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364:雪月華2003/11/30(日) 08:39
白馬棟奇譚 ─前編─

 深夜11時。河水のほとり、エン州校区白馬棟の二階の一室には、まだ明りが灯っていた。おりしも曹操が下[丕β]棟にて呂布一党を覆滅し、宛棟の張繍、寿春棟の袁術、揚州校区の孫策らを相手に謀略戦を仕掛けながら、カントにて袁紹勢力との緊張が高まりつつある、まさにそのときである。曹袁両勢力の境目である白馬棟は、いわゆる最前線であり、来るべき決戦に備え、劉延をはじめとする30人が遅くまで居残り、校門やバリケードの補修、新規敷設や、サバゲーの訓練などを行っていた。
 分厚いカーテンの隙間から漏れる明りの質は弱々しく、光源は蛍光灯や白熱灯ではなく、ランプかロウソクの類である事が推測できた。当然、棟の外からは中の様子を窺い知る事はできない。

 白馬棟二階の、今は空き部屋となっている化学準備室。その部屋に漂う妖気は、この世のものではないようであった。ガラスの髑髏や奇妙な形の燭台、出所の知れない骨etcetc……ありとあらゆる黒魔術の小道具が、ある種の法則性に基づいて、いたるところに配置され、複雑な意匠の入った六芒星が描かれた魔方陣のシートが、四方の壁と床、天井に貼られていた。
 床の魔方陣の傍に、制服の上に西洋の魔女、いわゆるウィッチの纏う、人血で染め上げたかのような真紅の裏地を持つ、闇を固めたような黒いマントと、これまた魔女の用いる漆黒のトンガリ帽子をかぶった、つややかな黒髪の女生徒が佇み、怪しさ満点の分厚い書物に見入っていた。
「………」
 左手に書物を持ち、空いた右手で空中に印を結んでいる。ぼそぼそと呪文らしきものを呟いているが、あまりにも小さい声なので、たとえ傍らに居たとしても聞き取る事はできないはずであった。たとえ聞き取れたとしても、書物はラテン語で記されており、必然的に少女の呪文もラテン語となるため、内容を理解できる者は、ごく僅かであろう。
 怪しい彫刻が入った蝋燭の炎が揺らめき、それまで影になってよく見えなかった少女の顔が一瞬、明らかとなった。学園全体でも十指に入るであろう、憂いをたたえた瞳が印象的なその美貌を、蝋燭の心細い光が妖艶に浮かび上がらせている。
「……?」
 突然、少女の動きがぴたりと止まった。その視線は、床の魔法陣に釘付けになっている。それもそのはず、今まで何の反応も示さなかった魔方陣が、淡い燐光を発し始めていたのだ。その光は徐々に強さを増し、それに共鳴するかのように、天井と壁の魔方陣も輝きを発し始めていた。
「………!」
 狼狽し、それでもミクロ単位でしか表情を変えずにいた彼女の目の前で、突如、光が奔騰し、もと化学準備室は無彩色に染め上げられた。

