☆東晋ハイスクールの設定を真剣に考えるスレ☆
24:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:30AAS
 顧栄(コエイ) ?〜312

字は彦先、顧穆(一名顧裕)の子で顧雍の孫。西晋の散騎常侍、安東将軍司馬、嘉興伯。
はじめ呉に仕えるがその滅亡後は洛陽に入り、陸機、陸雲兄弟とともに「三俊」と号される。
八王の乱では諸王に仕えるもその志を得ず、江南に還る。
陳敏の乱(305〜307)においては一時それに荷担するが先行きを危ぶみ、
省46
25:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:33AAS
 紀瞻(キセン) 253〜324?

字は子遠、呉の尚書令紀亮の孫。東晋の散騎常侍、驃騎将軍、臨湘県侯。
呉の滅亡後は晋朝の地方官に出仕するが志を得られず帰郷し、顧栄らと行動を共にして陳敏を討つ。
のちに朝廷に召されて顧栄、陸玩らと共に洛陽に赴くが、永嘉の大乱を目の当たりにして南帰を図る。
司馬越の意を受けた裴盾の追っ手から逃れ、昼夜兼行で揚州にたどり着いた。
省43
26:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:44AAS
 薛兼(セツケン) ?〜322

字は令長、呉の光禄勲薛瑩の子で薛綜の孫。東晋の太常、散騎常侍、安陽郷侯。
若き日には紀瞻、閔鴻、顧栄、賀循らとともに「五儁」と号した。
洛陽に入って張華に認められ、司馬越から転じて司馬睿に仕える。
太子(のちの明帝・司馬紹)少傅となり、祖父より三代続けて太子の傅役を務めたと賞賛された。
省33
27:雑号将軍2005/07/21(木) 22:32AAS
こ、これは、まさにもう玉川様にはひれ伏すばかりにござりまする…。玉川様は三国志を極め、さらには晋まで極めておられるとはっ!本当にいろいろとご教授頂きありがとうございます。
今見ると、かなり呉の名将、名文官の子孫って、晋に仕えているんですね。
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