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☆思いついた舞台設定を嵐のように出し合うスレ☆
9:岡本 2002/01/27(日) 00:46 大幅にずれ込んだ昼休みに書き込んでおります。岡本です。 昨晩、物書きの参考にしようと学三年表に合わせて正史の年表を書いてみました。大体、1月〜1年で換算し、夏休みは時間経過も早いでしょうが、宿題消化も考えて2年、冬休みを1年と換算しました。調整目安は、菫卓暗殺の192年を1年次の冬休みに、官渡決戦(200年)と倉亭の戦い(例の十面埋伏;201年)を2年次の夏休み、劉備死去(223年)を3年次の3月としました。ぐっこ様も似たような目安で年表を作られたかと思います。確かに、変に濃い年と平穏な年が存在しますので、盛り上がりに忠実な演義とは時間の流れる尺度が異なるとは思っていましたが、まさかこれほどとは...。以下、完成後の私の反応をそのまま書きます。 孫堅引退は一年次の12月 →「早すぎるな〜。劉表戦はやはり、まさかの敗戦か。」 孫策の活動期間は1年次の冬休みから2年次夏休み前半 →「おい、短命とは思っていたけどまさか8カ月かよ。しかも本人は高1の夏休みで引退か。きっついな〜。」 赤壁の戦いは2年次の2月(ぐっこさんの年表では3年次の夏休み) →「おいおい、1月よりましとはいえ、落ちたら風邪引くぞ。たしかにライフジャケット着用で落ちたら戦死扱いになるわな。長湖部が水泳班使えるかと思ったけどこれは無理だろう。あ、でも曹操の深みで泳げない弱点はカバーされるか。実際の赤壁も冬場だったしな。そういえば黄蓋禁断のトイレねたも使えるか。」 合肥戦役(215年)は、3年次の夏休み後半 →「まあ、これは比較的適切か。でも騎馬戦をやる季節じゃないか。できないことないけど。」 と、いろいろ書いてみました。もし、よろしければ裏年表のような感じでぐっこ様に送付いたします。 でも高校三年間(実際は30年以上)戦い続けた曹操と劉備は本当に”当代の英雄”に恥じないと実感しました。物語だけでは見えないこともあると、日頃軽視しがちな年代表記を再認識した次第です。
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