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【Roman】08.美しきもの 【考察】
36:ni2006/12/01(金) 22:39
私は、実際に風景画が描かれていたのだとしたら、ロランの存命中だと思います。
根拠としては単純なものなのですが、冷凍さんの仰られるように回想しながら絵を描いたのなら歌詞中「風景画」に掛かる言葉は「その」ではなく、「この」が適当ではないでしょうか。「その」と言って指した場合には、実際に見せている相手がいる状況、というのが一般的でしょう。
もしかしたら遺影か何か、対象を象徴するものに対して語り掛けているのかも知れませんが……そうなるともう、想像の範疇を出ませんし。
うーん……ただ、個人的には「風景画そのものは存在しない」ようにも思うんですよね。
療養の為(或いは不治の病であるが故の、隠居のような)、美しい風景の広がる地へやってきた二人。窓のすぐ横にベッドを置き、窓枠を額縁、窓自体を画布と見立てそこから見える四季の変化を絵画と例えた。で、姉は「その風景画、綺麗かしら」、と。
「綺麗だと君が言った景色 きっと忘れない」んですから、もし風景画を描いたのならやはりロランの死後、その風景を思い出してのものでしょう。
しかし上で述べた理由から、死後だとすると少し言葉遣いがおかしい。≒実際に風景画は存在しない? と考えました。実際に風景画を見せた(風景画が手元にある)のなら、恐らく「忘れない」と言うまでもなくそれこそ忘れられないでしょうし。
上で療養、としたのも、私にはどうもこの二人がここで生まれ育ったように感じられないんですよね……。ここで語られている風景描写は、新鮮な感動に彩られているみたいで。ロランの生命は実際、やって来て一年ほどしか持たなかったのでは、という気がします。
或いはそれが「美しきもの集める為に…」という部分に係わってくるのかも。
窓の外で歌う姉は、ロランの見る『綺麗な』風景画の一部となりたかった。
「少女」と表現されているのは、単に「其れは――」で始まる節のみが三人称の視点で語られているから。
ロランは四季の風景の中に『美しきもの』を探していたが、姉にとってはそんなロランの短い生命、安らかな死に顔こそが真実の『美しきもの』だった。
箇条書きの感もありますが、現段階での私の結論としてはこんな感じです。
長々と駄文を垂れ流してしまいましたが……、よく考えるとこの解釈、原点回帰の部分が多数を占めているんですよね;
折角議論が発展してきたところに水を差すこととなるかも分かりませんが。一応、「こういうロマンもまあ、ありかな」程度で受け止めて頂ければ幸いです。
何か明らかに辻褄の合わない部分があるようでしたら、考え直しますのでご指摘お願い致します……。
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