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アルプス伝説(←?)■トウ艾■
1:玉川雄一2002/01/26(土) 19:38
鄧艾の士載ちゃんです。
所属は屯田部、園芸部、地学部、ワンゲル部(笑)と諸説ありますが…
吃音でいぢめられていたところを司馬懿に見出されたんでしたよね。
彼女の縄張りは荊州校区から雍州校区。姜維との熾烈なバトルを制して劉禅の部(仮称)を屈服させるも鍾会の陰謀(笑)によって失脚。
省29
2:玉川雄一2002/01/26(土) 20:02
[2029] 晋書段灼伝は、鄧艾擁護論のために立てられたようなものです。不勉強にて鄧艾伝に載っているのと内容が完全に同じかどうかは分かりませぬが、参考にはしているでしょうね。 12/2(Sun) 23:21
玉川雄一
[2030] ちなみに段灼さんはなんと敦煌の生まれ。最後は魏興太守で亡くなったそうです。 12/2(Sun) 23:23
玉川雄一
省48
3:★玉川雄一2003/06/15(日) 03:24
なんかたまたま見つけたんですが。
皇甫嵩(そして謐)の直系の子孫かは分からんのですが、
「安定朝那の皇甫氏」ったら同族だと思われる人を二人ほど。
皇甫重(倫叔、-304):西晋の秦州刺史。
張華に見出されのちに秦州刺史となる。
省16
4:★玉川雄一2003/06/15(日) 03:46 [sage]
>>3皇甫真補足
ちなみに皇甫典、奮、覆は皇甫真より早くから前秦に仕えていたそうです。
代々、安定の名族としてそれなりの羽振りを利かせていたんでしょうかね。
5:★ぐっこ@管理人2003/06/16(月) 21:43
追跡調査乙。
皇甫氏といえば、皇甫規系の家門も続いてるんでしたっけ?
あの辺りも学三に使いたいなあ…となると皇甫規の妻なんかどうしよう(^_^;)
忠犬…でいいんだろうか…。
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