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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
338:雪月華2003/08/29(金) 09:53AAS
ひと夏の思い出 ─そして現実へ─
そんなこんなで、4人に一匹を加えたサバイバル生活は続いた。
島内の滝で、滝の飛沫と満月の光の組み合わせでできる白い虹『月虹』を見たり、島の北東部で偶然発見した謎の遺跡の探検中、孫策のヘマで遺跡が崩れて生き埋めになりかけたり、突如飛来したUFOらしきものに孫権がさらわれかけ、それを孫堅と孫策の連携技───超○覇○電○弾といい、後に孫策はスタンドアローンでこの技を放つ事ができるようになる─で撃墜したり(船体に『諸葛』と刻んであったようだが、長湖の藻屑となった今では確認のしようが無い)…例年に比べ、驚くほど平穏のうちに時の大河は流れ去り、夏休みも、残すところあとわずかとなった。
キャンプ最終日の前日の夕食後のことである。
「なあ、孫権」
「なあに?伯符お姉ちゃん」
膝の上で寝息をたてている首長龍の背中を、飽きもせず撫でながら孫権は上の空で返事をした。時折、のどのあたりを優しくくすぐってやると、くるる、と甘えた声を上げる。
益州校区の山々の陰に沈む夕日の、最後の光が、焚火を囲む4人をオレンジ色に染め上げている。孫策と周瑜は何やかやと冗談や悪口雑言を応酬しており、孫堅は先日の遺跡探検の際に持ち帰った壺や、怪しい偶像を磨くのに余念が無い。別に学術的熱意や考古学的愛情に駆られての事ではなく、「きれいなほうが高く売れるだろう」と抜け目無く考えた上での事であったが。
「そいつ、名前決まったのかよ?」
「うん、あゆみって決めたの」
「へぇ〜、ま、母親格のお前が決めたなら文句は無いけどよ。長湖からとって『チョーさん』って考えがあったんだけどな。首も長いし」
「伯符ったら、あいかわらずネーミングのセンスがないのねぇ。それに、なんか似たような響きの存在がある気がするから却下」
酷評に失望した孫策は、じろりと周瑜を睨むと、妙に慇懃な態度をとった。
「情け容赦無くキツイ事言ってくれますなぁ、周瑜さん」
「いえいえ滅相も無い。己の欠点を知り、屈辱をばねにして、よりいっそう成長してほしいと願う純粋なオヤゴコロですよ、孫策さん」
「いやいや、それは親心ではなく老婆心というもの。うら若きオトメでありながらババアの心を有するとは、その精神の老け方…いやいや成長には恐れ入ります。されどこの不肖孫策、もう充分にオトナであるゆえ、余計な気遣いは無用というもの」
「あらあら、そういうことはせめてバストが75を超えてから言うものですよ、伯符ちゃん」
「んな…!?」
「73・55・77。この数字は五ヶ月前からまったく変化していませんわ。伯符のことなら、もう隅から隅まで知っていましてよ。オホホのホ」
「な、何で知ってる!?身体測定の結果は全て焼き捨てていたはずなのに…」
「そんなこと、赤子の手を捻るより簡単よ。伯符って一旦寝付くと絶対に朝まで起きないから、その隙に服…」
「周瑜!それ以上言うな!」
羞恥と怒りで顔を真っ赤にした孫策が、抗議の声を上げて周瑜につかみかかった。
ひらりとそれをいなすと、跳ねるように立ち上がった周瑜は砂浜のほうへ駆け出した。
「ホホホ、捕まえてごらんなさ〜い」
「待ちやがれ!」
「終わりない鬼ゴッコを楽しむのが恋愛というものよ〜」
「いつから俺達は恋人になったんだよ!?」
周瑜にいなされてうつぶせに倒れていた孫策も、その後を追って猛然と駆け出していった。
「ったく…見てて飽きない連中だよ。ま、それだけ仲がいいってことなんだろうけどねぇ」
壺を磨く手を休めて、孫堅が苦笑した。そのまま孫権の方を見て何気なく、そして一番重要なことを質問した。
「仲謀。このキャンプが終わったら、その子はどうするつもりでいるの?」
