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【Roman】07.天使の彫像 【考察】
37:大黒 2006/11/27(月) 00:38 はじめまして Augusteの天使は多分Augusteの遺作ではないでしょうか 最後に「嗚呼…もう思い残す事は0501い」といってるところを見ると我が子への贖罪のつもりで全身全霊を打ち込んで彫像を完成させる様が浮かんできます Augusteが歌の中で贖罪の光を求めてるのもそういう背景があるからだと思います 修道院に足繁く通ったのはやはり父親として子供の事が気になったからでしょう。ただ父親と名乗る事は愛する妻の命を奪った子供に対しては抵抗があったのだと思います そして最後に修道院にあずけた子供の心からの笑顔を見る事が出来てそれを天使に刻む事が出来たのではないでしょうか 長文乱文失礼しました
38:柏木 2006/11/27(月) 01:20 はじめまして。 Auguste Laurant=金髪ローラン説ですが、私は否定派です。 『天使の彫像』風車小屋有り、天使の彫像完成 ↓ 『緋色の風車』風車小屋焼失(?)、赤髪ローラン活躍中 ↓ 『見えざる腕』赤髪ローラン死亡、金髪ローラン今後を考える 時系列は上記のように考えられますので、 金髪ローランがまともになるのは天使の彫像が完成した後です。 ですから、Auguste Laurantはあくまで数人いるLaurantの中の一人 と考えていいのではないのでしょうか。 >>36 aさま ええと、アダム・スミスの「神の見えざる手」という言葉は 市場経済の需要と供給の話なのでおそらく関係ないかと。
39:さいとうさん 2006/11/27(月) 03:29 はじめまして。私もどちらかと言えば金髪ローランとAuguste Laurantは別人だと思います。 話が飛んでしまいますが、金髪ローランは後の人生は星屑の革紐ではないでしょうか? あちらでは「父の不自由な腕」ともでていますし。
40:M/ 2006/11/27(月) 10:23 君の手が今掴んでいるであろう その宝石はとても壊れ易い その手を離してはならない 例え何が襲おうとも からローランの修道院にいる子供は緋色の風車で 逃げる少年だと予想してるのですが 最初は修道院の中にいる子供が掴んでいる宝石は母親かと思って いたんですが、しかしそれでは母親の灯を奪ってという歌詞と 矛盾がでてしまいまして、そこで今掴んでいるのが少年が今 愛している異性だとするならすんなりいくなぁと 壊れ易い宝石=愛してる女性 で父と子供の繋がりができますし ローランのアトリエは風車小屋ですから
41:M/ 2006/11/27(月) 10:25 連投すいません。 でもこの妄想だと時代が緋色の風車より前になっちゃうんですよね
42:大黒 2006/11/28(火) 00:18 はじめまして >>41M/さん 別に緋色の風車が天使の彫像より後でも問題ないと思いますよ 歌の出だしに『戦乱の最中に失われ平和と共に姿を現したとされる』とありますよね 緋色の風車は間違いなく戦乱の中での歌だと思います 時系列的には 天使の彫像(平和。彫像の完成) ↓ 緋色の風車(戦乱。風車小屋の焼失(?)とともに天使の行方も解らなくなる) ↓ 平和(天使の発見) と並ぶと思うのですがどうでしょう
43:神火 2006/11/29(水) 04:47 初めまして。 >>41M/さん。 君の手が今掴んでいる〜の行での子供は緋色の風車の少年だと思っています。 掴んでいるのはやはり緋色の風車での一番大切な《宝物》 《宝物》=《宝石》という繋がりのような気がしますし。 そして、その手を離してはならない〜の行が緋色の風車で不意に君の肢体が〜の部分への前フリというか伏線みたいになっているような気がします。 >>42大黒さん 自分もその流れではないかと思っています。 では乱文・駄文失礼しました。
44:神火 2006/11/29(水) 05:00 乱文・駄文と言って締めておいて連投すいません(泣 さっき書き忘れたことを 緋色の風車と天使の彫像の関係性を考えながらジャケットを見ていたところ 緋色の風車は一番左端に、天使の彫像は一番右端に この事からもやはりこの二つの曲の舞台は同じなんでは無いでしょうか? ジャケットを繋げて見ると天使の彫像と風車の位置的にも何だか比率がいいような気がしますし 天使の彫像の部分に立っている人(Auguste Laurant?)も繋げた状態だと緋色の風車の子供を見ている様にも見えます。 では今度こそ乱文・駄文失礼しました。
45:アカヤイ 2006/12/03(日) 00:32 すごく前の話のようで申し訳ないですが… Auguste Laurantは金髪ローランではないと思います。 彫刻は経験がある…と言っても人の頭程度の大きさの粘土と石膏、木彫しかやったことがないので、 多分大理石とかで作られている彫像についてはよく分からないのですが、片手で作るのは不可能かと。 粘土ならまだ片手でも作れるかもしれませんが、 型を作り石膏を流し込み、そのあと型を「割る」という作業、 また、大理石なら「削る」ことになると思うのですが、 のみとハンマーを使う作業になるので両手がいると思います。 誰かに手伝ってもらえば出来るかもしれませんが、彼は一人で作っているというイメージが…。 「神の見えざる手」は柏木さまの仰っている通りの理由で関係はないと思います。 個人的には、そんな遅くから美術を始めてそんな大成されてもこっちの立場が無いよと思います… 私は子供を捨てた、という解釈をしていますが、 捨てたときにはもう憎んでないんじゃないかと思います。 でも、一瞬でも憎んでしまった自分にはこの子を育てる資格がないと思ったのかと。 でなければ育ててくれるようなところには捨てないんじゃないですかね? それと声や笑顔の点ですが赤ん坊のときに捨てたのならどの子が自分の子か分からないと思います…。 どの子かは分からないけど、この子供たちの中に自分の子供がいる… と思いながら声を聞いていたんだと思います。壁越しで顔は見えないから 成長していく様子も分からず、どの声かも分からないし、笑顔も見れないと思います。 そうすると最後の「もういいよ、パパ」は(Augusteに天使が言ったように見えた)幻聴… ということになって、なんだかすごく可哀想になってしまうのですが; でも、捨てられた子供には父親が分からないだろうしその子供が言うのは変かなと。 その辺はゲルダさまの解釈とほぼ同じでしょうか。 長くてすみません。
46:犬 2006/12/10(日) 13:14 流れをぶった切るようで悪いが この曲は後半の最後の悪あがき〜のところの一節だけ よく聴くと映写機が回ってる音が入ってる で、想像の翼は〜ではもう音が止んでる 此れは何を示唆してるんだろう?
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