【Roman】05.星屑の革紐 【考察】
215:名無し@投稿 ★2012/02/20(月) 12:40:33 ID:yutS7AIhAAS
色々と解釈ができるこの曲ですが、私はプルー=母の考えです。
その上でいうなれば、「何のために遣って来たのか」の件は、「黒銀の毛並みを持つ子犬としてもう一度エトワールを産み落とすため」ではないかと考えます。

「急に吹いた〜」の件でプルーが悲しげに吠えているのが聞こえますから、死んだのはエトワールでしょうね。サビの部分で旋律が静かになるのはその暗喩ではないかと。
そしてプルーとして傍に在った母は、もう一度エトワールをこの世に産み落とすために遣ってきたのだと悟り、曲の最後で子犬を産み落として落命します。
この子犬=澪音の世界の犬だと考えるのは容易ですが、共にある澪音は正体不明。エトワールとは全く違う性格であろうことはわかります。
前後が繋がらないようですが、これは「呪われし宝石」にヒントがあります。

「『祝い』が『呪い』に変わる運命の皮肉」という件です。
母の独白の部分のあと、二人で歌っているパートがあります。これは多分二人が出会った場面だと思うのですが、似たようなことを言っているようで決定的に違います。
エトワールが言うに、「君(=プルー)と歩いた暗闇に煌めく世界」「生は星屑の輝きの中に在る」ことを忘れない。
母が言うに、「母と歩いた苦しみに揺らめく世界」「愛は星屑の瞬きの中にある」ことを忘れないでほしい、と言っています。

ここを見ると、母が「忘れないでほしい」と願ったものとエトワールが「忘れない」と言ったものが食い違っています。それに、母は「娘の歩く道が輝くように」願って「エトワール」と名付けたのですが、本人は星さえ見えない両目と、その見えないものの名である自分の名前が嫌いです。
これこそまさに「『祝い』が『呪い』に変わる運命の皮肉」ではないでしょうか。幸せになってほしくて名付け、産み落としたのに、当人にはそれが苦痛でしかなかったのですから、まさに。

聞いた限りではエトワールが死を拒んでいるような様子はないですし、むしろ受け入れているように聞こえます。にも拘わらずプルー=母は子犬としてエトワールをこの世にまた産み落としました。
「星屑の革紐」で、彼女は自分の名前を好きになったとは一言も語っていません。多分嫌いなまま死んだのでしょう。それに彼女は、曲の中でプルーへの感謝と愛を詠っていますが、自身の生に関してはノータッチです。名前という自身を規定するものを嫌っていた以上、生きることを肯定していたとは考えにくいです。
だとすれば彼女は死して楽になったと思ったのに、また生きることを強いられているのですから、こんな苦痛はありません。そしてその生を終えた彼女ですが、今度は「澪音の世界」の舞台に存在しています。当人の視点からすれば3回も存在することを強いられたわけですから、ここまで来ると「星屑の革紐」の時の自分は保てません。
だから彼女は自分を規定するのに、嫌っていた「エトワール」ではなく、「黒銀の毛並みを持つ仔犬」として生まれてきた時の「雨=澪音」を名乗ったのではないか、と思います。澪音が普段瞳を閉ざしているのは、エトワールであった時に見えなかったことの名残かと思います。

私の考えで行けば「Tanatos」の内容は死を恐れる少女の幻想(というか空想)であり、サンホラ世界の死生観の説明ですから、「輪廻の砂時計」と関係させるのは早計です。「砂時計」は「寿命」「生きている時間」の表現として使われている、という意味の曲ですから。

「仔犬=エトワール」の根拠ですが、プルー=母という容易に予想できる公式と、Roman全体のキーになる「生の前には死がある、死の後に生がある」という単純な式です。プルー=母の「零れた砂が〜」「何のために〜」と最後の「黒銀の〜」、この単純な式を当てはめれば、「一度死んだエトワールをもう一度産み落とすために遣って来た」と母が結論付けるのは当然の成り行きでしょう。
この説でいくと、肝心なのはどうやってエトワールの魂を引き戻したのかという問題ですが、多分デュエット部分で出会い、終わったところで引き戻したのでしょう。これであれば、死によって次の生に向かおうとしていたのにまた引き戻されたエトワールがやがて澪音になるのも何となくわかります。

著しく救いのない話ですが、陛下の作ったサンホラは往々にしてそういう世界です。異彩を放つ「11文字の伝言」「truemassage」だけは偽りなき愛の詩ですが、これが「星屑の革紐」の前日談であるならばやっぱり救いがなくなります。「幸せになれなかった」という結末が既にあるわけですから。

どうも見苦しいですが、これが私の結論です。
1-AA