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士季ちゃん■鍾会■
8:japan 2002/02/03(日) 22:27 >鍾雅 鍾ヨウの弟、鍾仲常(名は不明)の孫だそうです。 若年から才能と大志を持ち、成帝の御世に侍中となる。 蘇峻の乱の際に最期まで成帝を守り、殺害された。 血に塗れた御衣を着替えさせようとしたところ、 数えでわずか十一歳の幼い帝は 「これは鍾侍中の血だ。洗ってはならない」と言ったという。 …最後のエピソードだけちょっとうろ覚えですが(汗)。 鍾一族とは思えないほど(?)剛直な忠義一途の人物だったようです。
9:左平(仮名) 2002/02/03(日) 23:19 ↑japanさんが書かれている鍾雅のエピソ−ドって…恵帝に対する ケイ(禾+尤+山)紹(=「竹林の七賢」の一人として知られるケイ康の子) のそれとそっくりですね。 鍾会によって陥れられ処刑された人物の子と鍾会の一族の者が類似したエピソ−ドを持つとは… どこか運命めいてますね。
10:★ぐっこ 2002/02/04(月) 00:56 [sage] 鍾姉妹の続きですか!? 名前の響きがいいですね〜。鍾雅。 あ、「忠臣の血だ。何で洗えよう」ってエピソード、私もどこかで見た覚えが… 鍾ヨウの弟の孫の話だったんですか〜。それにケイ康の息子も似た話が…。 この辺のエピソード、学三化するとしたら…って、こりゃ東晋スレ向けですね〜
11:japan 2002/02/04(月) 21:11 [sage] >左平(仮名)様、ぐっこ様 スミマセン、もしかしたらケイ紹と勘違いしていたかもです。(滝汗) 昨日から出典を探していたのですが、どうも見当たらなくて… やはり投稿前にはちゃんと資料を読まなければ。失礼しました〜っ!! おわびといっては何ですが、『世説新語』で発見した成帝と鍾雅の逸話をご紹介。 蘇峻に同調して叛乱を起こした任譲が、帝の目の前で鍾雅を捕らえたとき 幼い成帝は泣きながら「私の侍中を返せ」と言ったそうです。 叛乱が終結した後、陶侃をはじめとする諸公が任譲の助命を上奏したが、 帝は「任譲は私の侍中を殺した男だ。許すわけにはいかぬ」と拒否。 幼い主君の意向には逆らえず、結局任譲は処刑されました。 十歳かそこらの少年皇帝が「僕の侍中を返して!」と泣きながら 訴えていたかと思うと…(涙)つくづく東晋ハイスクールには悲劇が多すぎです。
12:玉川雄一 2002/02/04(月) 21:24 [triglav@livedoor.com] ↑ぬお、「世説新語」だ! 私も最近明治書院のを図書館で借りて読んでます。 でも、下巻しかなくて… この本、まるごと裴註みたいで面白いですね(笑)
13:★ぐっこ 2002/02/05(火) 00:44 [age] ↑ うわ〜いい話だ! 東晋ハイスクール…毀誉褒貶が激しいだけマジ話が多くなりそうですね〜! 期待age
14:japan 2002/02/05(火) 22:21 [sage] 世説新語は明治書院の新釈漢文大系シリーズが、注釈が充実していて面白かったです。 表紙が緑色で小さな本のシリーズ(←出版社ど忘れ)は訳がちょっと… 「捷悟編」や「排調編」「汰侈編」あたりは学園のネタにできそうな話が一杯。 この本、ナマ裴松之ちゃんの後輩でもあるお嬢様・劉義慶ちゃんが作った同人誌(爆)だと思ってます。 既に東晋ハイスクールを通り越して、学園が南北に分裂した後のお話ですね。
15:★ぐっこ 2002/02/05(火) 23:44 うーむ…本編とは別個ながら、相当に濃ゆいお話が期待できそうです! いっそ後漢市の名前を変えて、春秋くらいからの創立にしてやろうかしら? とか思ってみたり…。 学園を初めて統一した伝説のスケ番・エイ政とか…後の始会長(;^_^A
16:玉川雄一 2002/02/06(水) 00:54 [sage] 排調編、楽しく読みました。 何てったってのっけから「あの」諸葛恪がやりこめられてるし(笑) 続いて、鍾会、鍾毓が姉妹(違う)そろって諱ネタで頑張ってる! なんか陳泰損な役回りだし(^_^;) 早く全部読みたいなあ。
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