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☆結構凄い勢いで人物設定を適当に考えるスレ☆
151:★ぐっこ 2003/01/01(水) 02:19 [sage] うーむ、もうちょっとここう、庶民的な肉屋の娘像で(^_^;)
152:玉川雄一 2003/01/01(水) 11:08 [sage] スマソ、今唐突に“鶏と包丁持った男@アル伝”思いだしちった。
153:郭攸長若@凡ミス 2003/01/02(木) 02:51 [azumaio@hotmail.com] 前のレスでぐっこ様が呼び捨てになっていることに今気が付きました。 申し訳ございません・・・m(__)m しばらく↑の名で逝きます・・・。
154:一国志3 2003/01/06(月) 23:06 項翔様の新作を読んで、男子生徒(異民族)の設定を考えてみたくなったので、 とりあえず書いてみます。秘本三国志の影響なのか、匈奴の於夫羅一族の 設定を考えてみました。 於夫羅・劉豹・劉渕 於夫羅は匈奴南高の総代となるはずだったが、内紛により追われてしまい、 中華市に逃亡するはめになった。 以前は喧嘩にあけくれる毎日であったが、学園内で間借りして生活しているうちに、 教養も身につけなければいけないと思い至った。 だが、彼らには教科書を揃える金もなかった。ここで一計を案じ、生徒会が引越しを しているときに、荷物運びを手伝うふりをして書籍の山を持ち去ってしまう。 このとき、一番熱心に本を読んでいたのは、於夫羅の末弟・劉渕であった。 7年後の総代となる人物であるが、もはや蒼天会は解散し、共学の学園となった 時代の話である。 於夫羅が持ち去った荷物の中に、古い琴と楽譜があった。蔡[巛邑]が遺した 「文姫」という美しい曲である。於夫羅の弟・劉豹は、この曲を気に入り、 よく自分で奏でていたのであったが、のちに琴と楽譜は曹操が買い取ってしまう。
155:玉川雄一 2003/01/07(火) 21:42 >>154 匈奴(・∀・)イイ! 劉元海いよいよ蒼天を席巻し、中華に北からの烈風が吹き荒れる!
156:惟新 2003/01/08(水) 00:54 [sage] 男子生徒設定! この辺、東晋ハイスクールでは必要不可欠であります〜 於夫羅も苦労してるなぁ(^_^;) 蔡文姫が曲というのは面白いですね! ところで、劉渕って劉淵とも書くじゃないですか。 どっちが正しいといいますか、これは何なんでしょう?(^_^;) 登場する書で表記が違うのかな…とか色々考えてみたですが、ぐぐってもわからず。 どなたかご教授くださるとありがたいです。 ……ときに、旧掲示板の方で於夫羅の話を見かけましたが……
157:玉川雄一 2003/01/08(水) 21:59 >淵と渕 むう、そういえばそうですね。 まあ、ぶっちゃけ異字体なんで同じ字ではあるんですよね。 ちなみに徳間書店の十八史略では『劉淵』 東方書店の『五胡十六国』でも『劉淵』 平凡社の『魏晋南北朝通史 内編』でも『劉淵』 …にはは(^_^;) なお、当の『晋書』には表記無し。 何故なら晋書が編纂されたのは唐代であり、 高祖李淵の諱を避けなければならなかったので。 劉淵は『劉元海』 戴淵は『戴若思』 公孫淵は『公孫文懿』 でもまあ、『劉淵』つう方向で?
158:一国志3 2003/01/08(水) 22:28 >劉淵/劉渕 解説ありがとうございます。>玉川様 >>154の書きこみで劉渕と表記したのは、陳舜臣「中国の歴史」を 参考にしていたからでした。 #公孫淵の字は晋書のほうで伝わっていたのですか。
159:惟新 2003/01/08(水) 22:42 そうだっ異体字だ! えらい初歩的な質問をしてしまったようで、申し訳ない(^_^;) 晋書の方では表記なしですか〜 三国志では呉懿→呉壱なんてしてましたが、そもそも姓-字にしちゃうのもあるわけですね。 てか公孫淵の字は文懿だったんですか(^_^;) おかげさまで色々賢くなりました。ありがとうございましたm(__)m
160:玉川雄一 2003/01/09(木) 20:27 >公孫文懿 まあ彼の場合思わぬラッキーといいますか。 劉淵と戴淵はともに晋書立伝者でありまして、 そういうクラスになると本文の冒頭で 「○○の諱を避けた」と断り書きしてあるのですね。 ですが、公孫淵は宣帝紀内に登場(例の遼東征伐)するのみで、 註ですら説明されていないという可哀想な存在でした。 最初に見たときは「『公孫文懿』?誰それ?」と思ったものでしたが、 その部分の内容から公孫淵と判明(『解體晉書』でも鑑定済み)したのでした。 なお、松竹梅さんと共に「『公孫文懿』普及委員会」を結成しています。 貴方も加盟してみませんか? なお、『解體晉書』で伺った話によりますと、 晋書の編纂された唐代では避諱が冗談かと思われるほど厳しかったらしく、 ナマ温いやり方では済まなかったそうです。 また、晋書でも置き換えによる避諱もありました。 李通の孫の『李秉』は、唐の高祖の父『李キ』に(音が)通じるということで 『李重』と表記されています。 晋書は編纂者が多人数だったので場合によってまちまちだったのでしょうかね。
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