☆東晋ハイスクールの設定を真剣に考えるスレ☆
16:★玉川雄一2004/04/03(土) 21:35
あれ、郭馬の乱って呉軍によって鎮圧されたんでしたっけ。
滕脩と陶コウらで挟撃をかけたとまではありますが、その後はどうなったのかしら。

というのも、晋書滕脩伝に
「廣州部曲郭馬等為乱、晧(孫晧)以脩(滕脩)宿有威恵、為嶺表所伏、
 以為使持節、都督廣州軍事、鎮南将軍、廣州牧以討之。」
省16
17:★玉川雄一2005/07/20(水) 20:15
 【参考資料】
玉川流晋代人物小伝。
2ちゃんの数値化スレに投下したネタなのでその辺お含み置きを。

 吾彦(ゴゲン) ?〜310年代?

省37
18:★玉川雄一2005/07/20(水) 20:20
 周處(シュウショ) 236〜297

字は子隠、呉の周魴の子。呉からその滅亡後は晋に仕える。
才能はあったが権力者を容赦なく弾劾したので忌避され、
齊萬年の叛乱討伐に際し寡兵での戦闘を強要されて戦死。

省32
19:★玉川雄一2005/07/20(水) 20:24
 周訪(シュウホウ) 260〜320

字は士達、呉の左中郎将周敏の子で威遠将軍周纂の孫。
東晋の安南将軍、持節都督梁州諸軍、梁州刺史、尋陽県侯。
はじめ県吏となり、陶侃と親交を結んでその子陶瞻に自分の娘を嫁がせた。
のちに司馬睿に仕えて将として各地を転戦し、
省45
20:★玉川雄一2005/07/20(水) 20:27
 甘卓(カンタク) ?〜322

字は季思、呉の太子太傅甘昌の子で甘寧の曾孫。
東晋の鎮南大将軍、侍中、都督荊梁二州諸軍事、荊州牧、梁州刺史、于湖侯。
呉の滅亡後は野に下るが州に招かれて再び出仕し、
呉王司馬晏に仕えて石冰の乱(303〜304)を討つ。
省37
21:海月 亮2005/07/20(水) 22:48
すげぇ…晋代の江東系名将勢ぞろいだ(;;゚Д゚)
流石は玉川様、大いに参考になるのであります。

そして海月はSSで「戴烈」を「戴陵」と書き間違えたという恥ずかしい失敗をしていたことが判明…_| ̄|○
22:雑号将軍2005/07/20(水) 23:11
おおおおおおおおおおお!なんとっ!ありがとうございます、玉川様!!もうなんとお礼を申せばいいのか…。
よくわかりました。とにかく、とにかく、多大なる感謝をっ!
23:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:28
せっかくなので、「武将」からは外れるけど孫呉系の人物を補完。

 滕脩(トウシュウ) ?〜288

字は顯先。はじめ呉に仕え、のち晋に降る。
政治、軍事双方に才を発揮し、南方統治を任された。
省43
24:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:30
 顧栄(コエイ) ?〜312

字は彦先、顧穆(一名顧裕)の子で顧雍の孫。西晋の散騎常侍、安東将軍司馬、嘉興伯。
はじめ呉に仕えるがその滅亡後は洛陽に入り、陸機、陸雲兄弟とともに「三俊」と号される。
八王の乱では諸王に仕えるもその志を得ず、江南に還る。
陳敏の乱(305〜307)においては一時それに荷担するが先行きを危ぶみ、
省46
25:★玉川雄一2005/07/21(木) 21:33
 紀瞻(キセン) 253〜324?

字は子遠、呉の尚書令紀亮の孫。東晋の散騎常侍、驃騎将軍、臨湘県侯。
呉の滅亡後は晋朝の地方官に出仕するが志を得られず帰郷し、顧栄らと行動を共にして陳敏を討つ。
のちに朝廷に召されて顧栄、陸玩らと共に洛陽に赴くが、永嘉の大乱を目の当たりにして南帰を図る。
司馬越の意を受けた裴盾の追っ手から逃れ、昼夜兼行で揚州にたどり着いた。
省43
1-AA