「え…その、寮で飼え…ないか」
「育て上手のあんたのことだから、ペット管理能力に疑いは持ってないわよ。今まで拾ってきた動物、しめて5羽と22匹。いずれも老衰以外では死なせてないし、エサ代も自分の小遣い切り詰めて出している事だしね。…あたしが心配してるのは徐州校区生物部のことよ」
「生物部…最近徐州校区で興った天帝教っていうインチキ宗教に染まったっていう…」
孫権はうそ寒そうに首をすくめた。
「そう。最近、とみに汚染具合がひどくなってきたらしくてねぇ…『解剖するぞ解剖するぞ解剖するぞ』って呟きながら尋常じゃない目つきで小川を浚ってる姿も良く見かけるわね。解剖が学術的手段じゃなくて目的にすりかわっているから、その子、見つかったらただじゃすまないでしょうねぇ…」
「それじゃ、この島に残していくしか…ないのかな」
「まあ、さしあたって、それ以上の手はないわね。幸い、この島にはそう危険な動物もいないし、食べ物だって沢山ある。明日の朝十時頃に、迎えに来るから、今夜のうちに別れを惜しんでおく事ね」
そう言って、再び孫権は壺を磨き始めた。
深夜、孫権はふと目を覚ました。
赤壁島の夜は蒸し暑く、蒸し風呂という表現がぴったりだが、なぜか蚊の類がいないため、慣れてしまえば結構快適ではある。
時計が無いため正確な時間はわからないが、遠くに僅かに見える揚州校区校舎群の常夜灯も消えている事、月明かり以外に光源が無い事から、午前三時頃である事がわかった。世間一般でいう逢魔ヶ時の真っ只中である。
「…あれ?」
孫権は、半身を起こしてあたりを見回し、自分の手元から首長龍の子供…あゆみが消えている事に気づいた。
なんとなくそのまま眠ってしまおうかと考えたが、ひとつ頭を振って睡魔を追い出すと、立ち上がって、あゆみを探す事に決めた。
なにやら這いずった跡が孫権の傍から300mほど離れたところにある砂浜に続いており、それを追っていけば容易に発見できそうだ。
熟睡している姉達と周瑜を置いて、しばらくその跡を辿っていった孫権は、ふと、砂浜に立って遠い対岸のほうを見ている人影に気づいた。
ありえる話ではない。今、この島には、孫姉妹と周瑜の四人しかいないはずである。だが不思議と恐怖は無く、好奇心がそれに勝り、孫権は足を止める事は無かった。
ようやく人影が何者か判別できる距離に近づき、それが小学3年くらいの少女である事がわかった。身長は125cmくらい。白い帽子と同じく白のノースリーブワンピースを身につけている。肩の下あたりまでの、つやのある髪は、月光を浴びてやや青みがかっているように見えた。
孫権は気づいていなかったが、このとき、注意深く観察していれば、這いずった跡が少女の手前3mほどのところから人間の足跡に変化しているのに気がついたであろう。
少女が振り向いた。その表情に驚いた色は無く、ただ、優しく微笑んでいる。
大きな目をした美少女ではあるが、生徒数十万人を誇る蒼天学園には、目の前の少女以上の美人はいくらでもいた。ことに孫策の親友である周瑜は中等部三年の身でありながら、中等部、高等部に並ぶ者の無い美女であるため、孫権は美人を見慣れているはずであった。
いや、孫権の心を惹いたのは、その美貌ではない。優しさ、穏やかさ、温かさなど、人の世に存在する柔らかい単語を擬人化したようなその雰囲気が、孫権の心を引いたのである。
なんとなく立ち尽くしていると、少女が孫権に語りかけてきた。
「ありがとうございます…そして、お待ちしていました」
「え…?」
かける言葉を見つけられずにいると、少女がさらに話を続けた。10歳ほどの少女とは思えないほどの丁寧な言葉遣いである。それでいていやみが無いのは、言葉の根底を成す、その優しさからだろうか。
「…明日で、お別れですね」
「お別れって…キミは誰?どうしてここにいるの?確か初対面だよね?」
