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読書感想文スレッド
98:雪月華2003/09/16(火) 07:37
早速の掲載、サンクスです。
第一部のあとがきにかえてお詫びを…
まず、いろいろと史実と食い違っている部分があり、
・蔡ヨウは董卓に呼び戻されて司州にいたのであり、張譲たちを批判していため、それまでは呉に隠れていました。
・皇甫嵩が車騎主将でなくなったのは、黄巾の乱の終息直後の、韓遂反乱鎮圧後であり、今回の王国討伐の後は、特に降格されるでもなく、董卓が、貸した兵を返さないことについて、人格者っぽいコメントをしていたりします。
・もちろん、張譲を殴ったり、霊帝に非礼を働いたりもしてません。
省13
99:★ぐっこ@管理人2003/09/17(水) 01:10 [sage]
うい! 本当に長編乙かれです!
あの頃蔡邕は実際のところ、揚州校区でくすぶってたんですねえ…
まあ、厳密に正史をトレスする必要もなく、イザとなれば「異説」ってことで(^_^;)
あの皇甫嵩たんがキレたのが、何せ最初のインパクト。
そして若草物語に耽溺してたのが次のインパクト(^_^;)
実は曹操がオキニってのも(・∀・)イイ! じゃあ朱儁は孫堅だろうなあ…(^_^;)
省10
100:★ぐっこ@管理人2003/10/14(火) 00:42
うい、その赤い流星編拝領あんどうぷ!
今回も凄いボリューム!
余すことなく後漢末トリオが活躍ですが(丁原は気の毒(^_^;))、今回、色んな意味で
革新的なキャラ変更というか、設定追加が!
何よりも皇甫嵩たん。
省19
101:雪月華2003/10/14(火) 04:07
深夜のHTML化、お疲れ様です。
まあ、例によって、あとがき(言い訳)を…
なんだか、どんどん、史実とは、かけ離れて逝ってます。
荀イク登場の前に戯志才が出てきたり(文若さんは、私的に盧植先輩より使いづらいです)
それに本来、陶謙の手勢のみだった叛逆の朱儁陣営に、顔良や曹操がいたり…
(※裏設定で、この時期に界橋の戦いが終息しているはずなので…)
省13
102:★アサハル2003/10/14(火) 09:12
相変わらずの格好良さを保ちつつもそこはかとなくブッ壊れた皇甫嵩も
存在そのものがギャグのような戯志才もですが
何よりもハリセン盧植に心奪われました。
いや劉備の師匠でタク出身ってとこから何となくそんな気はしてたんですが…
やぱし浪速娘でしたか(w
省8
103:雪月華2003/10/16(木) 09:06
また、いろいろと間違っていました(汗)。
馬騰、韓遂が攻め込んできたのは、董卓死後ですし。
朱儁は最初、文官として朝廷に仕えてました。
ついでに、陶謙が兵を貸したのは、朱儁の洛陽奪取後でした。
皇甫堅寿は、一人の名前ではなく、皇甫堅、皇甫寿の兄弟でした。
(皇甫堅寿、と参考資料に載っていたので、間違えてしまいました)
省11
104:★アサハル2003/10/16(木) 10:28
>皇甫姉妹?
…実は「堅寿」という二文字名なのか堅と寿の兄弟なのかハッキリして
なさげです…。原文だと二文字名っぽいけど、この時代に二文字名かよ!?
と思ったりもする訳で…
だからその辺はもう適当でいいような気がします(いいのかよ)
省10
105:岡本2003/10/16(木) 13:19
感想が遅れましてすみません。
拝読したのは火曜だったのですが、どのようにご返事してよいものか考えが
落ち着くのに時間が掛かりましたもので。
事跡や人物の解釈・評価は人それぞれですし、他の方の違った見方を伺うことで
勉強になることも多いですから。
省42
106:★玉川雄一2003/10/16(木) 23:50
何でしたっけ、世説新語の註に皇甫嵩の子が二人載ってたってのを以前書いたんですが、
お絵描き板のログ流れちゃいましたかね。「堅寿」ともう一人。
ほかにソースがないので微妙ですが。つうか「堅寿」が字であるという線はないのでしょうか。
ところで、「皇甫嵩」でぐぐると学三関係で結構ヒットします(^_^;)
107:★ぐっこ@管理人2003/10/18(土) 00:15
仮設過去ログならこちら。
うーむ、懐かしいなあ…(;´Д`)ハァハァ
確かに曹操はスタッフを「性能」で揃えていたっぽいので、バイキングとかに行くと
ぴっちりと取り分けてしまうんでしょうねえ(^_^;)
逆に劉備はごたまぜにしながら、互いの味を消さないような盛りつけで。
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