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士季ちゃん■鍾会■
4:★ぐっこ 2002/01/30(水) 22:49 香香様版鍾会タンのスレッド… http://isweb22.infoseek.co.jp/play/gukko123/cgi-bin/12ch/read.cgi?bbs=gakuenn&key=1012050496 本当に運営楽だな…(;^_^A
5:クェン 2002/01/30(水) 23:55 とりあえず姉の鍾ヨウにだけは懐いてる。 姉は姉で妹馬鹿で、自慢の妹を蒋済に見せにいったら褒められたんで嬉しかった。
6:★ぐっこ 2002/02/03(日) 12:44 ↑ 採用! 美人ナイスバディ姉妹ハァハァ…士季たんの姉への憧れ…萌えるなあ! それに元常たんの姉馬鹿! これも萌える!鍾ヨウのキャラがますます立つというものッ! 鍾家の方々も、まさかこんな形で再評価を受けるとは思ってもなかったでしょうな!
7:玉川雄一 2002/02/03(日) 14:45 [triglav@livedoor.com] >姉バカ つまりアレですか、某霧島医院の(以下略) で、晋書なんですけど。 「鍾雅(字・彦冑、?〜329)」っつぅ人がいまして、 かの御仁も潁川長社の人なんですって。ということはアレですね? ちなみに、父が鍾[日の下に華]ってだけしかわかりませんで、その先は不明。 鍾雅は蘇峻の乱で殺されて、子の誕も早くに亡くなったとか。
8:japan 2002/02/03(日) 22:27 >鍾雅 鍾ヨウの弟、鍾仲常(名は不明)の孫だそうです。 若年から才能と大志を持ち、成帝の御世に侍中となる。 蘇峻の乱の際に最期まで成帝を守り、殺害された。 血に塗れた御衣を着替えさせようとしたところ、 数えでわずか十一歳の幼い帝は 「これは鍾侍中の血だ。洗ってはならない」と言ったという。 …最後のエピソードだけちょっとうろ覚えですが(汗)。 鍾一族とは思えないほど(?)剛直な忠義一途の人物だったようです。
9:左平(仮名) 2002/02/03(日) 23:19 ↑japanさんが書かれている鍾雅のエピソ−ドって…恵帝に対する ケイ(禾+尤+山)紹(=「竹林の七賢」の一人として知られるケイ康の子) のそれとそっくりですね。 鍾会によって陥れられ処刑された人物の子と鍾会の一族の者が類似したエピソ−ドを持つとは… どこか運命めいてますね。
10:★ぐっこ 2002/02/04(月) 00:56 [sage] 鍾姉妹の続きですか!? 名前の響きがいいですね〜。鍾雅。 あ、「忠臣の血だ。何で洗えよう」ってエピソード、私もどこかで見た覚えが… 鍾ヨウの弟の孫の話だったんですか〜。それにケイ康の息子も似た話が…。 この辺のエピソード、学三化するとしたら…って、こりゃ東晋スレ向けですね〜
11:japan 2002/02/04(月) 21:11 [sage] >左平(仮名)様、ぐっこ様 スミマセン、もしかしたらケイ紹と勘違いしていたかもです。(滝汗) 昨日から出典を探していたのですが、どうも見当たらなくて… やはり投稿前にはちゃんと資料を読まなければ。失礼しました〜っ!! おわびといっては何ですが、『世説新語』で発見した成帝と鍾雅の逸話をご紹介。 蘇峻に同調して叛乱を起こした任譲が、帝の目の前で鍾雅を捕らえたとき 幼い成帝は泣きながら「私の侍中を返せ」と言ったそうです。 叛乱が終結した後、陶侃をはじめとする諸公が任譲の助命を上奏したが、 帝は「任譲は私の侍中を殺した男だ。許すわけにはいかぬ」と拒否。 幼い主君の意向には逆らえず、結局任譲は処刑されました。 十歳かそこらの少年皇帝が「僕の侍中を返して!」と泣きながら 訴えていたかと思うと…(涙)つくづく東晋ハイスクールには悲劇が多すぎです。
12:玉川雄一 2002/02/04(月) 21:24 [triglav@livedoor.com] ↑ぬお、「世説新語」だ! 私も最近明治書院のを図書館で借りて読んでます。 でも、下巻しかなくて… この本、まるごと裴註みたいで面白いですね(笑)
13:★ぐっこ 2002/02/05(火) 00:44 [age] ↑ うわ〜いい話だ! 東晋ハイスクール…毀誉褒貶が激しいだけマジ話が多くなりそうですね〜! 期待age
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