 次の日 夜 深夜10時

 明りの消えた白馬棟の校門前に、二台のMTBが滑り込んできた。
「夜の学校という存在は、どこか得体の知れない雰囲気があるものだな、張遼」
「まったくですね、雲長」
 駐輪場が無いため、校門脇にMTBを止めたのは、先日、生徒会入りしたばかりの、もと呂布部下であった張遼と、現在、許昌棟でかごの鳥も同様の扱いを受けている、豫州校区総代にして蒼天会左主将である劉備の、義妹である関羽の二人であった。
 とりあえずその場にMTBを置くと、護身用の木刀を携え、六時の時点で、居残りの生徒が怖がって帰ってしまったため、全ての明りが消えている校舎に、二人は足を踏み入れた。問題があった、どうやら棟全体のブレーカーが落ちたままになっているらしく、昇降口の電灯スイッチが何の反応も示さないのだ。懐中電灯の持ち合わせも無いので、月明かりだけを頼りに、二人は夜の学校の奥へと、足を踏み入れていった。
 二人がこんな時間にここを訪れる羽目になった原因は、今朝、白馬棟にて、昨夜最後まで居残っていた生徒十四人が、校舎外で折り重なって倒れているのが発見された事にある。全員、二階の廊下の窓から外に落ちたらしいが、幸いにも、誰もが重くとも腕の骨折程度で済んでいた。だが、何者かとの闘争の結果、で片付けるには、奇妙な点が二つあった。
 ひとつは、階級章には手がつけられていなかった事。もうひとつは、落下時の捻挫、骨折以外に外傷が無いにもかかわらず、今朝からずっと、14人全員に昏睡状態が続いている事である。
 まがりなりにも、白馬棟は対袁紹勢力の最前線である。おかしな噂が立っては来るべき決戦に差し障りが出るとして、放課後一番に現場検証が行われたが、2階の落下地点の窓が枠ごと外れていた事以外は、何ら収穫が無かったと言ってよい。一応、落下した窓と、廊下を挟んで対面に位置する、もと化学準備室も調査されたが、もぬけの殻で、壁にかけられた、姿見の大きな鏡以外に、何の発見も無かった。
「それで、会議が開かれまして、深夜に調査員を送ることになったのです。そこで、真っ先に自分が行くと言い出したお調子者が1人いましてね」
「曹操殿だな」
「御名答。まさか副会長を行かせるわけには行きませんので、武道の経験のある者から、くじ引きで決めることになりまして」
「それで、おぬしが選ばれたわけか。しかし、何故拙者を誘ったのだ?呂布時代の同僚で、同じ剣道部の魏続や宋憲がおるであろうに」 関羽の問いかけに、張遼は憮然として答えた。
「下[丕β]棟の陥落以来、彼女達とは気まずくなっていまして。私自身は気にしていませんが、彼女達は、呂布を売った事を過剰に気にしているようで、避けられてしまうのですよ」
 さらに言えば、張遼は剣道部にも上手く溶け込めていない。呂布討伐後、張遼をはじめとする新規生徒会入会者への歓迎会の座興のひとつとして、蒼天会長観覧のもと、公認剣道場『玄武館』で御前試合が開かれたことがある。
 その試合において、張遼は防具をつけずに、李典、楽進、徐晃を、まったく竹刀を打ち合わせることなく撃破し、于禁とは、一度竹刀を打ち合わせただけで、わざと時間切れで引き分けたのである。それ以来、比較的に人あたりのいい、楽進や徐晃とはうまくいっているものの、李典からは血縁者の仇と憎まれ、かたぶつの于禁は、不遜な張遼をあからさまに嫌っていた。また、実戦で剣術を磨いてきた張遼は、剣道の基本である、打ってはポンと跳ね上げる『打突』や、肌の前でピタリと止める『寸止』が上手ではなく、つい、いつもの癖で打ち抜いてしまうため、一般部員からの評判も良くなかった。得物が竹刀であり、防具があるとはいえ、小手を打ち抜けば手首が腫れ上がり、面を打ち抜けば重度の眩暈を起こし、胴を打ち抜けば吹き飛んでしまう。それでいて、受け太刀というものをまったくせず、相手の打ち込みを足捌きのみでかわしてばかりいるので、まったく稽古にならないのである。そのため、一応は徐晃、楽進と同列である剣道部師範の肩書きはあるものの、張遼は放課後、玄武館には顔を出さず、MTB機動部隊の訓練に専念していた。
「音無しの剣か。あの徐晃すら軽くあしらったおぬしに、はじめて竹刀の音を立てさせるとは、于禁殿も伊達で公認剣道部の部長を張ってはおらぬということだな」
「雲長、意外に見る目がありませんね。なるほど、于禁さんの風格や、剣の知識は人一倍ですが、実際はたいした剣士ではありませんでしたよ。ただ、あの状況では、彼女の顔を立てておかないと、ただではすまなかったでしょうから」
「并州の孤狼、『剣姫』張遼も、さすがに命は惜しいか」
「何を勘違いしているのです?袁紹との決戦を目前に控えているのに、剣道部を全滅させるのは、さすがにまずいと思ったからですよ」
 傍若無人ともいえる張遼の放言に、関羽は眉をひそめた。
「不遜だな、張遼」
「他人のことが言えるのですか、雲長?」
「拙者はまだ、おぬしの返答を聞いてはおらぬぞ、何故拙者を誘った?」
「では、あなたは何故ここにいるのですか?」
「色々と、おぬしに聞きたいことがあったからだ」
「奇遇ですね。私も、そういう理由からあなたをお誘いしたのですよ。卒業まで肩を並べているにせよ、今から1分後に、どちらかがどちらかをトばしているにせよ、お互いのことをよく知るにしくはありませんからね」
 数十秒前から、二人の間で高まりつつある殺気が、臨界点に近づきつつあった。近くに誰かいれば、その殺気だけで失神してしまうかもしれない。
「……じつに後者を選択したくなってきたぞ、張遼」
「今、ここで決着をつけますか、雲長?」
「望むところだ」
「仕事を終えてからです。着きましたよ」
 関羽の威圧を、さらりと張遼は受け流した。いつのまにか、二人はもと化学準備室の前に到着していた。廊下を挟んで向かい側の窓には、応急処置のベニヤ板が張り付けられ、外からの月光を遮っている。奇しくも、満月の夜であった。
「カギはかかっておらぬのか?」
「空き部屋ですので、普段はかけていません」
「では、行くぞ」
 そう言って、関羽が、引戸の取っ手に手をかけようとした。
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