☆結構凄い勢いで人物設定を適当に考えるスレ☆
428:海月 亮2006/04/20(木) 02:01
もうひとり、今の荊州戦SSでもこっそりとキーパーソンな潘濬。


潘濬、字は承明。
中等部時代、劉表配下の才媛・宋忠の知遇を受け、文芸クラブのマネージャーとしてクラブの綱紀を取り締まった。
中等部生徒でありながら、クラブ会費の横領を行っていた生徒を大々的に告発して処断するという苛烈な行動をとり、一目置かれると同時にその存在を恐れられた。

劉備が荊州学区に勢力基盤を構えるとその配下となり、荊州が関羽に任されると、高校一年生になったばかりの彼女は荊州学区総代つきの会計として抜擢された。
生真面目で融通の利かないところもあるが、基本的には実直な性格の持ち主であり、関羽とはやや反りが合わなかったようだが、関羽は樊城棟攻略の際に帰宅部連合の荊州学区における重要拠点・江陵棟の留守を彼女に任せたほどなので、信任はあったことが窺える。
しかし、呂蒙と陸遜の計略により江陵棟はろくな抵抗もないまま長湖部軍団の手に落ち、責務を果たせなかったことを深く恥じた彼女は寮部屋に引き篭もってしまった。
孫権は彼女の忠誠心にうたれ、ベッドに臥して泣いていた彼女の部屋に忍び込み、その心を慰めたという。
そして長湖部と帰宅部連合の関係が修復された頃、彼女は改めて長湖幹部会の一員として招かれた。

張昭、虞翻らに何処か似ている直言の士であったが、彼女はこのふたりのように上から押し付けるようなものの言い方をせず、あくまで同じ目線の友人としての立場から、真摯な言葉で諭すスタンスを取った。
そのため孫権は彼女の言葉を素直に受け入れ、それに従って己の行動を正したという。
呂壱が孫権の寵愛を得て権勢を振るっていた折、彼女は再三にわたって呂壱の悪行について宣伝して廻り、結果的に呂壱の処断に貢献したのが好例といえよう。
また、五谿地区の不良生徒との抗争の際、その総大将に抜擢され、見事に鎮圧するなどの軍才も見せている。

最終的には、長湖幹部会のイベント実行委員長(=太常)を任されたが、三年生になって間もなく転校のため引退する。
孫権を巧くコントロールしていた彼女が早期引退しなければ、後の「二宮の変」を防げたのではないか…という学園史研究家もいる。
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