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【Roman】総 合 考 察 ト ピ
512:大黒 2006/12/30(土) 21:09 >>509むりゃんさん 別におかしいとは思いません 私は3つの戯曲についてる年号は戯曲が発表された年であってミシェルの時間とは一致しないと思ってます なので最初のミシェルが少女で次のミシェルが中年女性、最後が老婆でも何も問題はありません クリストフとミシェルについては確かに自分の事だと公言する必要はないですがだからといって完全に他人事というのもちょっと不自然かなと思ったので あと、『エリ前』でも最初に名前が出た時はMがついてますよ 私もミシェルとクリストフは他人だと思ってます >>510K.Hさん 性同一性障害については聞きかじった程度の知識しかないですが もしミシェルが性同一性障害を煩ってたとしたらそもそも「貴方が愛して〜」「それは私じゃない…」のくだりが存在しないと思います 性同一性障害という事はミシェルは自分を男と捉えていると思われるので男性と関係を持つ事はないでしょう むしろここでの『貴方』は女性になってくるのではないでしょうか ミシェルその人自身も自らが「女」である自覚も、そう生きようとしただろう事も考えているとの事ですがこれも性同一性障害とは矛盾するのではないでしょうか クリストフ=ミシェルは私はあまり賛成してないのですが 男性としてミシェルを捨てたとしても過去に自分がミシェルであった事は消えないと思います なので「他人」とばっさり切り捨てる事にはちょっと抵抗を感じます 1世紀を経て自らが捨てたものに他人事で語るのは…うーん、愛着や未練がなければ可能でしょうね 私はミシェルはきちんと女優業をやってたと思います。もしK.Hさんのいう「演じるように」してただけなら「殺戮の舞台女優」とは呼ばれずにもっと別の呼び方をされたと思います あと、私も「自称」はその後の全体にかかってると思ってますよ。言葉が足りないようでしたらすみません ノエルがクリストフに話を聞きに行ったかどうかは想像の域を出ませんが聞きに行ったとしたらそれはそれで面白いですね K.Hさんの考える生と死のロマンは1つのロマンではなく列車の車輪のような2つで1つのロマンを形作ってるという解釈でいいのでしょうか それならミシェルが死から抜け出せても生から抜け出せないというのは解らないでもないんですが 生と死を1つのロマンで結んでると考えるとどちらかから抜け出せてももう片方から抜け出せないというのは矛盾というか違和感を感じます 私は屋根裏の男はクリストフであの笑い声は宝石の思念だと思っています 笑い声の後に『さあ…生まれておいでなさいHiver』とあるところから宝石の思念は自らを解放するHiverを世に解き放ったのではないかと この声がミシェルだとすると『檻の中の花』で13人の少年達が発見された時ミシェルは老婆でしたがこの声はどう聞いても若々しい笑い声です そう考えるとミシェル説は無理が出てくるのではないでしょうか 「闇」と「光」の物語については概ね了解しました 確かに他の曲を知ってた方が違う意味合いを持たせる事が出来る曲もありますね 最も、あくまでメインはこのアルバムですから、それにばかり捕らわれてもいけないんでしょうけど^^;
513:むりゃん 2006/12/30(土) 21:16 あったです!“M”!自分で名乗っているときにはついていないので、見逃しておりました……(恥) ミシェルが男性になりたい、と思っているとして、『貴方が愛しているのは〜〜』を聴くと『貴方が愛しているのは、男の身体。それは『この私』じゃないわ』と取れる気がします。少しこじつけがましい気もしますが……。 上演された年月、と考えることも出来ますね……。ノエルがその戯曲の完成年月日を記してくれていたら……。確かにそれなら、ミシェルの生きた時代は鉱夫がいてもおかしくない時代ですね。でも、『檻遊戯』で“銃声”とあるので、案外に事件の年かも(何銃かにもよりますが、ペッパーボックス型で1830年あたり……)。 “屋根裏ロマン”は、ミシェルが演じる“劇”、つまりは嘘で、“お芝居”を本気にしたとき(勘違いしたとき)に“舞台(檻・幻想・作り話・嘘)”の中を巡り続けさせられる、と考えたことがあります。ミシェルが自分の名を冠された宝石、『殺戮の女王』の意思を騙ってイヴェールを陥れようとしている、と……。 それでも、宝石との関わりは微妙ですが……。
