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★しょーとれんじすと〜り〜スレッド★
71:玉川雄一 2002/04/03(水) 02:00 ◆ 学園世説新語・第5話 〜お茶目さん♪〜 ◆ 満奮、風を畏る。(満奮は風を畏れ嫌っていた) 奮 (( ;゚Д゚))ブルブル 晋の武帝の坐に在り、北窓に瑠璃屏を作る、実は密なれども疎なるに似たり。 (晋の武帝司馬炎の側に坐しているとき、北の窓が瑠璃の屏になっており、 実際はきっちり閉まっているのに透いているように見えた)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」 ―――――――――――――‐┬┘ | 風 ____.____ | が | | 。。゚。°| | 吹き込む | | 奮 | | | |∩´Д`∩ | | | |/ ノ | |  ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | 奮難色有り、帝之を笑ふ。(満奮が困った顔をしていたので帝がそれを笑った) 奮 (((( ゚Д゚;)))ガクガクブルブル 炎 ( ´,_ゝ`)プッ 奮答へて曰く、(満奮がそれに答えて言うには) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / 臣は猶ほ呉牛の月を見て喘ぐがごとし 奮 < (;´Д`)ハァハァ \ (私は、呉牛が月を見てもハァハァするようなものです) \_____________________ /劉\ 今で言う水牛は、江淮地方にだけ生息しているので呉牛といいます。 ( ´∀`) 南方は暑さがひどいので、そこの牛は暑さを畏れて、 / \ 月を見ても太陽かと思います。だから月を見てハァハァするのです。 | | 孝標 | | 『蜀犬、日に吠ゆ』という言葉もありますね。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ヒガイモウソウ(・∀・)カコイイ! |
72:玉川雄一 2002/04/03(水) 02:03 今回は、言語編第20番目のエピソード。 満寵の孫、満奮のお話です。「呉牛、月に喘ぐ」の故事ですね。 ところでコレ、明らかに晋代=東晋ハイスクールネタですけど、 世説新語をタネにした話はこちらのスレで行こうと思います。 東晋ハイスクールスレにはオリジナルの話ということで。
73:玉川雄一 2002/04/03(水) 02:20 っつーか、よく考えたら今回学三関係ないし(-_-;)
74:★ぐっこ 2002/04/03(水) 23:52 [sage] マターリ(^-^; 妙にイヤされました…不思議な間だな〜。
75:玉川雄一 2002/04/13(土) 03:15 [triglav@livedoor.com] ◆ 歴史家魂外伝・口は災いの…もと? ◆ 『山陽公戦記(笑)』にいわく。 馬超は益州校区に招かれて帰宅部連合の一員となったが、劉備の厚遇と、 また生来のキャラクター故か劉備と話をするときにはいつも彼女のことを「パンダ」と呼んだ。 「ねえ、パンダぁ。こんどの原稿だけど…」 「あん? 何や、この前話し合うたやんか。いい加減忘れるなや。せやから…」 しかし、劉備との付き合いの長い関羽にはそれが心底我慢ならなかった。 常日頃は怒りを表に現さない彼女が、あの「武装した紫式部」の面もちを浮かべて劉備に願い出たのである。 「姉者、今度という今度は我慢なりません。馬超をシメさせて下さい!」 久々に見る形相だが、劉備としては馬超とのやりとりは一種のコミュニケーションであり、むしろ楽しいものであった。 とはいえ関羽がここまで怒りを露わにするのだからただ事ではない。まずはなだめにかかる。 「なんや、関さんらしくないなあ。 …ええか、あの娘は曹操に追いつめられてきたんや。 アンタらはあの娘がウチの事をああ呼ぶゆうて物騒なこと言いよるけどなあ、そんなことじゃあ人からの理解は得られへんで」 だが、いくら敬服する劉備に言われたといって今回は承伏できることでもなかった。 そして、関羽以上に怒り心頭に発しているのは言うまでもなく張飛だったのである。 「せやったらなア、ヤツに礼儀っちゅうものを教えたるわ!」 またいかにも彼女らしく、両手の指をバキバキと鳴らしながら気勢を上げるのだった。 「はあ… まあ、気が済むようにしや。だけど、血ィ見るようなことだけはあかんで」 結局、ここまでなってしまうと劉備には二人を止める術はなかった。 翌日、帰宅部連合の緊急集会が開催された。馬超も当然招かれたわけだが、予定変更を余儀なくされておかんむりである。 「ちょっとパンダぁ、ちょおちょおむかつくー! アタシ原稿描かないといけないのにい!」 それでも渋々ながら着席して周囲を見れば関羽と張飛の姿が見えない。 「…あれえ、関Pとヒッキー(関羽と張飛のことらしい)はぁ?」 といって更に見渡すと、劉備の脇に二人が立っていた。しかも、こちらを凄まじい形相で睨み付けている! 「しおしお〜。アタシったら、部長のことパンダって呼んだから二人にシメられるところだったのね…」 馬超は、己の敗北を悟った。そうして、それ以後は劉備に敬意を持って接するようになったという− (続く)