質問をしながら、孫権は急に睡魔が勢いを取り戻してきた事に気づいた。視界が揺れ、立っているのが困難になりつつある。
「別れるのは寂しいですが、お互い元気であれば、いずれまた会えます。…いつかまた、必ず会いに来て…」
「え…ちょ…ちょっと待って…キミは…誰?」
今や睡魔の勢いは孫権の全身を席巻しつつあった。視界が霞み、立っていられなくなって孫権は砂浜に膝をついた。
「私の名は、あなたがつけてくださいました。私は……」
孫権が憶えていたのはそこまでだった。
暗い夜空を駆逐して、東の空に姿を著した太陽が、空という名の山を中腹あたりまで踏破し、緩やかに波打つ長湖の湖面を、数万の宝石を浮かべたかのようにきらめかせている。キャンプ二日目の朝から見慣れた光景ではあるが、その日は少し様子が違っていた。
砂浜の端に備え付けられた粗末な桟橋には、二艘の手漕ぎボートが係留されており、六つの人影が忙しく立ち働き、キャンプ道具や発掘品を積み込んでいる。孫堅ら4人と、彼女達を迎えに来た、韓当と祖茂である。
「しかし周瑜。今朝の孫権は一体どうしたんだろうな?」
「目が醒めたらベースキャンプにいなくてびっくりしたわね。まさか砂浜で寝てるなんて」
「夢遊病の類でもないしなぁ。あそこまで寝返りを打ったってことも無いだろうし…」
二人の視線の先では、孫権がしゃがみこんで、首長龍の子供と無邪気に遊んでいた。
全ての積み込みが終わり、いよいよ別れの時がやってきた。
孫権は最後の別れを惜しむように、首長龍の子供を抱き上げると、ありったけの思いをこめて抱きしめた。規則正しい鼓動が、優しく伝わってきて、ともすれば悲しみに沈みそうになる孫権の心を励ましている。
「また、逢えるといいね…」
そう呟くと、首長龍の子供を砂浜に降ろし、船のほうに向かって駆け出した。
孫権が飛び乗ってくるのを合図に、ボートが桟橋を出た。一艘目には孫策と周瑜、最初の漕手には祖茂。二艘目には孫堅と孫権、漕手は韓堂という割り振りである。
船尾から身を乗り出た孫権の視界の中で、赤壁島と、湖岸でじっとこちらを見つめている首長龍の子供の姿が、どんどん小さくなっていく。不意に、昨夜見た不思議な少女と、首長龍の子供の姿が重なって見えた。視界が滲んだ。孫権は自分が泣いているのに気がついた。
「絶対、絶対来年も来るから、それまでボクも頑張るから!それまで待ってて!絶対だよー!」
そう叫んで、孫権は赤壁島に向かって身を乗り出すと、ちぎれんばかりに手を振った。
首長龍の子供のほうも、孫権を真似てか、小さな前ヒレをぎこちなく振っていた。
口元をほころばせ、その様を肩越しに見ていた孫堅は、韓当のほうに向き直り、少し照れくさげに言った。
「もっとゆっくり漕いでやって、義公」
「ふふ、了解しました」
韓当も柔らかく微笑み、船を漕ぐ手を少し緩めた。
その頃、少し先行するもう一艘の船では、滑稽だが、ある意味深刻な問答が交わされていた。
「頼む!周瑜!一生のお願い!宿題写させてくれ、いや下さい!」
「伯符…あなたの「一生のお願い」はこれで…ええと21回目よ。小学一年生の頃から全然成長してないのねぇ。長期休みの恒例になってるじゃないの?」
船底に這いつくばる孫策を見下ろして、周瑜はあきれたようにため息をついた。実際、心の底からあきれ果てている。
「お姉様も孫権ちゃんも、合宿始まる前に全部終わらせたのに、どうしてあなただけ毎年毎年…」
「頼む!何でも言う事聞くから!」
そう言ってしまってから、孫策は心の底から後悔した。
「何でも…ねぇ。うふふ…」
小学校入学以来、長期休みの終わり近くには毎回繰り返されてきた問答である。よく飽きないものだと思いつつも、周瑜は魔界の大魔王すら恐れおののく邪悪な微笑を浮かべながら、さて、どういう要求をしてやろうかと、その怜悧な頭脳をフル回転させていた。
ちなみに始業式は明後日である。
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