514:大黒 2006/12/30(土) 22:24 >>513 確かに名乗る時はMの音はないんですよね。なのでMは軽視されがちです よくセカンドネームを『〜T〜』というふうにアルファベット1文字で省略する事はあるけどファーストネームを略すのは少なくとも私の知る限りないですね ミシェル男性願望説は私は否定派ですが、もしむりゃんさんの解釈があってるとしたらミシェルが関係を持った男はホモという事に… キリスト教圏で同性愛ってどう扱われてたんでしたっけ。確か中世ヨーロッパでは結婚すら子作りの手段としか扱われてなかったような気がするんですが 最初の戯曲から3つめの戯曲まで6年しか経ってないので私はこの年号はノエルが戯曲を発表した年で間違いないと思ってます 最初のミシェルが『年齢に対する殺害実行能力に疑問の声が上がる』 3つめのミシェルが『干からびたような老婆『ミシェル』の遺体』 とあるのでこれがミシェルの年月だとするのはかなり苦しいと思うんですがどうでしょう 『屋根裏』はミシェルの劇ですか うーん、確かにそう考えられない事もないですが『殺戮の女王』の意思を騙ってHiverを陥れようとする動機がちょっと解らないですね なので仮にこれがミシェルの劇の1つだとしてのあの笑い声は『殺戮の女王の意思』の物だと思います もしかしたら檻の中から抜け出せなかったミシェルの未練が宝石に乗り移って『殺戮の女王』となったとも考えられなくはないですが
515:大黒 2006/12/30(土) 22:31 うああ・・・前のレス宛名が抜けてる。むりゃんさんごめんなさい やっぱダメだ自分。そのうち投稿過多でアクセス禁止食らわないだろうか_| ̄|○|||
516:ARAQ 2006/12/30(土) 23:24 >>505大黒さん 前回ちょっと書き忘れてました、少し前の「13人の少年」云々から派生した「殺戮の女王は復讐の風車によって自ら何かをすることなくHiverを生まれ変わらせている」という考えでいくともし「Hiver」が「殺戮の女王」を開放する前に死んだとしても次の転生を待てばいいだけなのでスペアはいらないかなー、と思ったり。 「金Laurant」は置いとく方向で。 「諦めて死になさい」・・・「是」とも「非」ともいいにくいですね、自分の説では「Hiverが呪いからの開放=自らが幸せになるRomanを諦める」→「解放者HiverというRomanを自ら肯定する」→「転生、宝石の開放、呪いによる死、転生・・・をただただ繰り返す」というのが「行き止まり」だと思っているので「おりあわせしになさいな」の後すぐに「さあ…産まれておいでなさいHiver」が繋がるので「死=終わり」というわけじゃないですし、考えようによっては『yaneura』は「不毛な世界」の「出発点」とも取れますね。 あと>>514の『檻花』の年号ですが自分は「戯曲を発表した年」ではなくそのままの意味でとってます、最後に「ミシェル」が老婆の姿で見つかったことに対して「クリストフ」が「彼女がどんな魔法を使ったのか〜」といったと思ってるので・・・いや「戯曲を発表した年」というのも好きな考えなのですがここで「儀式」的な匂いがしたほうが『Roman』での「13人の少年達」の解釈がしやすいので。 >>506-507K.H 付いてますねー「M」、「ミシェル=クリストフ」・・・何気に好きな考え方ですね、ただ「肯定」するには問題が多いですが・・・とりあえず「支持」だけにしときます、あまり『檻花』に流れすぎてもあれなので。
