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【Roman】07.天使の彫像 【考察】
13:神夜 2006/11/24(金) 02:09 自分の妄想というか…これは緋色の風車と関係あります…かね? 子供たちへの「その手を離さないように」 緋色の風車にて手を離してしまった少年がだぶって仕方ないです。後悔の念みたいな。
14:閃光騎士 2006/11/24(金) 03:11 えーと… まだ手がかりは少ない様ですが、今の所はこんな感じでしょうか? 『Auguste Laurant』は、表情も知らない我が子をモデルにして『天使』を作っていた。 その顔には嘆き、悲しみか、少なくとも笑顔ではない。 何故なら制作中はまだ、愛する妻の命を奪って生まれてきた我が子を憎んでいたから。 『Auguste Laurant』は足繁く修道院に通ったが、我が子と対面してはいない。 やがて我が子を憎んでしまった事に対して罪の意識を感じ、 死の間際にその償いとして『天使』の表情を笑顔に変えた。 しかし、我が子は既に『Auguste Laurant』を赦していた。 「もういいよ…パパ」 うーん… まだまだ足りない所は多いですね。 どうでしょうか?
15:選考騎士 2006/11/24(金) 04:03 連投済みません。 >グレさん 金髪のLaurantは隻腕ですがAuguste Laurantにはその様な描写がなく、 且つ、彫刻というものに対して「両の手で受け止めて」と言っている事から、 隻腕の人間がその様な表現を用いるとは考え難いので、 Auguste Laurantと「見えざる腕」の金髪のLaurantは 同一人物ではないと思いますがどうでしょう?
16:nana 2006/11/24(金) 04:19 領主なら隻腕でも比喩的に両手を云々という表現を使うくらいあたりまえにすると思うが
17: 2006/11/24(金) 08:48 使う単語一つ一つを考えてやってる領主だからこそいい加減な表記はしないと思うが
18:SoO 2006/11/24(金) 10:15 「見えざる腕」という表現から類するに、腕がないのではなく唯見えないだけだという意味にもとれる。 だとすれば、「両の手で受け止めて」という表現を使ってもあながち間違いではないと思うのだが。
19:Evangeline 2006/11/24(金) 12:24 実際に腕がなくなった人も、感覚的には腕があるような感じらしいですもんね。 腕が存在しないはずなのに、感覚的には腕が痛いとも言っていますし。 痛み、もしくは腕がまだあるような感覚があるのなら、両手で受け止める「つもり」の可能性も十分あります。
20:ET 2006/11/24(金) 12:32 そもそも片腕で彫刻作るのって無理なんじゃないかな。
21:匠 2006/11/24(金) 13:52 Auguste Laurantが見えざる腕のローランである可能性ですが、 幻肢痛を訴えていたり「見えざる腕で絞め殺す」などの表現から、 「ローランは腕が見えないだけ」と思っているのかもしれません。 腕が確かに存在する感覚はあるので「両の手で」という表現を使ったのかな?と思います。 幻肢という症例には、無くなった腕や足を意識して動かすことが出来るそうです。 逆に、動かせないと激しい痛みを感じることがあり、それを<幻肢痛>というらしいです。(ウィキペディアより) そう考えると、同一人物の可能性も捨てきれないのでは?と思います。 ただ、彫刻を隻腕で作れるかは謎ですが…
22:NOB 2006/11/24(金) 14:01 「【足り0501いのは〜〜」直前の間奏と、その後の旋律がArkと一致している事から Arkの監視卿の視点からも読み解けるのではないかと思考しております。 彼もまた妻を失って(別れて?)いると取れるので。 Arkも謎が多いので、まだまだ考えを纏めきるには時間がかかりそうですが・・・。 彫像に直接的な関係があるかは分かりませんが、とりあえず暗な部分として。
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