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311:雪月華 2003/08/02(土) 08:36 ひと夏の思い出 〜孫権 運命の出会い〜 その1 涼州校区の雄、董卓が夏休みを利用して中央政権の足場固めを行っているちょうどその頃… 万博の折、撃ち上げられた気象操作ミラーの故障から、凶悪なまでに豊かな太陽の恵みが降り注ぎ、完全に熱帯性気候と化してしまった揚州校区。その約半分を占める宏大な湖は、東西に長い幅を持つ事から長湖と呼称された。 約二億年前のジュラ紀前期に、火山の沈没でできた湖といわれ、その中央に位置する赤壁島は当時の火口の名残である。ジュラ紀当時のジャングルを保ち続けるこの島で、長湖部名物である、地獄の強化合宿終了後の夏休みの残りを、ごく近しい者だけでキャンプして過ごす事が、初代長湖部長にして長沙棟の棟長である孫堅の、中等部時代からの習慣だった。 キャンプといえば聞こえはいいが、実際のところは、初日の昼食と最低限の食器しか持ち込まずに、その後の食料や飲料水は全て自給自足という、完全な無人島サバイバルである。妹の孫策・孫権と、孫策の親友である周瑜も、それぞれ中等部進級と同時に付き合わされることになり、孫堅が高等部一年であるこの年、中等部三年である孫策、周瑜は三度目。二年生である孫権は二度目の体験であった。 そのハードさは、脱落者が続出する地獄の強化合宿ですら、お泊り会程度と思えるほどに過酷であり、ことに姉と違い、あまり頑健ではない孫権──とはいっても中学一年にして基礎体力は高校生クラスのものではあったが──の初参加時は、二十日間の日程で体重が半分に減ったといわれている。 「伯符ー、そっちはどうだった?」 やたら巨大なシダ植物群を掻き分けながら、高台に置いたベースキャンプ──棒を立てて防水シートで屋根をつけただけ──に這い出してきた孫策に、ベースキャンプ周辺を整備していた周瑜が問いかけた。その背中の籠に満載された果物の小山を見て顔をほころばせる。 「大漁大漁!バナナとリンゴが沢山なってた!」 「超オッケー!!」 互いに走り寄ると、頭上高く掲げた右手を打ち合わせるハイタッチの挨拶を交わし、その喜びを表現した。 「伯符おねえちゃーん、周瑜さーん、お水汲んできましたー」 「ご苦労様!後で煮沸するから、そこに置いててね。お姉様や伯符は生水飲んでも平気だけど、私達はそうも行かないから」 洗い物と水汲みを担当している孫権が、手製の濾過器を通した湖水を満載した、2リットル入りのポリタンクを右手に、洗った食器の入った籠を左手に持ち、中華鍋を頭にかぶって、200mほど坂を下ったところにある湖岸から、意外に危なげない足取りで戻ってきた。 「これで後二日は保つ…か。残り二週間、先は長いよなぁ…」 情け容赦なく照りつける長湖の太陽に手をかざし、眼下のさざ波立つ長湖に目を落として、孫策がぼやいた。三人とも、長湖部Tシャツに、膝まで捲ったジャージ姿だが、孫策はTシャツの袖を肩のあたりでちぎっている。 「いいじゃない、こういうのも。孫権ちゃんも結構逞しくなったことだし。一昨年、初めて体験した時は、さすがに死を覚悟したものだけど…」 「それにしても、お前らって日焼けしないよなぁ…ちょっとうらやましい」 「体質よ体質。もともとが白いから日光を弾くらしくて」 他校区の数倍の強さで照りつける揚州の太陽の影響で、孫策はポリネシアンさながらに日焼けしていた。一方の周瑜と孫権の肌は白いままである。 「あとは文台お姉ちゃんだけか…お魚さん、たくさん獲れたかなぁ?」 妹の心配を受けて湖水に目をやった孫策が、ある事に思い至り、周瑜に尋ねた。 「なあ周瑜、ずっとここにいたんだよな。姉貴の最後の息継ぎから何分経ってる?」 