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【Roman】07.天使の彫像 【考察】
45:アカヤイ2006/12/03(日) 00:32AAS
すごく前の話のようで申し訳ないですが…
Auguste Laurantは金髪ローランではないと思います。
彫刻は経験がある…と言っても人の頭程度の大きさの粘土と石膏、木彫しかやったことがないので、
多分大理石とかで作られている彫像についてはよく分からないのですが、片手で作るのは不可能かと。
粘土ならまだ片手でも作れるかもしれませんが、
型を作り石膏を流し込み、そのあと型を「割る」という作業、
また、大理石なら「削る」ことになると思うのですが、
のみとハンマーを使う作業になるので両手がいると思います。
誰かに手伝ってもらえば出来るかもしれませんが、彼は一人で作っているというイメージが…。
「神の見えざる手」は柏木さまの仰っている通りの理由で関係はないと思います。
個人的には、そんな遅くから美術を始めてそんな大成されてもこっちの立場が無いよと思います…
私は子供を捨てた、という解釈をしていますが、
捨てたときにはもう憎んでないんじゃないかと思います。
でも、一瞬でも憎んでしまった自分にはこの子を育てる資格がないと思ったのかと。
でなければ育ててくれるようなところには捨てないんじゃないですかね?
それと声や笑顔の点ですが赤ん坊のときに捨てたのならどの子が自分の子か分からないと思います…。
どの子かは分からないけど、この子供たちの中に自分の子供がいる…
と思いながら声を聞いていたんだと思います。壁越しで顔は見えないから
成長していく様子も分からず、どの声かも分からないし、笑顔も見れないと思います。
そうすると最後の「もういいよ、パパ」は(Augusteに天使が言ったように見えた)幻聴…
ということになって、なんだかすごく可哀想になってしまうのですが;
でも、捨てられた子供には父親が分からないだろうしその子供が言うのは変かなと。
その辺はゲルダさまの解釈とほぼ同じでしょうか。
長くてすみません。
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