517:むりゃん 2006/12/30(土) 23:35 >>514大黒さん 大丈夫です!文面で分ります! 同性愛者でも、自覚無しの同性愛者ですね。“女”の勘でそれに気付いている……。女性の姿のミシェルを愛しているように見えるけれど、実際は奥に潜む男性を見ている。実際欲しいのは男でしょう? みたいな……。キリスト教圏の同性愛は非常に日陰ですね。大罪です。非生産的ですからね。でも、はじめ神様は“生みの苦しみ”を罰に与えるぐらいだから、子づくりして増えなさいな、とは言っていないという不思議……。 年齢は確かに苦しいのですが、そこから色々な考察、“生贄”“魔術”“ミシェルの吸血鬼説”などが出てくるのですね。魔術的な手段で“檻”から出ようとする場合には問題がないと思います。先ほどもかきましたが、『檻遊戯』の“銃声”という単語も気になるところです。もし、1895年より一世紀前、1795年に警官は拳銃を常に装備していたのでしょうかね……あっても火打ち式……? 劇の脚色、という考えも出来るかもしれませんが、『檻花』で“戯曲”と書かれるまで分らないような脚色はいらない気がするのですが、どうでしょうね……(私的な考えですが……)。 『檻』から出ようとするものを、出さないようにするのが目的なのです。前に書きましたが、『道連れ』ですね。「私が出ていけないのに、なんでお前を出させるものか」みたいな。その“檻”はミシェルが抜け出したいものと同じとは言えないですが。 その、「ミシェルの未練」と言うものには心惹かれるものがあります……。「檻から出ようとするものは、すべからく許さない」ミシェルの怨念。女優魂で出て行こうとするものを迷わす姿で現れる……。 『檻花』が中心ですみません……。
518:ARAQ 2006/12/30(土) 23:35 ああっ!「さん」付け忘れてるっ!す、すみませんK.Hさん、申し訳ないです・・・!
519:大黒 2006/12/31(日) 00:06 >>516ARAQさん なるほど 確かにその考えで行くとスペアいりませんね 「殺戮の女王」は私達とは比べ物にならないくらい長いスパンで時を見てそうなので1度失敗したくらいじゃなんて事ないのかも うーん、その考え方の方がスムーズに物事が進む気がしてきました そのサイクルだと「おりあわせ〜」から「生まれておいでなさい」につながりますね うーむ、ARAQさんの説はいちいち薀蓄深い 確かに『檻の中の花』の中でクリストフが「彼女がどんな魔法を駆使したのか、それは私の識り及ぶ所ではない」と言ってます とするとミシェルは相当若い年で檻の中から抜け出そうと「儀式」を行いその反動(?)で老婆となって一生を終えた事になりますね 最初の戯曲が「証拠不十分及び、年齢に対する殺害遂行能力に疑問の声が上がる」というところを考えると日本でいう少年法に保護される年齢ですから 第2の戯曲は十代後半〜二十代前半くらいでしょうか そしてその後13人の少年達を拉致殺害し「儀式」を行ったと… 別に老婆の時に儀式を行って失敗して死んだと考えてもいいんですがこの辺は感じ方の違いですかね
520:大黒 2006/12/31(日) 00:26 連投すみません。今度から書き込むする前に更新するクセをつけよう >>517むりゃんさん そういってもらえると助かります うーん、性同一性障害の人が「女の勘」が働くかどうかはさて置くとして やはり同性愛は大罪ですか。キリスト教って妙に潔癖なところがありますからね あれ?子作りして殖えなさいといってませんでしたっけ?昔何かの本で読んだ記憶があるんですが…記憶違いかな? 銃声というか年号に関しては西暦に当てはめるのはむしろ野暮ではないでしょうか? Hiverはミシェルの道連れですか。たまたま運命の輪が触れ合ったのかもしかしてミシェルが関係を持っていたのがHiverだったのか… 「ミシェルの未練」に賛同してくれて有り難うございます ミシェルと「殺戮の女王」を関連付けるにはこれかなと思ったので
