死」を檻とするなら、もはや彼女は檻から抜け出せたのではないか?につ いては、私は抜け出せていないと思います。 確かに囚われていた夜(死)からは抜け出せたでしょう。ですが、そうすると「生」という檻からは抜け出せない事になるのです。 矛盾していますでしょうか…? クリストフ=ミシェル説は、私自身でも矛盾している点は感じます。ですが、大黒さんのおっしゃる矛盾点は以上の事から説明できる範囲かと; yaneuraromanと「屋根裏の少女」の曲調についてですが、とてもよく似た部分が多々ありますよ。といっても同じパートですが。 そして記入し忘れていたのですが、「檻の中の遊戯」もです。(寧ろこちらかと) yaneuraromanのじま声で「ここは不毛の世界だ」の直後から始まる曲調をよく聞いてみてください。「少女が白いキャンバスに〜」 からです。最後の緑川氏声の「嘘をついているのは誰だ?」のあたりの方がわかり易いかもしれません。完全に檻遊の曲調です。 そしてじま声での檻シリーズを暗示する台詞…というよりここまでくるとまんまですね。 檻シリーズの事を話しているから曲調が似ているんじゃ?と言われるかもしれませんが、寧ろ、ではここで檻シリーズの事を話すのは何故か?となりますよね。 「ロマン」中では”ミシェル”と”ノエル”という二人の名前と同じ人物が登場するだけで、檻シリーズをにおわせる必要性はないのですから。 今気づいたのですが、あの台詞「彼女の笑い声が支配する」の後の笑い声、この流れでいくと檻花での「ミシェル」と考えた方が自然なのかも… ここのじま声が賢者だと&笑い声は宝石の思念のようなものだと思っていたので考えていなかったのですが。 宝石の「ミシェル」、檻花の「ミシェル」どう繋がっているのか、はたまた繋がってはいないのか… また、2つの筋・「闇」と「光」の物語という言い方に語弊があったようで申し訳ないです。 各曲をこの2つで分けてしまう、という考えではなく、この今回のCD内の物語の筋(全体を通した筋)が裏表あるように感じるという事なのです。 このCDだけでもちゃんとストーリーになるし、また他の曲を知っていれば同じ言葉でも違う意味合いが見出せるというようなものです。 解りにくいですね; これだけだらだらと書いても説明しきれていないですが…;長文すみませんでした。
511:K.H 2006/12/30(土) 19:26 連続失礼致します…; >>509 むりゃんさん 私もスレ違いで心苦しいのですが…!すみません…! (ですが一応出発点は「ロマン」であり、係わりがあるようなので) 「M」についてですが、クリストフの台詞中の自分の名前を呼ぶ処ではなく、喋りだす直前の ()の(自称…天才犯罪心理学者「M.Christophe Jean-Jacques Saint-Laurent」曰く) というところです。エリ前は聞いただけで歌詞カードを持っていないのですが…ないのでしょうか? 檻シリーズが全てそろっているピコリロの方ではそう表記されているのです。 「しかしその願望は〜」のくだりの考えは前レスで書いたかと思うので省略させて頂きますね それから私もミシェルの年齢についてはおかしいと感じます。 …が、ただ、この年号がはたして犯罪が実際にあった年号かどうかは判らないんですよね。 もしかすると、ノエルの書いた戯曲の上演の年号なのかもしれない。 (↑これがあるので、前レスで女優の定義を疑っているのです。) これが犯罪が起こった年だとすると、ノエルの時代はとっても現代な訳で…;否定するものは何もないですが。 ノエルの戯曲の上演年だとすれば、ミシェルの生きた時代はもっと以前になる。(それこそ炭鉱堀がいるくらい なのではないでしょうか?ちょうどこの真ん中あたりが確かグリム童話設立期程の年代ですし)
512:大黒 2006/12/30(土) 21:09 >>509むりゃんさん 別におかしいとは思いません 私は3つの戯曲についてる年号は戯曲が発表された年であってミシェルの時間とは一致しないと思ってます なので最初のミシェルが少女で次のミシェルが中年女性、最後が老婆でも何も問題はありません クリストフとミシェルについては確かに自分の事だと公言する必要はないですがだからといって完全に他人事というのもちょっと不自然かなと思ったので あと、『エリ前』でも最初に名前が出た時はMがついてますよ 私もミシェルとクリストフは他人だと思ってます >>510K.Hさん 性同一性障害については聞きかじった程度の知識しかないですが