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☆東晋ハイスクールの設定を真剣に考えるスレ☆
12:那御2004/04/01(木) 14:19
もはや討呉戦役の参戦武将に関しては玉川様の記述に非の打ち所が無いため、
戦役の補足でもしましょう・・・
この戦は、これまで繰り返されてきた局地的な小競り合いではなく、
総勢20万の軍勢による「完全決着」を狙った大攻勢であった。
司馬炎がこの侵攻に踏み切ったのは、その年の夏に広州で勃発した郭馬の乱によって、
呉国内がこれまでになく混乱していたことに起因する。
郭馬が反乱を起こしたのには、合甫太守であった脩允の病死のために行われた軍の再編によって、
先代からともに戦ってきた兵士たちが配属変更になったことに憤りを感じたためであり、
同僚の何典、王族、呉述、殷興らの武将らがこれに追従した。
この反乱は当初は南方守備部隊による小規模反乱に過ぎなかったが、
呉帝孫皓が広州での課税強化を布告したために、これに反発した広州の人民もまた、
郭馬の軍勢に加わり、その兵力は著しく増加、最終的には広州全土での大反乱へと発展した。
孫皓はこれを鎮圧すべく、南方戦線へと兵力を割いたが、
これによって生まれた北方戦線の層の薄さを晋の都督荊州諸軍事杜預に見抜かれ、
司馬炎の決断を促すこととなった。
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