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☆東晋ハイスクールの設定を真剣に考えるスレ☆
24:★玉川雄一 2005/07/21(木) 21:30 顧栄(コエイ) ?〜312 字は彦先、顧穆(一名顧裕)の子で顧雍の孫。西晋の散騎常侍、安東将軍司馬、嘉興伯。 はじめ呉に仕えるがその滅亡後は洛陽に入り、陸機、陸雲兄弟とともに「三俊」と号される。 八王の乱では諸王に仕えるもその志を得ず、江南に還る。 陳敏の乱(305〜307)においては一時それに荷担するが先行きを危ぶみ、 僚友らとこぞって討伐軍に身を転じた。 後に司馬睿の幕僚となり、江南士人を数多く推挙した。 政治 7 江南に還りようやくその才を発揮 政略 8 幾多の危機を切り抜ける 戦闘 4 陳敏の乱では自ら戦った 戦略 7 司馬睿の参謀役を務める 人徳 8 江南での人望はあつい 忠誠 6 主を変えつつ身の活かしどころを選ぶ 陸機、陸雲兄弟亡き後は、この顧栄が名声において江南士人の筆頭にあったと思われる。 司馬睿政権とは利害が一致し、勢力地盤を提供する引き換えに僚友らに仕官の途を確保した。 江南諸豪族は彼を中心によくまとまっていたがその死後は巧妙な政略により分断され、 北来士人優位の構造に再構成されてゆくことになる。 なお、司馬倫の与党として連座しかけたとき、かつて"あぶり肉”を分け与えた給仕係が 一飯の恩に報いるために顧栄を救出してくれたことがあったという。 顧秘(コヒ) ?〜310年代前半 顧雍の一族である顧悌の子。西晋の交州刺史。 文武に才幹あり、吾彦の没後に後任として交州刺史を務める。 …これぐらいしか調べられなかったので、子の顧衆を。 顧衆(コシュウ) 274〜346 字は長始、顧秘の子。東晋の尚書僕射、鄱陽県伯。 東晋の朝廷に仕え、蘇峻の叛乱討伐に大功を挙げる。 その後も内外の官を歴任し、高い信頼を受けた。 政治 7 地方官から朝廷の大官まで務める 政略 7 王敦にも屈せず、また人間関係も良好 戦闘 7 実戦指揮官として勇戦 戦略 7 各地を転戦し武官も歴任 人徳 8 孝にあつく人望が高い 忠誠 7 東晋朝廷に貢献 郷里の声望を担い、三呉の名族顧氏の底力を見せた。 朝廷からの信頼も厚かったが、地位を貪ることなく身を処した。 仏教をあつく信仰していたという。
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