もしミシェルが性同一性障害を煩ってたとしたらそもそも「貴方が愛して〜」「それは私じゃない…」のくだりが存在しないと思います 性同一性障害という事はミシェルは自分を男と捉えていると思われるので男性と関係を持つ事はないでしょう むしろここでの『貴方』は女性になってくるのではないでしょうか ミシェルその人自身も自らが「女」である自覚も、そう生きようとしただろう事も考えているとの事ですがこれも性同一性障害とは矛盾するのではないでしょうか クリストフ=ミシェルは私はあまり賛成してないのですが 男性としてミシェルを捨てたとしても過去に自分がミシェルであった事は消えないと思います なので「他人」とばっさり切り捨てる事にはちょっと抵抗を感じます 1世紀を経て自らが捨てたものに他人事で語るのは…うーん、愛着や未練がなければ可能でしょうね 私はミシェルはきちんと女優業をやってたと思います。もしK.Hさんのいう「演じるように」してただけなら「殺戮の舞台女優」とは呼ばれずにもっと別の呼び方をされたと思います あと、私も「自称」はその後の全体にかかってると思ってますよ。言葉が足りないようでしたらすみません ノエルがクリストフに話を聞きに行ったかどうかは想像の域を出ませんが聞きに行ったとしたらそれはそれで面白いですね K.Hさんの考える生と死のロマンは1つのロマンではなく列車の車輪のような2つで1つのロマンを形作ってるという解釈でいいのでしょうか それならミシェルが死から抜け出せても生から抜け出せないというのは解らないでもないんですが 生と死を1つのロマンで結んでると考えるとどちらかから抜け出せてももう片方から抜け出せないというのは矛盾というか違和感を感じます 私は屋根裏の男はクリストフであの笑い声は宝石の思念だと思っています 笑い声の後に『さあ…生まれておいでなさいHiver』とあるところから宝石の思念は自らを解放するHiverを世に解き放ったのではないかと この声がミシェルだとすると『檻の中の花』で13人の少年達が発見された時ミシェルは老婆でしたがこの声はどう聞いても若々しい笑い声です そう考えるとミシェル説は無理が出てくるのではないでしょうか 「闇」と「光」の物語については概ね了解しました 確かに他の曲を知ってた方が違う意味合いを持たせる事が出来る曲もありますね 最も、あくまでメインはこのアルバムですから、それにばかり捕らわれてもいけないんでしょうけど^^;
513:むりゃん 2006/12/30(土) 21:16 あったです!“M”!自分で名乗っているときにはついていないので、見逃しておりました……(恥) ミシェルが男性になりたい、と思っているとして、『貴方が愛しているのは〜〜』を聴くと『貴方が愛しているのは、男の身体。それは『この私』じゃないわ』と取れる気がします。少しこじつけがましい気もしますが……。 上演された年月、と考えることも出来ますね……。ノエルがその戯曲の完成年月日を記してくれていたら……。確かにそれなら、ミシェルの生きた時代は鉱夫がいてもおかしくない時代ですね。でも、『檻遊戯』で“銃声”とあるので、案外に事件の年かも(何銃かにもよりますが、ペッパーボックス型で1830年あたり……)。 “屋根裏ロマン”は、ミシェルが演じる“劇”、つまりは嘘で、“お芝居”を本気にしたとき(勘違いしたとき)に“舞台(檻・幻想・作り話・嘘)”の中を巡り続けさせられる、と考えたことがあります。ミシェルが自分の名を冠された宝石、『殺戮の女王』の意思を騙ってイヴェールを陥れようとしている、と……。 それでも、宝石との関わりは微妙ですが……。
514:大黒 2006/12/30(土) 22:24 >>513 確かに名乗る時はMの音はないんですよね。なのでMは軽視されがちです よくセカンドネームを『〜T〜』というふうにアルファベット1文字で省略する事はあるけどファーストネームを略すのは少なくとも私の知る限りないですね ミシェル男性願望説は私は否定派ですが、もしむりゃんさんの解釈があってるとしたらミシェルが関係を持った男はホモという事に… キリスト教圏で同性愛ってどう扱われてたんでしたっけ。確か中世ヨーロッパでは結婚すら子作りの手段としか扱われてなかったような気がするんですが 最初の戯曲から3つめの戯曲まで6年しか経ってないので私はこの年号はノエルが戯曲を発表した年で間違いないと思ってます 最初のミシェルが『年齢に対する殺害実行能力に疑問の声が上がる』 3つめのミシェルが『干からびたような老婆『ミシェル』の遺体』 とあるのでこれがミシェルの年月だとするのはかなり苦しいと思うんですがどうでしょう 『屋根裏』はミシェルの劇ですか うーん、確かにそう考えられない事もないですが『殺戮の女王』の意思を騙ってHiverを陥れようとする動機がちょっと解らないですね なので仮にこれがミシェルの劇の1つだとしてのあの笑い声は『殺戮の女王の意思』の物だと思います もしかしたら檻の中から抜け出せなかったミシェルの未練が宝石に乗り移って『殺戮の女王』となったとも考えられなくはないですが