76:玉川雄一 2002/04/13(土) 03:18 [triglav@livedoor.com] (続き) 「…だって。こんな事が書いてあったけど、どう思う?」 今日も今日とて史料を山のように積み上げて、学園史の編纂にいそしむ陳寿と生き人形(?)・ハイショーシ君。 とりあえずは史料に総当たりだ! となぜかやる気に満ちたハイショーシ君の主張に負けて、陳寿も雑多な史料を漁っていたのだ。 そんな中で馬超に関する興味深い記述を見つけたのだが、ハイショーシ君は彼好みのネタに飛びつくかと思えば 意外な反応が返ってきたのだった。 「あァ? 誰がこんなクソネタ信じるよ? …いいか、馬超は追いつめられて帰宅部連合に参加したんだぜ? いくら何でも劉備に対してそんな態度取るはずがねえだろうが!」 「はあ…」 何故か普段以上にテンションの上がっているハイショーシ君。時折、彼はこうしてキレてしまうのである。 いつもの様子からはちょっと想像も付かない鋭さで、彼の分析は続く。 「それにだな、そもそもこの頃関羽は帰宅部連合の荊州校区総代として江陵棟にいたはずだぜ? 成都棟でやってた会議にどうして関羽も出られるんだよ? だいたい、関羽だって馬超が参加したときに、 諸葛亮に馬超はどんなヤツかって聞いたぐらいだぜ? ガセネタだよガセネタ!」 「そ、そうかしらね」 「しかも、馬超が劉備のことをああ呼んだってのは、ヤツのキャラクターからすれば自然なんだよ。 それに、それが原因で関羽と張飛にシメられそうになったかなんてあの脳天気なオツムで分かるはずないんだって! …ったくよお、こんなガセネタ引いてんじゃねえよ!」 「そんな、私に言われても…」 言いたいだけまくしたてると、ハイショーシ君は別の史料に没頭してしまった。 何だか理不尽な気がしないでもなかったが、陳寿は内心彼の分析力に改めて驚かされていた。 (やっぱり、見るところはきちんと見てる。これなら、うまく行きそう…) 口では何やかやと言いながらハイショーシ君がこの作業を楽しんでいることが嬉しくなり、陳寿のやる気も一段と増すのだった。 …やがて完成した学園史は、取捨選択を重ねた陳寿のシンプルな記述と、 それを批判精神豊かにフォローしたハイショーシ君の註が絶妙に融合して、稀代の名著と讃えられることになる。 だが、今のところはまだ、二人して喧々囂々のやりとりが交わされる毎日が続くのだった。
77:玉川雄一 2002/04/13(土) 03:19 [triglav@livedoor.com] 何だか発作的に書き上げてしまいました。 そういえば、歴史家魂の本編を完結させないといけませんね(^_^;)
78:一国志3 2002/07/20(土) 18:08 一国志3と申します。 学園三國志掲示板では、はじめての書きこみになります。 拙い作品ですが、よろしくお願いします。 まだ、舞台設定を完全に掴みきれていないので、他の皆さんの話と背景が一致しない ところがあるかもしれませんが、ご了承下さい。 元ネタは、光栄三國志2〜4の能力値(武力)とあずまんが大王の一部分です。 #三國志3の武力70は重要な分岐点ですが、覚えている人います? 定期試験〜赤点ラインの攻防〜 ここ蒼天学園でも、当然のことながら定期試験は存在する。 特に、赤点すれすれの生徒にとっては、戦いの場となるのであった。 剣道部の部員である、于禁・楽進・李典たちの場合はというと…。 于禁「歴史のテスト55点か。なかなか低レベルな争いになりそうだな。」 と言いながら、夏侯惇の机をのぞき込んでみたところ、 夏侯惇「ん、どうした?」 于禁「(93点!?夏侯惇がそんなに頭良かったとは。) あ、なんでもない…。」 別な机では、徐晃と張遼がテストの結果を見せ合っていた。 張遼「テストどうだった?」 徐晃「92点だった。」 張遼「あっ、惜しいな。私91点。」 于禁「もしかして、これってすごく悪いのかも……。」 楽進と李典もテストを見せ合っていたのでありが。 楽進「李典〜、テストどう?」 李典「あ、だめだめ。」 楽進「じゃあ、見せっこしようぜ。44点、あたしの負けだ〜。」 李典「えへへ〜、56点。」 于禁「わ〜い!バカたち〜!」 楽進「バカって言うな!だいたいおまえ何点だよ。」 于禁「55点。」 楽進「あたしらと変わらんじゃん。」 張遼「おまえら、これでいいのか?今回のテストは60点未満が赤点だぞ。」 楽進「え〜っ。そんなの聞いてないよ。」 于禁「でも、まだ追試があるしな。」 李典「追試だと合格点が70点だけどね。勉強しなおさなきゃ。」 で、追試が終わり、テストを見せ合う3人であった。 楽進「ひゃほ〜っ!74点だぜ。」 李典「72点か…ぎりぎりでした。」 于禁「…………。今のきみたちがまぶしく見える。」 楽進「ということは、だめだったんか、于禁?」 于禁「60点だった…。留年するかも。」 結局、于禁も再追試で74点を取り合格ラインを超えて、留年の危機を免れたのであった。
79:★ぐっこ 2002/07/21(日) 00:35 [sage] うわははは! なるほど、テストの点=ゲーム武力! 学三的にはパロ系はなるべく避けてるのですが(女性読者多いので)、 これはこれでまた面白い! しかし低武力=ボンクラーズにすると、どうしても李典がバカの仲間入り になってしまうんですねえ…(;^_^A
80:一国志3 2002/07/21(日) 01:26 [sage] さっそくのコメントありがとうございます。>ぐっこ様 実は、テストの点数を武力か知力にするか迷っていたんですよ。 あえて武力にしたのは、三國志2→3→4になるにつれて、魏の名将が真っ当な 評価になりつつある様子を描きたかったためです。 雑魚武将からの転身というテーマでは、韓浩も取り上げてみたかった人物でした。 今回の話にも登場させようかと思ったのですが、描ききれませんでした。 (三國志1〜3では、韓玄の弟という演義設定のせいで兄と似たり寄ったりの能力。 三國志4では一旦リストラされて消え、5以降では正史修正の入った能力になる。)
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