☆思いついた舞台設定を嵐のように出し合うスレ☆
7:★ぐっこ2002/01/27(日) 00:22
「蒼天通信」のバックナンバーによると、長湖部初代部長孫堅は黄巾事件制圧活動に参加した際、"剥奪に成功した階級章に応じた評価点数を、その都度該当者に加算せよ。"とそつのない交渉をしたらしい。
 黄巾党は"貨幣章"所持者のみで構成されていたため(首魁の張角ですら中央委員への参画に失敗した5百円玉章所持者あがり)、塵も積もれば山になるとはいえ、小額点数の加算は煩雑であった。
 担当官はこの"あきんど"じみた行為を敬遠していたらしいが、当時の実状として、この手の制圧活動への評価点数は活動終了時に該当者の階級章に応じた点数がまとまって与えられていたため、上に厚く下に薄い活動内容にまったく関係ないものであり、まだ階級の低い(当時、孫堅ですら500円玉章)孫堅一党にとっては承服しかねるものであった。なお、曹操は既に千円札章所持者であった。
 孫堅は、"敵の上級指揮官には、一対一の正規のバトル以外では剥奪が不可能な剛の者もいる。指揮官を倒さずに切り崩すことは不可能"と、主張を認めさせ、結果として長湖部部員全体の評価点数の底上げに成功。これが、後々の孫堅、孫策の"部長2代連続の不祥事による階級章半強制返済"という後漢市史でも未曾有の危機を乗り越える布石となった。

 帰宅部連合末期の重鎮、廖化は荊州校区陥落事件において"飛ばされた"ことにして退路を開くことに成功、戦線復帰した稀な例として後漢市史に残る。
 似た例で、魏の名将張コウは、"3回は飛んでいるのでは?"と真しやかに言われていた。もっとも3回目が命とりだったが…。
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