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☆思いついた舞台設定を嵐のように出し合うスレ☆
6:★ぐっこ2002/01/27(日) 00:22
黄巾事件を引き金とする群雄割拠の時代に、各勢力間で頻繁に行われた勢力拡大の方法が、階級章の強制剥奪権をかけての試合もしくは決闘であった。類似行為は後漢市において市史ができる以前から存在し、由来は不明なもののこの行為は"飛ばし"と称せられていた。
※トンナンシャーペイと4人で卓を囲んで行う遊戯で残金が0円になることに由来するという説が濃厚である。さすがに"ハコ"ではオヤジすぎたらしい。
この"飛ばし"行為は関係者数の規模、試合の種目(体育会系や文化系、またそれ以外)に関係なく行われ、勝利者には状況に応じた課外得点が加算されたため、幾多の英雄を生み出した。課外得点は"飛ばさ"れる相手の金額が上昇するにつれ比例して上昇したが、双方の了解のない"飛ばし"行為はタブー視され、該当者は数字には表れないものの社会的に敬遠されたため、思ったように評価の上がらない者もいた。
なお、"飛ばさ"れたものの現役復帰はほぼ絶望であった。
※英雄の一人呂布は"飛将軍"と称せられたが、これは菫卓の手先として数多くの相手を飛ばし続けたことからついた悪名である。菫卓自身も最後には彼女に飛ばされている。同様の称号を持つものに李広がいるが、彼女の場合は名誉称号である。双方の了解の有無が大きく明暗を分けている。
呂布一党は、正規部員でなかったが、呂布自身を筆頭に、体育会系の有力選手が多かったため、飛ばされることが無かったのはおろか学外正式の試合で優秀な成績をあげたことによる正当な貯金もあり、なかなか"強制返済"とはならなかった。これが、長きに亘る混乱に拍車をかけることになった。
劉備三姉妹の一人、張飛の有名な啖呵に"張飛の飛は飛ばすの飛だぜ!! かかって来い!"というのがある。
以下は事実確認中であるが、関羽との初対面時にもこの科白とともに決闘を挑んだが、本人が逆に飛ばされかかったことが後々の力関係に影響を及ぼしているらしい。このときの決闘を預かったのが通りがかった劉備というのが、有名な"ピーチガーデンの誓"に先立つ逸話である。
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