515:大黒 2006/12/30(土) 22:31 うああ・・・前のレス宛名が抜けてる。むりゃんさんごめんなさい やっぱダメだ自分。そのうち投稿過多でアクセス禁止食らわないだろうか_| ̄|○|||
516:ARAQ 2006/12/30(土) 23:24 >>505大黒さん 前回ちょっと書き忘れてました、少し前の「13人の少年」云々から派生した「殺戮の女王は復讐の風車によって自ら何かをすることなくHiverを生まれ変わらせている」という考えでいくともし「Hiver」が「殺戮の女王」を開放する前に死んだとしても次の転生を待てばいいだけなのでスペアはいらないかなー、と思ったり。 「金Laurant」は置いとく方向で。 「諦めて死になさい」・・・「是」とも「非」ともいいにくいですね、自分の説では「Hiverが呪いからの開放=自らが幸せになるRomanを諦める」→「解放者HiverというRomanを自ら肯定する」→「転生、宝石の開放、呪いによる死、転生・・・をただただ繰り返す」というのが「行き止まり」だと思っているので「おりあわせしになさいな」の後すぐに「さあ…産まれておいでなさいHiver」が繋がるので「死=終わり」というわけじゃないですし、考えようによっては『yaneura』は「不毛な世界」の「出発点」とも取れますね。 あと>>514の『檻花』の年号ですが自分は「戯曲を発表した年」ではなくそのままの意味でとってます、最後に「ミシェル」が老婆の姿で見つかったことに対して「クリストフ」が「彼女がどんな魔法を使ったのか〜」といったと思ってるので・・・いや「戯曲を発表した年」というのも好きな考えなのですがここで「儀式」的な匂いがしたほうが『Roman』での「13人の少年達」の解釈がしやすいので。 >>506-507K.H 付いてますねー「M」、「ミシェル=クリストフ」・・・何気に好きな考え方ですね、ただ「肯定」するには問題が多いですが・・・とりあえず「支持」だけにしときます、あまり『檻花』に流れすぎてもあれなので。
517:むりゃん 2006/12/30(土) 23:35 >>514大黒さん 大丈夫です!文面で分ります! 同性愛者でも、自覚無しの同性愛者ですね。“女”の勘でそれに気付いている……。女性の姿のミシェルを愛しているように見えるけれど、実際は奥に潜む男性を見ている。実際欲しいのは男でしょう? みたいな……。キリスト教圏の同性愛は非常に日陰ですね。大罪です。非生産的ですからね。でも、はじめ神様は“生みの苦しみ”を罰に与えるぐらいだから、子づくりして増えなさいな、とは言っていないという不思議……。 年齢は確かに苦しいのですが、そこから色々な考察、“生贄”“魔術”“ミシェルの吸血鬼説”などが出てくるのですね。魔術的な手段で“檻”から出ようとする場合には問題がないと思います。先ほどもかきましたが、『檻遊戯』の“銃声”という単語も気になるところです。もし、1895年より一世紀前、1795年に警官は拳銃を常に装備していたのでしょうかね……あっても火打ち式……? 劇の脚色、という考えも出来るかもしれませんが、『檻花』で“戯曲”と書かれるまで分らないような脚色はいらない気がするのですが、どうでしょうね……(私的な考えですが……)。 『檻』から出ようとするものを、出さないようにするのが目的なのです。前に書きましたが、『道連れ』ですね。「私が出ていけないのに、なんでお前を出させるものか」みたいな。その“檻”はミシェルが抜け出したいものと同じとは言えないですが。 その、「ミシェルの未練」と言うものには心惹かれるものがあります……。「檻から出ようとするものは、すべからく許さない」ミシェルの怨念。女優魂で出て行こうとするものを迷わす姿で現れる……。 『檻花』が中心ですみません……。
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