「えっと…7分!?」 「えーっ!」 「…素潜りだぞ。いくら姉貴でもやばくないか?」 「…うん…ひょっとすると」 「うう…お姉ちゃあん…」 最悪の事態が三人の脳裏をよぎる。孫権が地面に手をつくと、涙を流し始めた。 「…太く、短い人生だったな」 「ええ…でも、お姉様の雄姿と志の熱さは、私たちの心にしっかり刻み込まれているわ。お姉様の死を、私達は無駄にするわけにはいかないのよ」 「うう…」 「孫権!泣くんじゃねえ!」 「伯符も涙を拭いて…それから考えましょう。今の私たちに、何ができるのかを!」 「おう!やるぜ!姉貴の遺志を無駄にしねえ為にも、今の俺たちにできる事を精一杯…ぐあっ!?」 「なに勝手に殺してくれてんのよ」 背後から頭を思い切りこづかれた孫策が、地面にうずくまった。その背後に立っていたのは、孫堅である。東洋人離れした見事なプロポーションを、虎縞のビキニが鋭く引き締め、健康的な色気を惜しげもなく振りまいていた。腰には同じ虎柄のパレオ(タヒチなどで一枚の布を身体に巻く民族衣装。いわゆる水着の腰巻き)を巻きつけており、長湖から上がったばかりらしく、それからは湖水が滴っている。 「お、おねえちゃん!?無事だったの!?」 「あたしの肺活量を甘く見ないでほしいわね。ほら、エモノ」 「わーい…って、これ、卵?しかも氷漬け…」 孫堅が砂浜に放り出したのは直径40cmほどの氷漬けの卵だった。奇妙な模様が規則正しく全体にちりばめられており、いかにも恐竜の卵といった感じである。 「お姉様、これは湖底から?」 「もちろんよ。周瑜」 「でかっ!よし、早速ゆでるぞ!周瑜!鍋を火に…ぐあっ!?」 「何バカな事を言ってんの?博物館に売りつけてカネにすんのよ!」 割り込んできた孫策に再びゲンコツをくれると、孫堅は、がめつい事を言った。 「そ、そんなこといっても、結局んとこ魚は取れてねーじゃねえか!毎日毎日焼き林檎と焼きバナナだけじゃ味気ねーって!」 「孫策…あんた、あくまであたしに逆らうってのかい?」 「おう、実りある食生活のためなら姉貴といえども容赦はしねえ…故人曰く『食べ物の恨みは恐ろしい』ってなぁ!!」 「お姉様も伯符も落ち着いてくだ…きゃっ!」 カミソリの如き鋭さで繰り出された孫策の強烈な後ろ廻し蹴りが、止めに入りかけた周瑜の目の前を掠めて孫堅の側頭部を襲う。 大木をも粉砕するその右足を、孫堅は無造作に掌で受け止めた。 そのまま無造作に足首を掴むと、片腕一本で無造作に振り回して勢いをつけ、無造作にジャングルのほうへ放り投げた。 撃ち出された砲弾の如き速度で、原始林を薙ぎ倒しながら孫策はジャングルの奥へ消えた。 孫堅がその後を追って猛然とジャングルへ走りこんでいく。 「孫策、逃げるな!」 「姉貴が吹っ飛ばしてくれたんじゃねーかよっ!」 めくるめく轟音と土煙がジャングルの奥から吹き上がり、怪しげなエネルギー波の輝きが爆発音を伴って連鎖した。 断末魔の悲鳴をあげて次々と原生林が倒れ、赤壁島は時ならぬ地震に見舞われた。 背後の龍戦虎争など我関せずといった感じで、かがみこんだ孫権はひたすら先ほどの卵を撫で回している。赤壁島の暑熱により、周囲の氷はすっかり溶け出してしまっており、乾燥した表面は鶏卵より少しざらざらする手触りであった。 「また始まった…アレで結構仲がいいんだけど…ね?孫権ちゃん」 疲れたようなため息を漏らすと、周瑜は孫権に歩み寄った。 「あ…」 「どうしたの?」 「この卵…生きてる。いまトクンって…」 「それじゃあ…」 「間隔が短くなってる…産まれる!?孵るの!?ねえ!周瑜さん!」 「お、落ち着いて、こういうときは…そうよ!ラマーズ法よ!」 「ボクが産むんじゃないよー!」 おもいきり取り乱した二人の前で、卵の一点ににひびが入り始めた。