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☆結構凄い勢いで人物設定を適当に考えるスレ☆
342:★玉川雄一 2004/03/30(火) 02:49 討呉作戦を史実のような同時多方面攻勢とするか、 学三的に「第二次赤壁島決戦」とするかによって展開は変わりますが… 益州の東の関門・巴東(永安)を進発した王濬、唐彬軍は いきなり目と鼻の先の建平で頑強な抵抗に遭う。 吾彦は建平太守として、益州に接する最前線を固守。 …というと聞こえはよいが、実状は動きを封じられて手も足も出ず、 かといって呉主を見捨てる訳にも行かず孤立を続ける。 その後背に位置する西陵、夷道は建平を迂回した王濬、唐彬軍の直撃を受け、 西陵では留憲、成キョ、鄭廣が、夷道では陸晏、陸景が討たれた。 同時に、杜預は江陵を攻略して伍延を屠り、胡奮は江安を攻略。 荊州各地に乱入した晋軍はここで一旦軍を再編。 王濬、唐彬、胡奮、王戎は東進して巴丘、夏口、武昌を経由して秣陵(建業)をめざし、 杜預は零陵、桂陽、衡陽ら荊南方面の接収に従事することに。 王濬以下侵攻軍は長江流域を平定しつつその数を増し、さらに東進を続ける… 寿春を進発した王渾、周浚らの軍は呉の中枢部へと斬り込むが、 沈瑩らの逆撃を受けて一進一退を繰り返す。 しかし最終的には数が物を言い、版橋で張悌、沈瑩、孫震らを撃砕。 武昌より後退してきた陶濬が召集した最後の迎撃軍も逃散してしまった。 進退窮まった孫晧は側近の進言を容れてここに降伏を決意するに至り、 最も東方のルートを辿ってきた琅邪王・司馬[イ由]に印綬を差し出すことになる。 さてこの際、荊州方面から東進してきた王濬らは、王渾と合流したのちは その指揮下に入ることとされていた。 しかし呉軍との度重なる激突で少なからず消耗していた王渾が進軍を緩める内に、 無血で進軍する王濬は抜け駆けよろしく石頭への一番乗りを果たしてしまう。 この件は両者の激しい対立を招くことになった。 孫晧の降伏を受け、各地の呉軍は次々に帰順することになる。 建平で孤立していた吾彦、交州を鎮撫していた陶[王黄](陶濬の兄)、 広州での叛乱鎮圧中に晋軍侵攻の報を受けて巴丘まで引き返していた滕脩らは いずれも余力を残したまま降り、引き続き任用されることとなった。 また、江南に旧来から勢力を持つ豪族も軒並み晋に降る道を選んだ。 むしろ孫氏に殉じた者の方が少ないとみえ、顧、周、賀ら各氏は言うに及ばず、 一族から戦死者を出した陸・虞氏もその復興を賭けて西晋王朝に出仕する。 後に彼らが抱いた中央での栄達の夢は潰え、江南に還った諸豪族は東晋王朝において その地位を取り戻すことになるのだが、それは次の時代の物語となる… で、えーと、何でしたっけ? 副将クラスは他にも色々と出てきますが、軒並み一発キャラ気味。 よくよく探せば、さらなるネクストジェネレーションがいるんでしょうけど。
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