521:K.H 2006/12/31(日) 01:20 >>512 大黒さん >>513>>517 むりゃんさん …やはり性同一障害という言葉は語弊が過ぎましたね…本当にすみません。 そしてやはり説明をしだすと檻花ばかりになってしまい申し訳ありません…! 檻花での二つの識られざる幕間劇、その一つ目が少年が登場する点から考えて三度目の舞台にあたるかと考えられます。 また二つ目が二度目の舞台、つまりは檻遊にあたると考えています。 なので「女の感を甘くみないで〜」の部分を檻遊と重ねて考えてみます。 檻遊は、ミシェルが引き取られた先の養父、オリヴィエに殺害される(?)物語ですが、(ここも様々な解釈がありますね…) オリヴィエはミシェルに対し性的虐待を行ったと匂わせる歌詞がありますね。(ミシェル自身が受け入れている感もありますが) それに、でなくては「愛しい女性」とは言いませんし、「蛹はやがて〜」とも「愛し合った証」云々とも言わないかと思います。 ここで少々ややこしいと思うので、ミシェルが男性に、という考えを横へ置いておいて下さいませ。 幼少期をすぎ、自分の体が「女」であるという自覚をし始める所謂「思春期」がこの檻遊においてのミシェルの年齢だとすると 、無理矢理に彼女は「女」を引き出された事になる。それを享受しながらも段々と「彼が愛しているのは私自身でなく、若い女 の体なのだわ」と気づいていった、と受け取れないでしょうか。 オリヴィエ側からは彼女を殺め続けるという狂気の物語として書かれていますし次の檻花にてミシェルは登場するため、本当に 殺されてしまっているのか等多々問題を残すものの、ここでは以上としておきます。 なので、根本的な意味では性同一性障害は関係はないのですよ;(わかり易いかと思ったのが仇になりました;;すみません (大黒さんのホモ云々〜とか同性愛の方とは随分違う意味合いだと解って頂けたでしょうか?;;) 三番目の舞台で老婆に、というのは年代が「実際に犯罪が起こった年」でも「戯曲上演年」でも問題はないとも言えるのでは ないでしょうか。実際であっても彼女が魔術ないし儀式めいた事を行っていたであろう事は想像に難くないですし、最後の「干 からびたような」という記述が抜け殻のようにも感じるからです。というのも、彼女が殺したとされている13人の少年達は彼女自身 の体の上に、折り重なっていたのですから。 大黒さんの”「演じるように」してただけなら「殺戮の舞台女優」とは呼ばれずにもっと別の呼び方をされたと”ですが、そうでしょうか? ここは言い換えというか意味の転換が可能な言い方をしているとおもうのですが。 人生自体を舞台とも、犯罪史を舞台とも言いますよね。「ミシェル」がもしかしたら男性に、という考え方ですがここからもきているのです。 彼女は「ミシェル」という人生を演じていた、というとまた誤解がありそうですが…。(勿論最初からではありません。) 歌詞で”鮮朱から冷蒼へ移り変わる 舞台の上に女優を呼ぶ”とありますね。(先程は言葉足らずでしたが幕間劇はミシェル自身が 歌っている…ないし彼女自身の事だと思っているのです。識られざる、が説明できます。その他は戯曲だとか説明だとかですが。) そうなると、彼女が起こした、関わった犯罪の舞台で「ミシェル」という役を担ったといえるのではないでしょうか? ノエルの書いた戯曲の中での彼女の名前は「ミシェル・マールブランシェ」。これは役者自身の名前でなく、役名なのではないでしょうか? 劇中では「ミシェル・マールブランシェ」は”殺戮の舞台女優”です。 ですので私はミシェルが実際女優業をしていたかというとちょっと否定派よりですね。ややこしくてすみません; 脱線しました、つまり人生そのものが舞台だとすると「ミシェル」として生き(演じ)、自分の体という檻から抜け出たという事ではないでしょうか。 彼女が関わった犯罪があまりに特殊であった故に、後にノエルが目をつけ戯曲化し、広まる…ということでも意味は通じると思います。 ”生と死の檻が一方から抜け出てももう一方からは出られないというのは違和感”とはどういったものでしょう。読み取れませんでした。 イヴェールは傾かない、つまりはこの檻には入ってないじゃんとかそういった事でしょうか? 列車の車輪のような、とは…う〜ん、微妙にやはり噛みあっていない気もしますが、近いですね。 生と死のロマンというのは比喩です。 またyaneuraでの笑い声がミシェルだとするなれば若すぎるのではないか?ですが、必ずしも年老いて死んだとは私は考えていませんし、 また思念体の存在自体を肯定するなら、ここは矛盾ではなくなるのではないでしょうか。 >>518 ARAQさん 大丈夫ですよ〜
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