それは蜘蛛の巣状に広がり、外周を一回りして後背で繋がる。ひとりでに卵が左右に揺れ始めた。 背後のジャングルで、やたらと大規模な姉妹喧嘩が続くさなか、神秘的な光景を二人は目の当たりにしていた。 珍しく取り乱した周瑜が、さらに二歩あとずさった。一方、落ち着きを取り戻した孫権は、卵に歩み寄り、その傍にかがみこむ。 「あ、あぶない!離れて!食べられるわよ!」 「この子…出ようとしてるんだけど、殻が破れないみたい…だんだん動きが遅くなってる…このままじゃ…」 孫権の観察どうり、卵の揺れが少しずつゆっくりになってきている。卵の中で活動可能なまでに成長したものの、殻を破る力がまだ備わってきていないのだ。孫権は、そっと卵に両手をかけた。 「孫権ちゃん!なにをするつもり?」 「ねぇ、キミ、頑張って!ボクも手伝ってあげるから…頑張って!せっかく生まれてきたのに卵の中なんかで死にたくないでしょ、生きたいんでしょ!ねえ!頑張って!外に出てきて!」 必死に呼びかける孫権の声が届いたのだろうか、卵は…いや、生まれようとする小さな生命は再び力強く動き出した。 そして、奇跡は起こった。 卵が、ひびに沿って真っ二つに割れた。勢い余って飛び出してきた黒い影に胸を直撃され、孫権は勢い余って砂浜に仰向けに倒れこんだ。掴んでいた卵の殻の上半分が宙を舞う。 孫権を押し倒した黒い影が、小さな鳴声を上げた。 それはイルカのようにすべすべした肌をしており、蛇のようにもたげた頭部にはインド象を思わせるおだやかな目があって、少しびっくりしたようすで孫権を見つめている。頭の先から尻尾までの長さは約40cm。重さは4キロほどで、4枚の足ひれから、形的にはジュラ紀前期に生息していた首長龍・プレシオザウルスによく似ているようだった。 やがて首長龍は表情を和らげ、目を細めると、その小さな頭部を孫権に擦り付けてきた。くるる、と甘えたように喉を鳴らしている。 「孫権ちゃん…大丈夫?わ、わたし爬虫類は苦手なのよ…」 「うん…この子、ボクのことをお母さんだって思ってるみたい」 「刷り込み…ってやつね、なんにせよ良かったわ〜」 「この子、あったかい…それに、いい手触り。スベスベしてるに、柔らかい…」 ほっと息をつくと、緊張がきれたのか、周瑜は砂浜にへたり込んだ。 先ほど孫権が放り投げた卵の上半分が、周瑜の頭にかぶさり、まるで、某黒いひよこのキャラを髣髴とさせているが、それに周瑜は気づいていない。 やがて孫権が体を起こし、首長龍の子供を膝の上に抱くと、首から背中にかけて優しく撫で始めた。その表情は、年齢にそぐわぬ聖母の優しさに満ちていた。 背後で草を掻き分ける音がしたとき、周瑜は振り向いたものの、孫権は首長龍に夢中で振り向こうとはしなかった。 「まったく、このバカ、てこずらせて…余計なエネルギー使ったじゃないの」 実に島の三分の一の原始林をなぎ倒すほどの激闘を制したのは、やはりというか姉の孫堅であった。激闘の証拠に、体のあちこちから血を流し、ビキニの肩紐が半分ずり落ちている。右手では、孫堅以上にボロボロになって気絶している孫策の襟首を掴んで引きずっていた。 「ええと、お姉様。伯符は死んじゃ…いませんよね?」 「一時間もすれば目を覚ますわよ。…それより、あんた面白いものかぶってるわね?」 「え、あっ!いつの間に…」 「アハハ、卵の殻かぶってて気がつか…って、それってまさか、さっきの!?」 「はい…孫権ちゃんが、孵しちゃったんです」 「ああ〜…洛陽棟の白馬博物館に卵を売った金で、東呉スポーツへの支払い目処がたったと思ったのに…また長沙棟でムチャやらなきゃなんないのね…」 目論見が外れた孫堅は、がっくりと肩を落とした。 <続く>
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